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2019年05月31日

◆ 菜根譚に学ぶ ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 元年 5月31日(金)

       テーマ   ゆるやかな心

◆  無策の策   ◆


 みなさんおはようございます。本日も『 菜根譚 』の中から申しあげますが、みなさんは、無策の策という言葉を聞いたことがございますか?

魚網の設くるや、鴻則ち其の中に罹る。蟷螂の 貪るや、雀又、その後に乗ず。機裡に機を蔵し、変外に変を生ず。智巧何ぞ 恃むに足らんや。
という句が『 菜根譚 』の中にございます。これは、魚を捉えようとして網を張ったところ、魚ではなく、予想もしない大きな雁がかかることがあるといっております。
また 蟷螂が餌を捕ろうと思って、夢中になって そのことばかりに 心を奪われていると、虎視眈々と雀が背後から蟷螂を狙っていることがあります。
このように世の中というのは、カラクリの中にさらに巧妙なカラクリが隠され、また思わぬ異変のさらに外に異変が生じることがあるというのです。

それゆえ人間のちっぽけな知恵や技巧や策などは、及ばないので策などは考えないで、無策でいくことの方がいいのです。

これを、『 無策の策 』といってしまえば 平凡なのかもしれませんが、策のないことの真意を正しく体得して、はからいを超え、思いを超えて それを自然のふるまいにあらわすには、それだけの悟りと修練がいるということなのです。
思いもかけぬ悩みを悩む前に、時にはこの策なしの境地に思いをめぐらせて心静かに反省して人間の小さな策や、知恵や、小細工など一切捨て、純粋無私で心静かに反省をしてみるという『 無策の策 』が一番よいのだと思います。

 ようするに、あれこれ考えて 策を弄する事なく最も自然体で事にのぞむということです。それを策として、『 無策の策 』とよび人事を尽くして天命を待つと同じでやることをやったら、じたばた するなということなのです。
  

Posted by 内田建設 at 06:42Comments(0)

2019年05月28日

◆ 曲線思考で考える ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 元年 5月28日(火)

    テーマ  人事を尽くし、自然にまかす

◆ 菜根譚に学ぶ  ◆


 おはようございます。本日も『 菜根譚 』という文献に書かれている中から一つだけ 選んで、学んでみたいと思います。

 縄でこすりつづければ、ついに木が切られ、水のしたたりも、やがては石に穴をあけるという。道を学ぶにはたゆまぬ努力が大切だ。水が流れ込めば溝ができ、瓜の実が熟すればヘタが落ちる。悟りをひらくには、自然のなりゆきにまかせる心が必要だ。と菜根譚では説明しているが、全く同じような言葉で、人事を尽くし天命を待つ というのが中国古典の『読史管見』にもあります。

 これは、どちらも味わい深い言葉で、私心にとらわれることなく、人としてなしうる限りの力を尽くして、そのうえで静かに起こってくる事態を待つというものです。そのことが期待どおりのことかもしれないし、期待にそむくことかもしれませんが、いずれにしても、そのことは自分の力を超えたものであり人事を尽くした限りにおいては、うろたえず、あわてず、心を静かにしてその事態を迎えなければなりません。そうすれば、そこから、また新たな道が開けてくるのだと言っております。

小さな人間の知恵でいくら考えてみても、どうにもならない問題がたくさんあり過ぎます。したがって迷うのは当たり前なのです。天のからくりは、大きいものなのです。そういった意味で考え、天の計らい、天の妙機に任せることが物事の真理なのでは、ということなのでしょう。

 うまくいかなかったからと言って落胆したり、慌ててしまったりするのではなく、やるだけの事をして、心静かな状態で待てば 新たな発想や方法が浮かんでくるものです。

私は、よく迷った時など 松下幸之助さんの書かれた、『 道はひらける 』という本を読み返したりしてヒントをいただくことがございます。

では、その中から 心の サプリとして …… ときに、静かに天命、天の妙機というものに思いをはせ、フーッと大きな息をはき、肩の力を抜いて、丸ごとそっくり天に身を任せてみましょう。  と書かれておりましたが、これは、それを行おうとすれば、もっともっと努力してその言葉が言えるくらい努力しないといけないことだと解釈しなければならないということなのでしょうね。

