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2022年02月21日

◆ 天地人・直江兼続 ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 4年2月21日(月)

テーマ   機知に富んだ一言

◆ あの世の人間は、あの世に行って連れて来い ◆

おはようございます。本日のお話もかれこれ15年以上も前になるが、朝礼で話したことのあるお話です。
天・地・人という言葉がございます。人間が大きな事業を成し遂げるのには、天の時、地の利、人の和、が最も大事なのだということですが、その天 地 人に最もふさわしかった男であるのが、兜に愛という文字を掲げ戦場に出たという戦国武将の直江兼続であったのではないのか?というお話で15年程前にNHKの大河ドラマで放送されたことがありました。
甲斐の武田信玄同様、越後の虎といわれた上杉謙信の息子である 上杉景勝の名軍師としてその時代に最も名声の高かったのが、その直江兼次でありました。  本日はその直江兼続の機知に富んだひと言をご紹介したいと思います。
ある時、上杉家の家臣で三宝寺という武士が、五助という部下に罪があったので成敗をしたことがありました。 すると、その五助の家族たちは何も殺さなくてもよいではないかと、怒って抗議してきたので異例ではあるが弔慰金を出したということが上杉藩の中であったのだそうです。すると、遺族たちの中には、その慰謝料では納得せず、それなら「 死んだ人間をこの世に生き返らせてもう一度会わせてほしい 」と三宝寺に願い出て聞かないことがあったのです。
その中でも強硬なのが、成敗されてしまった五助の兄と叔父と甥であったのだといわれておりました。しかし、あまりのしつこい訴えに三宝寺は困ってしまい直江兼続のところにこのことを 持込み相談しました。 
この時、直江兼続は、五助の身内が 慰謝料の額を吊り上げるために、どうしても 死んだ五助を生き返らせてくれ 五助と会いたいのだ という無理難題に対して、じっと考え 分かったと言うと『 死んだ人間がこの世に戻るわけはない。どうしても あの世に行った人間に会いたいのであれば、お前たちがあの世に行って会ってこい 』と言って いきなり三人の首をはね、その首を河原に晒して そこの横に高札を立て『これこれの事情で、三人をあの世に送ったが、五助と会わせてやってほしい、あの世を仕切る閻魔大王へ』と嘆願書にしたという。
三人の強欲に眉をひそめていた世間の人々は、普段から領民に慕われている直江兼続の果断さに感嘆したと言います。また同時に恐れられたのだそうです。 戦国時代に部下指導の心得、組織を束ねるものの機知に富んだ一言です。
みなさんも会社やご家庭におけるそれぞれの立場、また地域の中でそれぞれに活躍されている立場の中で、良い事をした時には、周りの人から信頼を得られるような賞を、また悪い事をした時に必要な罰を、いわゆる『 信賞必罰 』をということで 参考にしていただけたらと思いお話をさせていただきました。
  

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2022年02月19日

◆ 考える技術とは ◆

㈱内田建設 朝礼  令和4年2月14日(月)

      テーマ   考える技術とは

◆  思考力格差の時代がきた  ◆

今から、30年以上前になるが袋井市消防団の地元にある第4分団の諸先輩に誘われ 入団することにした。その時の分団長は鈴木茂さんという方で、消防団活動を行う度に分団長の挨拶があり面白いお話、ためになるお話、興味深いお話などと多岐にわたってお話をしてくれた。

