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2019年03月19日

◆ 俺は運が強いぞ ◆

㈱内田建設 朝礼 平成31年3月19日(火)
               (2012年1月30日発行PHP研究所資料抜粋)
    テーマ   松下幸之助翁の波乱の人生

◆ 俺は運が強いぞ ◆


 おはようございます。昨日に引き続き本日は、松下幸之助翁がサラリーマン時代のお話しで見出しとしてあげました俺は運が強いぞというお話しをしてみたいと思います。

幸之助は、大阪電灯会社への入社を志願したが、欠員が出るまでの三ヶ月間セメント会社で臨時運搬工として働くことになった。その間の出来事である。
幸之助は毎日、大阪築港の桟橋から船に乗って仕事場に通っていた。夏の頃であったが、ある日帰りに船べりに腰かけていると、一人の船員が幸之助の前を通ろうとして足を滑らせた。その拍子に幸之助に抱きついたので、二人はそのまま、まっさかさまに海に落ちてしまったのである。
びっくりした幸之助はもがきにもがいてようやく水面に顔を出したが、船はすでに遠くへ行ってしまっている。〃 このまま沈んでしまうのか 〃不安が頭をよぎった。が、ともかく夢中でバタバタやっているうちに事故に気付いた船が戻ってきてようやく引き上げてくれた。〃 今が夏で良かった。冬だったら助からなかったろうと、幸之助は自分の運の強さを感じた。

また、こんなこともあった。松下電気器具製作所を始めたばかりの大正八年ごろ、自転車に部品を積んで運んでいたとき、四つ辻で自動車と衝突したのである。五メートルも飛ばされ、気付いたときには電車道に放り出されていた。そこへちょうど電車が来た。〃 やられる 〃と目をつぶったが、電車は急ブレーキをかけ幸之助のすぐ手前で止まった。部品はあちこちに散乱し、自転車もめちゃくちゃに こわれたが、幸之助はかすり傷一つ負わなかった。

これらの経験から幸之助は、〃 自分は運が強い。滅多なことでは死なないぞ 〃という確信をもった。 そして、〃これほどの運があれば、ある程度のことはできるぞ〃と その後、仕事をする上で大きな自信になったというエピソードでございましたが、以前 松下幸之助翁が、松下電器の面接の際、自分のことを運がいいと思っているという人しか採用しなかったというお話しも案外このあたりから、きているのかもしれませんね。



Posted by 内田建設 at 11:57│Comments(0)
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