物事はいつも言っていることですが、曲線的に考えて下さい。一日が、朝になって、昼になって夜が来る。そして再び朝が来るというように季節も同じく春が来て、夏が来て秋になり冬が来る。そしてまた春が訪れるのですが、春になると新しい芽がでるように種を蒔かなければ、芽は出ません。
それと同じように人間も直線思考で考えている人は、少しばかり よくなると有頂天になってしまいまして 行いが外に出て自慢したくなります。 本当は、それが悪い種を蒔いているのだということを、気付かずに ということです。

したがって蒔かれた悪い種は、やがて悪い芽がでてしまうということなのです。直線思考でものごとを考えている人は、そのことに気付かず どんどん悪くなって自分がどこまで落ちていくのか不安になってまいりますから、そこから抜け出すのに大変、時間がかかります。そして、また同じ失敗を繰り返してしまうのです。
ところが、曲線思考で考えられる人は、仕組みが分かっている ものだから、悪い時には、尚一層の努力をして、次にくる良い事って何だろうな?
 楽しみだなと思えるようになるのではないのでしょうか? このことを、私なりに解釈いたしますと 人事を尽くして天命を待つ あるいは 人事をつくして自然を待つ と解釈しているのでございますが、みなさんのご参考になれば、みなさんもぜひ、曲線思考で考えて楽天的に生きてみて人生を楽しんで下さい。
  

Posted by 内田建設 at 08:52Comments(0)

2019年05月23日

☆下を見るとき、上をみるとき ☆

㈱内田建設 朝礼 令和 元年 5月24日(金)

     テーマ  下の方から見れば、よく分かる

◆ 菜根譚に学ぶ  ◆


 おはようございます。毎朝、朝礼で人間関係や人間観察のお話をみなさんもご存じの 論語、韓非子、老子などの中国古典を用いてのお話をしておりますが、これは2000年以上経った現在であっても、未だに新鮮に感じられる書物として多くのリーダーが、今を生き抜くためのヒントを掴もうとして悩みに悩み抜いて人間学の基礎である書籍を手にしてしまうのが実情なのだと思います。

2000年、2500年という長い時を経ても 人間の本質をついていることが書かれている書籍だからこそ、現代の目まぐるしく 激しい変化の中で 難しい人間関係をうまく切り抜けていくために求められて止まないのでしょう。
しかし、2000年、2500年もの長い時間をさかのぼって 探さないと書籍が他にないのか?と考えてみた時、今から400年程前に 洪自誠という人の書かれた中国古典に『 菜根譚 』という書物がございました。
 勿論、過去の朝礼にて洪自誠の『 菜根譚 』の中から花は半開、酒はほろ酔い などといくつかを 紹介したことはございますが、本日は この書籍より、下を見るとき、上を見るとき というのを紹介してみたいと思います。
 
『 卑きにおりて 後に高きに登るの危うきを 知る。暗きに処りて後に明るきに向かう甚だあらわるを知る。』という一説がございます。意味を申し上げますと

 これは、「上から下を見ていては3年経ってもわからないことが、下から上を見れば3日でわかる 」と解説しています。

 人の上に立たなければ ならない というリーダーにとって 最も必要となる資質は、人を見る目と的確な状況判断ですが、意外とこれが満たされていないことが多いようで、あれほど優れている成功者が、何であの程度の取り巻きに丸め込まれているのかと目を疑うことも世の中には、多くあるようです。
 それというのも、固定した立場だけからものごとを見ているため、いろいろな見方、いわゆる複眼的視点を持てないからなのだと思います。
 これを、例えば社長が新入社員や下請け業者、またお客様の立場に身を置いて仕事の実態を見直すことが出来たらどうなるでありましょうか。

能楽で有名な 世阿弥は、自らが 舞台で演じている姿を、もう一人の自分が客席からじっと見つめてみるようでなければ本当の芸は出来ないといっております。このことを『 離見の見 』という 言葉で表現しておりますが、このように  ときには見たくないものも、はっきりと見据える心の修行 が望ましく、下の方から見れば、物事がよく分かることを『 菜根譚 』から学ぶことが出来ます。
菜根譚は、成功者をも世捨て人をも捉え、読んだ人がこれは、もしかして自分のことをいっているのではないか?と感じる事があると言われておりますので、我々凡人が読むのには向いているのかもしれません。

