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2021年09月20日

◆ 幸せを追う不幸とは ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 3年 9月 20日(月)

テーマ  『 呻吟語 』に学ぶ

◆ 『幸せ』を追う不幸  ◆


 おはようございます。以前にもお話しをしましたが 私は 若い頃、消防団の分団長として分団員の前で 訓練が行われる度、毎日のように 挨拶や訓示などを話す機会をいただくことがありました。 

しかしながら、それ以前の人生において 野球というスポーツだけしか知らず教養のなかった 私は、努めて人間学の本を読むように心掛けました。
 そして、本を読んでいくうちに日本の陽明学の大家であった安岡正篤先生の本を多く読むようになりました。

そのような中で安岡先生の書かれた『呻吟語を読む』という一冊の本に出会うことになりました。

 『呻吟語』という本は、今から 約400年程前に中国が明と呼ばれていた頃に書かれた本でありまして、人生を語り、人間を論じ処世の道を説いたもので、第一級の人物になるための 心の磨き方などについて書かれている素晴らしい人生指南の書であります。

 その中に『 福(さいわい)は、禍(わざわい)なきより大なるはなし。禍(わざわい)は、福(さいわい)を求むるより大(だい)なるはなし 』という言葉が書かれておりましたことを、本日 あらためて思いだしながら 今一度 お話しをさせていただきます。

意味を申し上げますと、人間にはさまざまな欲望があります。金銭への欲望、性への欲望、上位に立ちたい欲望、そして幸せになりたいという欲望。

しかし、こういった欲望ばかりに目を向けて、なりふりかまわぬ行動をとりますと結局は身の振り方を誤ってしまうことがあるというものです。
あるいは、欲望の対象を手に入れたとしても、心のいやしい人間になってしまうと、『 呻吟語 』の作者である呂新吾はこのように説いております。

 不幸の無いことが、何よりの幸せであり、幸せを手に入れようと あくせくすることが、何よりも大きな不幸であるのだ と言っております。

まさに、このとおりであり、小林一茶の読み上げた句に『 めでたさも中くらいなり、おらが春 』というものがございます。この句にあるように“中くらい”
というのが、理想なのかもしれません。あまり求め過ぎると精神衛生上良くないし、結果もよくないと言うのです。

時々、朝礼の中でお話をさせていただいております 同時期に書かれている『菜根譚』という人間形成の書にも、「減らすことを考えないで増やすことばかりを考えている人間は、まったくこの人生をがんじがらめに縛っているようなものだ」と訳されております。このことを『幸せを追う不幸』と本日のタイトルとしてお話しさせていただきましたが、コロナ禍の中でもどうやら人並みに生活を送ることが出来ている 今の生活に感謝しながら 仕事に励んでいただきたく思っております。
そのうえで、この会社の経営理念の中にも書かれてございますように『 一人ひとりが会社のために、また会社が一人のために互恵協力体制の中で、明るく強い組織の大和を創り上げる。 』という目標も 常にアクセル全開ではなく、程よくアクセルとブレーキを交互に使いながら、昨日よりも今日、今日よりも明日へと一歩一歩着実に 歩を進めてまいりましょう。



Posted by 内田建設 at 05:20│Comments(0)
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