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2019年02月15日

◆ 決断と判断は異なる ◆

㈱内田建設 朝礼 平成31年2月15日(金)

      テーマ   野村ノートに学ぶ

◆ 決断と判断は異なる ◆

 おはようございます。小学館から出版されている書籍に野村ノートという本がある。この本は、ヤクルトスワローズの監督として平成4年にリーグ優勝し翌平成5年には日本シリーズも制して日本一に輝き、当時 日本一の名捕手古田敦也を育てた野村克也氏の書かれた“ 人間学 ”がぎっしりと詰まった本である。
 そんな中に指揮官の最初の仕事は、戦力分析にあるという章があり、その中には、決断と判断という言葉の違いについて書かれていた。
野村克也氏も最初は、この二つの言葉を混同していたのだが、あるとき全く意味がことなると気付いたと言っている。
 『 決断 』とは賭けである。何に賭けるかという根拠を求められるし、また決断をする以上、責任は自分で取るという度量の広さを持たなくてはならないそして、「 功は人に譲る 」という精神を持って決断しなくてはならないという。
ここから、野村克也氏がよくいう『 覚悟に勝る決断なし 』という言葉が生まれたのだと気付くことができた。
 その一方で『 判断 』とは頭でやるもので、知識量や修羅場の経験がものをいうのだと書かれており、判断するにあたっての基準、根拠はどうかを問うものであり、野球に例えて投手交代の続投か否かについて述べられている。
その基準というのが、①その投手がエースである。②次の投手との力関係③相手打者との相性④調子⑤スタミナ(疲労度、投球数)⑥アクシデント( けが )
このように野球で例えて話をしているが、会社に例えて話をしてみれば、指導者となる人間は、とことん状況判断を、知識量、修羅場の経験から的確にして、悪影響の出ない様にして出し、よい結果がもたらせるようにしていくことである。したがって、本日のテーマである決断を下すことになるリーダーというのは『 成功は他人に与え、失敗は引き受けるという度量を持って、』ということになる。
そして、判断は基準、根拠のデータを頭で理解するために問われるものであることを野村ノートから学ぶとすれば、野村監督が平成14年15年の過去二年間社会人野球のシダックスというチームの監督を引き受け、平成15年には、東京ドームで行われる都市対抗野球の決勝戦まで勝ち上がってきたことがあった。
このとき、シダックスというチームには、後にジャイアンツ入りした野間口というエース投手がいた。この野間口もいい投手ではあったが、当日の決勝戦で調子が悪く球も走っておらず、6回までヒットは2本しか打たれていなかったが、毎回、フォアボール等でランナーを出してピンチの連続であった。それでも、シダックスがリードした状態で終盤に入った。普段どおりであれば野村監督のことなので、継投策として準備していた投手を出していたのだと思うが、優勝のかかった決勝戦、ここまで戦ってきた中の一番の功労者であるのは、エース野間口だ、だから、代えないで もう少しいこうという判断になった。
結果的に終盤に逆転され、優勝を逃してしまったという苦い経験となったが、野村監督は言う、あの時の判断基準を『 不調 』ということであったのなら、途端に投手交代という決断に出られたのだが、『 信頼 』というキーワードにしたため決断を誤り勝てる試合を落してしまったのだと記録されている。

 何か、野村監督の 野村ノートの中から野村克也という男の『 情 』を感じられた出来事であったような気がして、本日の朝礼で取上げさせてもらった一幕であった。



Posted by 内田建設 at 08:48│Comments(0)
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