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2020年07月24日

◆ 喜びの三段階 ◆

㈱内田建設 朝礼 令和2年7月22日(水)

     テーマ   人間力を磨くために

◆  喜びの三段階  ◆

 今から、20年程前に松下政経塾第1期生である林英臣先生の書かれた平成の志士へ 日本復活というタイトルの本を読んだ時に 人物を育てる教育を興すと書かれた中に非常に印象に残ることが書かれていたのを記憶しておりまして、中身は本日のタイトルにあげた『 喜びの三段階 』という言葉です。

 著書に書かれております言葉の中に もともと人間には、喜びの三段階があるといいまして、赤ちゃんとして生まれた時、まず味わう喜びは、“ 何かをしてもらう喜び “です。これは、おなかが減ればお母さんからおっぱいもらう、おしめが濡れたら換えてもらうという、まず何かをしてもらう喜びの段階です。
次にくる第二段階は、はいはいができるとか、あるいは何かにつかまって立って歩くことができる。 そして、言葉を話すことができるという“ できる喜び “の段階です。ここまでの喜びの第二段階までについては、他の動物も同じで生きていくためには、出来るようになるのです。人間以外の動物については、それ以上の感情もそれ以下の感情もありませんが、人間のみが、次にくる三段階目の喜びがあるというのです。

さて、ただ今申し上げましたように このあと次に続く三つ目の喜びの段階は、“ 人が喜んでくれることを自分の喜びとする “という段階になりまして、こういう利他の感情はおそらく人間だけが持っている精神でして、人間は人が喜んでくれることを自分の喜びとするという気持ちが持てる動物だというのです。 そういう精神がなぜ必要なのかというと、人間は他人が喜んでくれるから自分を確認できるのだそうです。
 誰かのために役立っている、誰かに喜ばれているという喜びによって自分がこの世に存在する意味、価値、役割というものを確認していくのです。
誰かに認められるということ、誰かに必要とされているということほど、人間として生まれて嬉しいことはありません。

こういう段階に人間は、一歳を超えるか超えないかの頃に、早くも至っているというのです。 もう、何年も前に当社の朝礼でも述べましたが小さな赤ちゃんが、何か身の回りの物を、親のところへ持っていくと、親は「どうもありがとう。お利口さんだね。」と褒めながら受け取る。 そうするとその小さな子供は親の所へ何かものを運んで喜ばれたということを学習するという訳なのです。
そういう相手の喜ぶ様子をみて自分の幸せとする感情、これを素直に伸ばすことができれば人間として豊かな、そして世の中のお役に立てる人生が開花できるはずなのです。
 ところが、成長過程で往々にしてそういう感情は無視をされたり、あるいは「余分なことをするな」とばかり抑圧されることが多いのです。
そして、「そんなことをする暇があったら勉強しなさい」という形で、せっかく人のお役に立とうとする感情が十分育たず、しぼんだまま終わってしまう。
 しかし、第一段階と第二段階のしてもらう喜びや、できる喜び というのは、しっかりと育ってまいります。ですから、他人への依存心がやたらに強かったり、あるいは試験秀才としての勉強のみができれば事足りるとする、偏った人格が育つのではないのでしょうか?自分は、何のためにこの世にいるのか、その答えが分からない。 なぜ、生まれてきたのだろう。 自分は何をしたらよいのか?それが見つからないほど不安で、寂しく、切なく、辛いことはないのです。
 私は、若い頃 既に卒業していた 高校の先輩に 聞いたことがあるのですが、人間というのは、大きく分けると 他の人の役に立って生きるのか? また、他の人に迷惑を掛けていきるのか?の二つだと思うよと言われました。
 そして、その先輩は どうせ生きていくのなら 他の人の役に立って喜ばれる人生をおくりたいものだねと 私に向かって言われたことが今でも、鮮明に記憶に残されております。今考えるとその先輩は、成長過程において、おじいちゃん、おばあちゃんのいる温かい家庭に育ち、“人が喜んでくれることを自分の喜びとする“という『喜びの三段階』の三つ目の喜びが身についていた人なのだなあと思います。
 今後、みなさんが お子様や、お孫さんを育てていく中で ″喜びの三段階 ″を捉えられるよう 三つ目の喜びの段階をしっかりと経験してもらい、素直で豊かな世の中に役立つ人生を開花させてあげて下さい。



Posted by 内田建設 at 17:25│Comments(0)
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