そういったお話を聞いているうちに いつか私もあのように人前でお話が出来るようになったら、いいのにと思い気が付けば、色々な本を読むようになっていた。そして、仕事において、地域のボランティア活動において難問が生じた時、自分が歴史上活躍された坂本竜馬、西郷隆盛という人物になりきっては、竜馬、西郷の時代に行くことは不可能であるが、竜馬、西郷が生きていたならば、どういう行動をするのだろうか?などと、考えるようになり そこからヒントをもらい、地元における揉め事などが解決できるようになってきていた。
そして、気が付けば自分も茂さんと同じく袋井市消防団第4分団の分団長になり、茂さんのように分団員の前でお話をするようになっていた。その後は、祭り青年の頭取、地元小学校のPTA会長、自治会長等を務めさせていただくようになっていた。
その自治会長を務めるようになった時ですので 今から約5年程前になるが、北地区連合自治会の会合があり、昔、地元第4分団にいた鈴木茂さんとお話をすることができた。その時の茂さんは、袋井市長の信望も厚く副市長という肩書であったので、随分遠くの人になってしまったという感じがしていた。
しかし、私のところにも気さくに話しにきてくれたので消防団に入団した頃鈴木茂先輩を見習い、本をたくさん読んで知識をつけようとした自分のお話をさせていただいた。
すると、茂さんはこういった。『 内田君 今度は違ったジャンルの本を読んでごらん 』と言われ 出来れば、大前研一という人の『考える技術』という本を読むように勧められたので、書店で買い求め読んでみたが正直言って歴史ものばかり読んでいた私にとっては、何か馴染めない気がしたが、中身を読んでみるとやがて、『 思考力格差 』の時代がやってくるのだから、今ここで思考回路を入れ替えようと書かれており、頭というのは使えば使うほど磨かれていくのだが、日本人の殆どが試験だけのために頭を使ってきたのだから、本当の意味での思考回路が絵に書いた餅のようになってしまっており変化に対応出来ないものになってしまっていたようなのだ。………だからこそ、日頃から思考回路を鍛錬し、今後、起こりうる変化に対応できる論理的な思考という武器を手に入れていかなければ生きていけなくなってくる。
今迄、私たちの頭の中にあった終身雇用や年功序列、中小、零細企業の社長と平社員でもあまり格差のない収入、こうした日本企業のシステムは完全に崩壊してしまったようである。そして、今後に訪れてくる であろう激しい格差社会どのような対応していけばよいのか?が分からずじまいでは、内田建設という内田丸も漂流、沈没してしまうのかもしれないのだ。
今から約 78年前に第二次世界大戦 でアメリカに負けた後日本という国は 司馬遼太郎の 歴史小説である『 坂の上の雲 』にあるよう一つの雲を追い続けアメリカという経済大国に 追いつけ追い越せ で頑張ってきたのであったが、やがて、追いつくというところで、一つの雲を見失ってしまったようだ。

国も企業もそうであるが、社会全体が楽な道を歩んできた結果なのかもしれない。この後やってくる格差社会にどのように対応していけばよいのかを考えれば、私をはじめ 具体的にはデジタル社会に対応が出来ない人の成功は難しくなってくるのかもしれない。
私も今までは、生意気にも多くの人からお話を聞いて学んだことや、書籍の中から失敗のない生き方に答えをさがして 間違いはないだろうと自分に言い聞かせてきたが、大前研一の考える技術という本を読んでから、根本から考え方を変えないと通用しないと思うようになった。
その一つの例としてプレゼンテーションについて書かれていた。
結局、プレゼンの目的とは相手を納得させて 相手の心を動かすのがポイントとなってくるのだから、『 言いたい順序 』ではなく『相手が納得する順序』にすることに思考回路の重点をおかない限り、いつまで経っても現象と原因という区別が出来ないまま、次の一歩が踏み出せないのが現実だと書かれていた。
そして、デジタル時代になってプレゼンのツールも格段に進化して映像や音声が使えるようになり、一見 素晴らしく見えるようになったが、論理が整理されないまま デジタル時代だといって映像だけに頼ってパワーポイントで恰好よく見せていくのだけではなく、これまでの積み重ね、現場を見てきた結果これで『 100%間違いない 』と確信を持って出された結論を言うために全部話すと50時間かかる話を45分間にまとめられることが、考える技術なのだといっている。