しかし、誰しもが 満腹の時にいかなる御馳走も受け付けないように、また、空腹の時は粗食であっても何物にも代えがたい御馳走になるように、それぞれの人が、読み方によっては、それぞれの心境によって変化すると言われております書物です。菜根は堅くて筋が多い、これをかみしめてこそ、物事の真の味わいがわかる ということから名のついた『 菜根譚 』です。
私の解説でよければ、よりよい人生を送るために、朝礼を通じて 今後も少しずつお話をしてまいりたいと思います。
  

Posted by 内田建設 at 23:12Comments(0)

2019年05月21日

☆ 努力に即効性はない ☆

㈱内田建設 朝礼 令和 元年 5月22日(水)

テーマ  いい言葉で、人生は好転する。

◆  もっと頑張っておけばよかった  ◆

 おはようございます。本日は、野球解説者で有名な野村克也さんのお話しをしてみたいと思います。1935年生まれと言いますから 昭和10年生まれということで 現在は、84歳になられると思います。
その野村克也さんですが、京都府生まれで、二歳の時に父親が戦死し 母親も野村さんが小学校二年生の時に癌を患い闘病生活になるという厳しい生活環境の中、野村兄弟は 父親の友人の家に預けられて 小学校に通っていたそうです。そこから、学校に通うというのは、貧乏に堪えられても、親に甘えるということもできないので とても辛かったそうです。といっておりました。
また、小学校三年生になると 新聞配達をしたり夏休みはアイスキャンデーを売ったりして家計を助けて育ったのだそうです。

そんな中で、将来プロ野球選手になって 苦労している母親に楽をさせてあげたいと思い、兄の理解のもと、京都府立峰山高校に入学し野球部に入るのでしたが、峰山高校の野球部というのは 強くもなく 学校でも当時の野球というものは、金がかかるから廃部にしようという声が上がっていたのだそうでした。
そのような中、廃部にならないよう やり手のなかった野球部の顧問に 生活指導担当であった 清水という先生をなんとか味方に引き入れ 野球部の存続に やっと成功することが出来た というのが実情だったのだそうです。

高校三年の秋に、新聞で南海ホークスの入団テストの記事を見つけ出し 顧問の清水先生にそれを 見せ受けてみたいと言ったら、「 おまえなら、ひょっとすると、ひょっとするぞ。よし、行って来い。」 と言われ、その一言だけを自信というか 頼りにしまして入団テストを受けに行くということになるのですが、はじめは 大阪まで行く汽車賃がないので困っていたところ 清水先生が出世払いでいいから ということになりまして 大阪までの汽車賃を清水先生に借りることが出来まして、やっとの思いで プロ入団テストが受けられたというのです。
     
そして、見事 合格することになるのですが、テスト生から 一軍に昇格することは、まず、ないらしい ということも入団した後に聞かされて 呆然としてしまい やめて 帰ろうとも思ったこともありましたが、一軍の可能性としては ゼロということではないのだと思い三年間は我慢して一生懸命頑張ろうと決意したのだそうです。
野村さんのお話しでは、プロというのは「 ダメになるのも自由、良くなるのも自由 」という世界ですから、誰も「 遊ぶな 」とは言わないのだそうです。
男ばかりの世界ですから、試合が終わるとネオン街に直行する選手もいたと言うのです。勿論、野村さんもよく誘われたものでしたが、当時の野村さんは着るものも 学生服しか 持っていなかったので、内心グラグラとしながらも、行きませんと答えて、バットの素振りをしておりました。と言っておられましたが文字通り誘惑をバットで振り払ったのです。

そして、周囲を横目に見ながらも頑張れたのは、形はどうあれせっかくプロの世界に入れたのだから、後悔だけはしたくないという その一点だけであったのだそうです。一生懸命やってクビになったのであれば、仕方がない。自分に素質がなかったと諦めるしかないと思ったらしいのです。しかし、野村さんが言うには自分よりもずっと才能があったのにクビだと言われてやめていく選手がたくさんいたというのです。
そして、彼らが異口同音に口を揃えて こう言っていたのだと言っております。
『 もっと、頑張っておけばよかった。』その言葉を聞いていたから、野村さんは、悔いを残さないようにと ひたすらバットを振ったのだと言います。
もし、野村さんが テスト生でなく 契約金も給料もたくさんもらっていたのならば、誘惑に負けてしまい今、現在の自分というのは 絶対になかったのだと言っております。
その後、強打の捕手として活躍し、戦後初の三冠王に輝き名捕手、名監督として野球界に名を残すようになった野村さんですが、監督時代には、口を酸っぱくして選手たちに 言っていた言葉が、「 入団をゴールと勘違いするなよ 」「 努力に即効性はないぞ 」という二つの言葉なのだ そうです。

