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2019年04月04日

◆ 八重洲という地名 ◆

㈱内田建設 朝礼 平成31年 4月 4日(木)

    テーマ   八重洲という地名の由来

◆  国鉄時代の仲間たちと  ◆

 おはようございます。最近、NHKの番組でチコちゃんに叱られるというのがあるのをご存じでしょうか? 実は、この番組でシルバーシートの名前を考えた人はだれでしょうか? というのがございまして、その方というのがJR東海の初代社長の 須田寛さんという方でした。時代は国鉄時代、当時国鉄本社の営業課長をやっていた須田さんが、お年寄りのために 優先席を設けた方がよいのでは?という提案に基づき 浜松工場にあった新幹線の座席シートのツートンカラーでもシルバーの生地が余っていたので、その生地を使用して優先席をもうけたのが、シルバーシートで、それが自然と定着して それ以来お年寄りに関わるものにシルバーという言葉が使われるようになったのだとチコちゃんが解説しておりました。
ここに登場してきた須田寛さん実は、私が国鉄時代 名古屋鉄道管理局(現在のJR東海)の 硬式野球部時代に名古屋鉄道管理局長をやっておられましたが、須田さんが入社したての頃、静岡鉄道管理局の営業部旅客課というところに籍が、ございました。私も昭和51年4月~8年間名古屋にて 昭和58年に名古屋から、静岡に転勤してまいりましてその頃、旅客課に籍を置いたという関係で静岡局の静と、旅客課の旅をとりまして“ 静旅会 ”に在籍させていただきました。尚、この 旅旅会というのはOBになってからも現役のJR東海の人達とのよい繋がりをもっていこうという会なので生涯この会の人達との繋がりを持たせていただいております。今年は、2月16日の土曜日に 静旅会が開催されましたが私も、須田さんと会ってNHKのチコちゃんの番組見ましたよというお話をしましたところ大変よろこんでくれました。また、チコちゃんの言葉使いは駄目だとも言っておられました。
それから、この静旅会という旅客課出身者には、須田さんだけでなく大きな駅の駅長さん県内だと新幹線停車駅の静岡、浜松、掛川、三島駅などの駅長さんも殆ど 静旅会 のメンバーなのです。勿論、中には東京駅の駅長をお勤め下さいました中田邦彦さんという方がおりまして、今年は旧交をあたためる中で中田さんともお話しをいたしましたところ、こんなお話しをして下さいました。
東京駅の東側には、「 八重洲 」という地名の商業地が 広がっております。この地名の由来は、400年ほど前にさかのぼり慶長5年(1600年)4月オランダ商船リーフデ号が、現在の大分県臼杵というところに漂着しました。この時徳川家康が、「 キリスト教を布教しに来たのか 」と問い質すと航海士でもあり貿易商の ヤン・ヨーステンは、只々、純粋に貿易をしに来たのだと答えたそうです。これに納得した徳川家康は、ヤン・ヨーステンを江戸に招き「耶楊子」という日本名を与えたそうです。
その後、ヤン・ヨーステンは、日本とオランダの貿易事業発展に尽力し日本名の「耶楊子」が「八代洲」「八重洲」と変遷していき、彼の住まいが 現在の東京駅周辺であったため『 八重洲 』という名称がつけられたというお話でした。

今から、三十年以上前に静岡鉄道管理局(現在のJR東海静岡支社)を退社した私ですが、一年に一度、旧交を深める会として また、現役の人達とは新しいニュース、将来に向けてのリニアの話などを聞いたりすると 論語の巻頭を飾る
朋有り 遠方より来たる 亦 楽しからずや という言葉のように国鉄時代の懐かしい仲間と語らえた日でもあり、学ぶことの出来た一日に感謝することが出来た一日ともなったのです。

また、自分を含め皆さんも今は面影もない、その土地の歴史に触れることによって、新たな発見が生まれるかもしれませんので興味をもってその土地、その土地の光を観て下さい。その土地における光を観ると書いて『 観光 』という字になることも新たな学習ですね。
この会社にも、足元を耕して水と肥料を適宜にやることによってやがて大きな実りが来るのかもしれません。そうなることを願って地道に努力してまいりたいと思っております。



Posted by 内田建設 at 08:47│Comments(0)
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