› 内田建設のBlog › ◆ 哀極まりて復、盛んに ◆

2021年05月07日

◆ 哀極まりて復、盛んに ◆

㈱内田建設 朝礼 令和3年4月26日(月)
 
◆ 吉田松陰の幽囚録に学ぶ ◆

 おはようございます。本日のお話は、幕末の日本の指導者たちに大きな影響を与えた吉田松陰という人からの学びについてお話をしたいと思います。 

皆さんも既に ご存じのように多くの幕末の志士たちに影響を与えた吉田松陰という人は、鎖国が解かれた時、下田の海に浮かんでいた ペリーの黒船に弟子の金子重之助と共に小舟で近づき乗船しアメリカに連れていって欲しいと依頼しましたが、拒否をされました。    
そして、その後、その行動により牢獄につながれるという結果になるのですが、吉田松陰としては、国家存亡の危機に何もしないで ただ、見ていることなど私には出来ぬ、先ずはアメリカに行って アメリカの先進技術を学び やがて、対等な立場に持っていき 対等な お付き合いをするのだと考えに考え抜いた行動だったのです。日本国のことを考えて公の心をもっての考えは素晴らしいことでしたが、結果的には密航を企てたという罪に問われ、長州の野山の獄に大罪人として収監されことになりました。
この時、松陰は『かくすれば、かくなることと知りながら、やむにやまれぬ大和魂』という句を読んでおります。
こうすれば、こうなるということを分かっていたのだ。  しかし、国家危急の今、何もしないでいるよりは、国家存亡の危機を我が事考え、我が事と思い実行されたのです。 

ここで、私が言いたいのはこうすれば、こうなると分かっていても また こうすればよいと考えている人間はどこにでもいるが、それを行動に移すことが出来る人とそうでない人の違いであります。どんなよい事でも実行しなければ絵に書いた餅であるようにいつまで経っても食することは出来ません。
 その時、どのような行動がとれるのかということはとても大事なことなのです。因果応報という言葉がございます。原因があって結果が出る。そしてそれに応じた報いが返ってくるまさに因果応報なのです。 良い事をすれば、良い事が返ってくるというのは自然の法則でごく当たり前のことなのですが、これが なかなか時間のかかることなのですね。その反対に悪い事をすれば、簡単に自分のもとへ返ってきてしまうのです。
しかし、頑張り屋の吉田松陰先生は獄舎の中で「幽囚録」という書物を書きこう言いました『哀極まりて復た盛んに、乱極まりて又治まるは則ち物の常なり』この言葉は、究極まで衰退してもまた盛り返す。究極まで乱れてもまた治まるものです。このことは、ものの常なのですから堕ちるところまで堕ちたとしてもあとは、盛り返すだけだと常に前を向いていれたのです。
この言葉 同様われわれも春になれば芽が出ることを忘れずに頑張ってまいりましょう。但し、春は誰にも訪れますが、しっかりと種を蒔かなければ芽がでてこないということも胸に深く刻み前を向いて歩いてまいりましょう。



Posted by 内田建設 at 10:15│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
◆ 哀極まりて復、盛んに ◆
    コメント(0)