一流選手に憧れて、幼いころから野球一筋、それが評価されてプロの世界に入るという達成感があるのでしょうね。と話しながらもプロに入団することは、一流選手として活躍するためのスタートラインにようやく立てた というだけなのです。プロになったということは、より一層の努力をしないと やっていけないというのです。
そして、一番やっかいなことは、『 努力に即効性はない 』ということであり努力が実を結ぶまでに時間がかかるということなのです。早くても、二年 三年はかかります。だから、長い目で見た時に、努力した人と 努力していない人の差が見えてくるというのです。
野村さんは、家が貧乏だったから努力するしかなかったけれど、今の選手は才能もあり 若い時から同世代より良い給料を貰ってしまうと横道にそれてしまい、一流になる夢をどこかで捨ててしまうのだと言っております。

そして、そういった選手たちが、現在も 昔も口を揃えて言う言葉があります。『 もっと頑張っておけばよかった 』という 言葉なのです。これは、野球界だけに限らず我々の世界でも十分に通用する言葉であり「 努力に即効性はない 」ということも理解して 努力を続けてまいりたいものだと思います。

私がいつも朝礼の中で、みなさんに向かって 松下幸之助翁のお話をいたしますが、そのお話しの中に松下幸之助さんが成功した理由は三つあると言っております。一つ目は、家が貧しかったこと、二つ目は 体が弱かったこと、そして三つ目は、学歴がなかったことと三つの理由をあげております。
ふつうで考えれば、すべて失敗の理由となるものばかりです。

しかし、幸之助さんは家が貧しかったから、お金を大切にし 無駄なお金は使わなかった。体が弱かったから、人一倍 健康に気を付け身体を大事にした。
そして、学歴がなく学校をでていなかったから、耳学問といわれるよう人の話を真剣に聞いて人一倍、知識を得ることが出来たのだと言っております。

 今日お話しをいたしました 野村克也さんも 貧しいことを言い訳とせずに、プラスに捉え、『 もっと頑張っておけば良かった 』ということがないように、後で後悔がないように、頑張ったと言っておられますが、松下幸之助さんは、成功の秘訣は成功するまで続けることである。と語っておられました。

 何でもそうですが、努力に即効性はないので 結果が出るまで頑張るのです。自然の摂理で、どんな人にも 春が来て、夏が来て、やがて秋になり、冬がくるのです。 そして、春は誰にもくるのですが、努力という種をまいておかなければ、春になっても芽がでないのです。本日は、そのことを、野村克也さんの言われた 『 もっと頑張っておけばよかった 』という言葉と『 努力に即効性はない 』という言葉の中から学びとっていただきたいという願いを込めましてお話しさせていただきました。
  

Posted by 内田建設 at 18:54Comments(0)

2019年05月21日

◆ 努力に即効性はない ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 元年 5月22日(水)

テーマ  いい言葉で、人生は好転する。

◆  もっと頑張っておけばよかった  ◆

 おはようございます。本日は、野球解説者で有名な野村克也さんのお話しをしてみたいと思います。1935年生まれと言いますから 昭和10年生まれということで 現在は、84歳になられると思います。
その野村克也さんですが、京都府生まれで、二歳の時に父親が戦死し 母親も野村さんが小学校二年生の時に癌を患い闘病生活になるという厳しい生活環境の中、野村兄弟は 父親の友人の家に預けられて 小学校に通っていたそうです。そこから、学校に通うというのは、貧乏に堪えられても、親に甘えるということもできないので とても辛かったそうです。といっておりました。
また、小学校三年生になると 新聞配達をしたり夏休みはアイスキャンデーを売ったりして家計を助けて育ったのだそうです。

