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2021年07月19日

◆ 古事記に学ぶ語源 ◆

㈱内田建設 朝礼 令和3年7月19日(月)

    テーマ    古事記物語に学ぶ

◆  間違いとは  ◆

おはようございます。本日は、古事記物語の中から皆さんがよくお使いになられております間違いの語源について少しだけお話したいと思います。
詳しくは、古事記物語の国生みの原理のところを読んでいただくとよろしいのですが、伊邪那岐命様と 伊邪那美命様が、力を合わせて国生みをされていく過程において一生懸命国生みをしているのですが、いくら頑張って努力しても陰の力が先になっていますので、ちょうど服を縫うのに糸を先にし、針をあとにしているようなもので『骨折り損の、くたびれもうけ』で国生みになりません。
この『 失敗の理 』は何であったのかと天神(あまつかみ)様にお尋ねしたところ『国生み』というのは、ただ一生懸命したらそれでよい、ということではない 『 すべての人と事と物との中にひそんでいる私の声を聞きながら、宇宙の法則を自分のものとして、創造することが、一番大切なことなのだ 』これを聞いた伊邪那美命様は、それとも知らずに間違いをおこしてしまった私達は、もう駄目なのでしょうか?』とあらためてお尋ねすると…。
『 間違いということは、お前たち自身が駄目だということではない…。』
『 間違いという文字を見てもわかるように、それは、間が違っているということなのだよ 』と言われました。
 ようするに、わかりやすく言うと人や事や物がよいとか、悪いとかではなく、間が違っているのであり…時間であれば、時の間が順番どおりに出来上がっていないのであって、間というもの自体に誤りはなく、天地自然の法則にしたがい、目的と法則が順番通りに宇宙の法則を無視しないでいくことが間違いのないことなのです。
それを、先人たちは時間のことを時の間として、土間のことを居住空間として、物体が存在しない空間としてこれらすべての間は、天地自然の法則と順番にしたがい、順序良く ″間 ″をあけていくこれが、間が違わない 間違いがないという語源なのです。
因みに、天照大神が 石屋戸(いわやと)にお隠れになられた時、天宇受売命(あめのうずめみこと)がおどり、石戸のそとで言っている言葉にこんなことが出ておりました。 暗いは、苦来、笑え、笑え…。高天原ゆすりて笑え笑え……。
やはり、いつもにこにこ笑っていると、みんながのぞむような和が来るし、人に対しても 暗い顔ばかりしていると苦労を背負って生きていかなければならないようになってしまうのかもしれませんね。私たちがふだんから使っている語源というものは案外このようなものであり 常に前向きに他人にも 自分にも向き合い 雨が、上から下に向かって降り川が上流から下流に向かってながれるように、火が下から上に向かって燃えていくようにすべて、天地自然の法則にしたがい順序よく逆らわないことが『間違い』が起こらないことだと理解してみて下さい。
そんなの当たり前だと思うかもしれませんが、この当たり前が出来ていないために不幸になっているという人間が多いのも 現在の世の中です。
では、今日から、今から間違いの語源と笑いの語源を『古事記』に学び正しく理解し より良い仕事をし、より良い人生を送っていきましょう。




Posted by 内田建設 at 15:57│Comments(0)
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