 話せば、まだまだあるが 覚えさせる教育の限界として、世間の親は相変わらず子供に向かって『 先生の言うことをよく聞くように 』『 宿題やった? 』『 明日は 学校なんだから、早く寝なさい 』と言っているが、結果から言うと そこから外れた人間のほうが今の世の中では成功する。のだと言っている。なぜなら、学校は、現実の価値観の変化にまったくついていけてないというのか、時代遅れの価値観で21世紀に一番役に立たない教育を行ってしまっているのだ。
最後に、新しい世界では 知的に怠惰な人間は生き残っていけないのだから、本日話した 思考回路を入れ替えるという話の他にも 本質を見抜くプロセスと古い思考パターンから抜け出すための訓練を 当社内でも行ってまいりたいと考えております。
  

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2022年02月07日

◆ 徒然草からの学び ◆

㈱内田建設 朝礼  令和 4年 2月 7日(月)

     テーマ  徒然草からの気付き

◆  ある人、弓射ることを習うに  ◆

おはようございます。本日は徒然草の中から『ある人、弓射ることを習うに』という句についてお話をしたいと思います。まず 最初にある人、と書かれております句は、そのあと、もろ矢をたばさみて 的に向かう と続きますが、初心者はこのような弓を射ることを習う時に、二本の矢を手に持って的に向かったということですが これは矢というものは 二本を一対として、「モロヤ」といいます。
そして、その一を早矢(ハヤ)、さらに残りの一を弟(オトヤ)というのだそうです。 これを、弓の師匠の言うには 初心者は 二本の矢を持ってはいけません。二本目の矢をあてにして、最初の弓をいい加減にする気持ちが生まれてしまうのだと諭しております。 このことを、あえて 高校野球に例えてみると一球をおろそかにしない。一球一球に心を込める『一球入魂』というものと同じですね。        そして、このことを徒然草では、道を学する人、夕には朝あらんこと思ひ、朝には 夕あらんことを思ひて、重ねて ねんごろに修せんことを期す。
いはんや 一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らんや。何ぞ、ただ今の一念において、直ちにする事のはなはだかたき。と言っております。

この意味を申し上げますと、仏道を修業する人は、夕方には明日の朝があるだろうと思い、朝には夕方があるだろうと思って、あとでもう一度丁寧に修業しようということを あらかじめ計画に入れておいたりするものです。
このような人たちは一瞬のうちに、怠りの心がひそむということを認識できるでしょうか?…。 いや、しないと思うのです。どうして、現在という一瞬に すぐに実行できないのでしょうか?…。その 気の緩みを『ある人弓を射ることを習うに』という句で気付かせるように申し上げていたのですね。それを思うと、今という瞬間、瞬間を大事にしなければなりませんね。

何時も私が朝礼で 申し上げているように『 今を大事にしなきゃいい未来はやって来ませんよ 』今(いま)というのは、命の間、息する間 の今(いま)なのです。
その一瞬一瞬である今(いま)を、大事にして未来を作ってまいりましょう。
何時もいっているように今頑張れば未来を変えられるのです。未来を変えられるのは、自分が今、一生懸命頑張ることなのです。それでも、皆さんの中には過去に失敗を重ねてきてしまったので、現在と未来は変えられても、過去を変えることが出来ないと 過去に起こった 過ちや過去の失敗に嘆いているのかもしれません。 しかし、ここが大切であって 過去の事実はかえられなくとも今、ここで頑張ることにより過去の意味は変えられるのです。

過去に失敗をしてしまったが、気持ちを切り替え、今(いま)という息する間、命の間の瞬間、瞬間(ときどき)を真剣に生きていくということが出来るのも、過去における失敗の経験が、あったればこそと今(いま)思えば、過去の事実は変えられなくとも 過去の意味は間違いなく 変えられるのです。徒然草の中にございます二本の矢から始まったお話ですが、目の前の事実を、しっかりと捉え、その瞬間、瞬間(ときどき)を 悔いを残さず 大事に生きてまいりましょう。
  

Posted by 内田建設 at 13:32Comments(0)