そんな中で、将来プロ野球選手になって 苦労している母親に楽をさせてあげたいと思い、兄の理解のもと、京都府立峰山高校に入学し野球部に入り野球部に入るのでしたが、峰山高校の野球部というのは 強くもなく 学校でも当時の野球というものは、金がかかるから廃部にしようという声が上がっていたのだそうでした。
そのような中、廃部にならないよう やり手のなかった野球部の顧問に 生活指導担当であった 清水という先生をなんとか味方に引き入れ 野球部の存続に やっと成功することが出来た というのが実情だったのだそうです。

高校三年の秋に、新聞で南海ホークスの入団テストの記事を見つけ出し 顧問の清水先生にそれを 見せ受けてみたいと言ったら、「 おまえなら、ひょっとすると、ひょっとするぞ。よし、行って来い。」 と言われ、その一言だけを自信というか 頼りにしまして入団テストを受けに行くということになるのですが、はじめは 大阪まで行く汽車賃がないので困っていたところ 清水先生が出世払いでいいから ということになりまして 大阪までの汽車賃を清水先生に借りることが出来まして、やっとの思いで プロ入団テストが受けられたというのです。
     
そして、見事 合格することになるのですが、テスト生から 一軍に昇格することは、まず、ないらしい ということも入団した後に聞かされて 呆然としてしまい やめて 帰ろうとも思ったこともありましたが、一軍の可能性としては ゼロということではないのだと思い三年間は我慢して一生懸命頑張ろうと決意したのだそうです。
野村さんのお話しでは、プロというのは「 ダメになるのも自由、良くなるのも自由 」という世界ですから、誰も「 遊ぶな 」とは言わないのだそうです。
男ばかりの世界ですから、試合が終わるとネオン街に直行する選手もいたと言うのです。勿論、野村さんもよく誘われたものでしたが、当時の野村さんは着るものも 学生服しか 持っていなかったので、内心グラグラとしながらも、行きませんと答えて、バットの素振りをしておりました。と言っておられましたが文字通り誘惑をバットで振り払ったのです。

そして、周囲を横目に見ながらも頑張れたのは、形はどうあれせっかくプロの世界に入れたのだから、後悔だけはしたくないという その一点だけであったのだそうです。一生懸命やってクビになったのであれば、仕方がない。自分に素質がなかったと諦めるしかないと思ったらしいのです。しかし、野村さんが言うには自分よりもずっと才能があったのにクビだと言われてやめていく選手がたくさんいたというのです。
そして、彼らが異口同音に口を揃えて こう言っていたのだと言っております。
『 もっと、頑張っておけばよかった。』その言葉を聞いていたから、野村さんは、悔いを残さないようにと ひたすらバットを振ったのだと言います。
もし、野村さんが テスト生でなく 契約金も給料もたくさんもらっていたのならば、誘惑に負けてしまい今、現在の自分というのは 絶対になかったのだと言っております。
その後、強打の捕手として活躍し、戦後初の三冠王に輝き名捕手、名監督として野球界に名を残すようになった野村さんですが、監督時代には、口を酸っぱくして選手たちに 言っていた言葉が、「 入団をゴールと勘違いするなよ 」「 努力に即効性はないぞ 」という二つの言葉なのだ そうです。

一流選手に憧れて、幼いころから野球一筋、それが評価されてプロの世界に入るという達成感があるのでしょうね。と話しながらもプロに入団することは、一流選手として活躍するためのスタートラインにようやく立てた というだけなのです。プロになったということは、より一層の努力をしないと やっていけないというのです。
そして、一番やっかいなことは、『 努力に即効性はない 』ということであり努力が実を結ぶまでに時間がかかるということなのです。早くても、二年 三年はかかります。だから、長い目で見た時に、努力した人と 努力していない人の差が見えてくるというのです。
野村さんは、家が貧乏だったから努力するしかなかったけれど、今の選手は才能もあり 若い時から同世代より良い給料を貰ってしまうと横道にそれてしまい、一流になる夢をどこかで捨ててしまうのだと言っております。

そして、そういった選手たちが、現在も 昔も口を揃えて言う言葉があります。『 もっと頑張っておけばよかった 』という 言葉なのです。これは、野球界だけに限らず我々の世界でも十分に通用する言葉であり「 努力に即効性はない 」ということも理解して 努力を続けてまいりたいものだと思います。

私がいつも朝礼の中で、みなさんに向かって 松下幸之助翁のお話をいたしますが、そのお話しの中に松下幸之助さんが成功した理由は三つあると言っております。一つ目は、家が貧しかったこと、二つ目は 体が弱かったこと、そして三つ目は、学歴がなかったことと三つの理由をあげております。
ふつうで考えれば、すべて失敗の理由となるものばかりです。

しかし、幸之助さんは家が貧しかったから、お金を大切にし 無駄なお金は使わなかった。体が弱かったから、人一倍 健康に気を付け身体を大事にした。
そして、学歴がなく学校をでていなかったから、耳学問といわれるよう人の話を真剣に聞いて人一倍、知識を得ることが出来たのだと言っております。

 今日お話しをいたしました 野村克也さんも 貧しいことを言い訳とせずに、プラスに捉え、『 もっと頑張っておけば良かった 』ということがないように、後で後悔がないように、頑張ったと言っておられますが、松下幸之助さんは、成功の秘訣は成功するまで続けることである。と語っておられました。

 何でもそうですが、努力に即効性はないので 結果が出るまで頑張るのです。自然の摂理で、どんな人にも 春が来て、夏が来て、やがて秋になり、冬がくるのです。 そして、春は誰にもくるのですが、努力という種をまいておかなければ、春になっても芽がでないのです。本日は、そのことを、野村克也さんの言われた 『 もっと頑張っておけばよかった 』という言葉と『 努力に即効性はない 』という言葉の中から学びとっていただきたいという願いを込めましてお話しさせていただきました。
  

Posted by 内田建設 at 18:33Comments(0)

2019年05月21日

◆ 人付き合い三箇条 ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 元年 5月21日(火)

     テーマ    社会を生き抜くために

◆ 謙虚・信念・慎重  ◆


 おはようございます。唐詩選という書物がございますが、中国は唐の時代に寒山という僧がいて天台山を訪れ豊干(ぶかん)に師事を受け、人間のお付き合いに関する 心得についてこう述べたといっております。

 人の悪を攻めるを用いず。己の善を誇るを用いず。之を行うときは則ち行うべく、之を巻くときは、則ち巻くべし。禄厚ければ責めの大なるを憂い、言深ければ交わりの浅きを 慮る。

これは、現在に例えるのであれば職場における人付き合いの三箇条となります。
他人の欠点をとがめたり、自分の長所をひけらかしたりせず、つねに謙虚な態度で人に接することが第一なのです。 だからといって 何事によらず他人に迎合するようであってはなりません。主張すべきことは堂々と主張し 容れられなければ潔く職を退くだけの 強い信念の裏打ちが必要で これを 第二だともいっております。
そして、第三には、慎重さでありまして地位が上がったらそれを鼻にかけるというのではなく責任の重さをいよいよ自覚しなければならないというのです。
また、大切な話を本音で語らなければならない時には、相手がそれに値するだけの深い関係にあるのかというところまで、考えなければなりませんと言っております。

 この三箇条を忘れずにいれば、子供であっても成功するのであろう。と寒山は言ったそうです。寒山の経歴を語るときには、役人として二代の皇帝に仕え結局うだつが上がらず終わってしまったということですが、その時の苦い体験が生んだ忠告として、坊主の説教などでは感じることの出来ない説得力を感じさせております。
  

Posted by 内田建設 at 07:03Comments(0)

2019年05月09日

◆嫌われたくない気持ちは?◆

㈱内田建設 朝礼 令和 元年 5月10日(金)
           (参考資料 2011年1月5日青春出版社発行)
      テーマ  他人を知って自分を知る道
◆ 嫌われたくない気持ちは、他人に好かれたい第一歩 ◆

 おはようございます。本日は、今日のタイトルにあるよう「嫌われたくない」気持ちは、他人に好かれたい第一歩というお話しです。
 仕事に対してのモチベーションを上げる要素は意外と単純なもので、まずは「お金を稼ぎたい」と思うことであります。その次に「自己実現」が挙げられるそうで、この自己実現とは「なりたい自分になって人から褒められたい」とか「よく思われたい」と言い換えることができるそうです。
この「人からよく思われたい」という心理は、「承認欲求」と呼ばれるもので、アメリカの心理学者であるマズローという人が説いた「欲求階層説」の5つの段階のうちのひとつとされているのだそうです。
ところが、この承認欲求がどんどん強くなってしまい、「誰からも嫌われたくない」とか「常にいいところを見せていたい」と考えるようになると、これはより強い モチベーションとなるばかりか、かえって マイナスに働いてしまうことになるのだそうです。
たとえば仕事が忙しいにもかかわらず、子供が通う学校での役員を断りきれずに 引き受けてしまい、さらに地域のイベントの手伝いも頼まれ、あちこちに顔を出さざるを得なくなるようなものですが、結局 引き受けたことはどれも中途半端になってしまい多くの人から評価されたいばかりにとった行動が結果的に自分の評価を下げることになってしまうこともあるのです。
こうした承認欲求は誰もが少なからず持っているものですが、これを聞くと私を含め みなさんの中にも耳が痛い人がいるはずだと思います。
ですから、人からものを頼まれるとつい二つ返事で返すことがクセになっている人は、すべてを自分ひとりで背負い込もうとしないで、もっと他の人に頼ることも覚えていくとよいのだと思います。いつまでも自分一人で進めていくのではなく、誰か他の人と協力して取り組んでいくと、新たな気付きを得ることもあるのです。
とにかく、どんな人にも一日というのは、24時間しか与えられていないことを忘れないでおくことが、最も大切なことかもしれませんね。そして、いつも言っていることですが、話すのは自分であっても聞いているのは他人なのです。
  

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2019年05月09日

◆ 嫌われたくない気持ち ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 元年 5月 9日(木)

       テーマ   強い心で仕事に望む

◆ 仕事ができる人は「流れ」がある  ◆

 おはようございます。最近、読んだ本の中にルーティンについて書いてある本があったので、お話しをしてみます。ルーティンで思い出すのが、ラグビー日本代表である五郎丸の忍者が忍法を使う時のような構えだと思うが、野球のイチロー選手なども バッターボックスに入る時に よく見ていますと、一連のルーティンがあります。屈伸をする、そしてバットを立てる、ユニフォームを触るという順番で行なっておりますが、こうした決まり事は集中力を高めていくのにとてもいいらしいのです。

毎回 同じ行為をすることで 一定のリズムが生まれ、その「 流れ 」の中でヒットやホームランが出るからなのだと言われております。そして、この理論はイチロー選手に限らず仕事をする人 全員にあてはまるのだそうです。

 もちろん、我々が普段から行っている仕事に例えてみると 仕事には様々な時があるので、スポーツ選手のような訳にはまいりませんが、自分で決めて上着のポケットをさわる、そしてベルトをさわるなどしていくことで 以前に上手くいった時のゲン担ぎなどをしている人もあろうと思います。
勿論それだけでは、上手くいかない時もあろうと思うが 仕事においてはこの「流れ」を意識することが、ひじょうに大事であるということが、書かれておりました。
 はじめは、順調に流れていた仕事ですが、途中で上手くいかなくなることがあるというのです。自分はこれをやろうと思っていたが、人が休んだことにより、イレギュラーな仕事が入ってきたりして「流れ」が変わってしまうこともあります。こんな時こそ、できれば慌てず、なおかつ、着実に仕事をこなさなければなりません。こんな時は、途中から 慌ててノルマを増やし、いい流れを断ち切ることの方が非効率になってしまうと書かれておりまして、上り坂では誰だって息切れをします。ですが、その前に上り坂があるとわかっていれば、あらかじめペースダウンすることが出来ます。
仕事には、必ず波があります。そして、私たち 建設業の世界では、工程表を作成してその「 流れ 」をつくり、「 流れの中 」で仕事をこなしていくというイメージを持って仕事にのぞむとする。そうすれば、途中でパンクしてリタイアすることもないしゴール前で息切れすることもなくなるのだと思います。

そんな中でも お互い独自のルーティンを持って 仕事の流れを掴んでいけるよう頑張りましょう。
  

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2019年05月09日

◆ 仕事に流れを作る ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 元年 5月 9日(木)

       テーマ   強い心で仕事に望む

◆ 仕事ができる人は「流れ」がある  ◆

 おはようございます。最近、読んだ本の中にルーティンについて書いてある本があったので、お話しをしてみます。ルーティンで思い出すのが、ラグビー日本代表である五郎丸の忍者が忍法を使う時のような構えだと思うが、野球のイチロー選手なども バッターボックスに入る時に よく見ていますと、一連のルーティンがあります。屈伸をする、そしてバットを立てる、ユニフォームを触るという順番で行なっておりますが、こうした決まり事は集中力を高めていくのにとてもいいらしいのです。

毎回 同じ行為をすることで 一定のリズムが生まれ、その「 流れ 」の中でヒットやホームランが出るからなのだと言われております。そして、この理論はイチロー選手に限らず仕事をする人 全員にあてはまるのだそうです。

 もちろん、我々が普段から行っている仕事に例えてみると 仕事には様々な時があるので、スポーツ選手のような訳にはまいりませんが、自分で決めて上着のポケットをさわる、そしてベルトをさわるなどしていくことで 以前に上手くいった時のゲン担ぎなどをしている人もあろうと思います。
勿論それだけでは、上手くいかない時もあろうと思うが 仕事においてはこの「流れ」を意識することが、ひじょうに大事であるということが、書かれておりました。
 はじめは、順調に流れていた仕事ですが、途中で上手くいかなくなることがあるというのです。自分はこれをやろうと思っていたが、人が休んだことにより、イレギュラーな仕事が入ってきたりして「流れ」が変わってしまうこともあります。こんな時こそ、できれば慌てず、なおかつ、着実に仕事をこなさなければなりません。こんな時は、途中から 慌ててノルマを増やし、いい流れを断ち切ることの方が非効率になってしまうと書かれておりまして、上り坂では誰だって息切れをします。ですが、その前に上り坂があるとわかっていれば、あらかじめペースダウンすることが出来ます。
仕事には、必ず波があります。そして、私たち 建設業の世界では、工程表を作成してその「 流れ 」をつくり、「 流れの中 」で仕事をこなしていくというイメージを持って仕事にのぞむとする。そうすれば、途中でパンクしてリタイアすることもないしゴール前で息切れすることもなくなるのだと思います。

そんな中でも お互い独自のルーティンを持って 仕事の流れを掴んでいけるよう頑張りましょう。
  

Posted by 内田建設 at 11:04Comments(0)

2019年05月06日

◆治にいて乱を忘れず ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 元年 5月 7日(火)

テーマ    素直な心を養うために

◆  治にいて乱を忘れず  ◆


 おはようございます。中国の易経という本がございますが、その中に書かれております『 治にいて乱を忘れず 』という言葉がございます。
これは、どんな平和な時でも、世の中が乱れた場合の時を考え、万一のときを怠らないということ。平穏でうまくいっている時にも、いざという時のことを考えてそれなりの配慮をしておくことが肝要であるということを言っているのです。

このことは、国家について言っていたのだと思いますが、そういった油断のない態度、心がけというものを保っていくならば、国家に限らず 個人としても団体としてもつねに危なげのない姿を、保持していくことができるのだと思います。
では、なぜ事が行き詰まり危機に直面してしまうのかと考えたときに個人でも団体でも国家の場合でも、よくよく考えてみると しばらく好調が続くとそれに慣れてしまい、なすべき努力を怠り、本来、必要な心配りも忘れてしまっていたために情勢の変化に気付かず 対応できなくなり、みずからの力が弱まってしまうから ということなのではと考えられます。

そのようなことが多くありまして また、そのような 反省点からものをみた時に『治にいて乱を忘れず』という言葉が生まれたのではないのか?と思えてなりません。

私たちが 日々の暮らしの中で お互いに 素直な心で人に接したり、一日が終わってお風呂に入る時に「 今日の俺って本当に頑張ったなあ。自分で自分を褒めてあげたい。」とか、「 今日の俺は サボってしまったなあ。これでは駄目だ、もっと頑張らなくては と思い反省する。」もちろん素直な心になったとしても、実際は同じ失敗を繰り返してしまうのだと思います。
 けれども、そういったお風呂に入る時、また、毎日 眠る前に反省することを社員のみなさんが 一人ひとり、日々生活の中で思い返してみることにするのが、『 治にいて乱を忘れず 』という気持ちになり自分の成長にまた、会社の成長につながっていくこととなるのです。

その気持ちを胸に人間本来の素直な心に目覚めていきましょう。
  

Posted by 内田建設 at 21:12Comments(0)