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2020年04月23日

◆ 我社の朝礼の原点 ◆

㈱内田建設 朝礼  令和2年4月23日(木)

     テーマ   働き方改革の前に意識改革 

◆ 『 吉田松陰ごっこ』の実践から  ◆

おはようございます。我が社の意識改革のはじまりは『 吉田松陰ごっこ 』の実践からというお話を過去にも一度したことがございますが、このお話を聞いていただきますと なぜ、毎日のように私が このようなお話をしているのか?ということが、理解できてくるのではないかと思われます。
それでは、吉田松陰の教育についてお話をしてまいりたいと思います。勿論、私が朝礼でよく過去にも吉田松陰先生のお話をしてまいりましたのでお分かりいただいているのではないのかなと思いますが、吉田松陰先生は山口県萩市の「松下村塾」というところで若者を教え、その教え子たちが明治維新を起こし、明治政府の要人になって活躍された ということで広く名を知られている傑物です。
吉田松陰は、僅か29歳で獄死するのですが、彼が志士たちにどのような教育をしたのか、というところが最も興味の湧くところであります。
吉田松陰は24歳の時に、浦賀に来たアメリカ船に乗って渡米しようと企てを試みましたが、それが見つかり 捕らわれて「野山の獄」というところに投獄されました。 そこで、雑居房に入れられた松陰は、たくさんの 荒くれ者たちと生活を共にするということになります。
その時、松陰は彼らに、このような提案をしました。「皆さんには、それぞれに特技というものがあるのでは、ないのでしょうか。せっかく ここに皆が集まったのですから、それを教え合うことをしませんか。」というものでした。
ある人には、「あなたは『書』が大変上手ですから、それを皆さんに教えてあげてくれませんか 」と言って、その囚人を上座に座らせ、皆で「先生」と言って敬うようにしたというのです。次に、俳句の上手な人がいると その人を俳句の先生と呼んで敬い、皆で俳句を学んだのだそうです。
そして、松陰自身は「私は何の特技もないから」といって、孟子の講義をしたと言われております。

凶悪犯の犯人は、村では小さい頃から乱暴者として邪険にされてきたために悪の道に入ってしまったようですが、彼らも生まれて初めて「先生」と呼ばれ、上座に座らされ、皆から尊敬されるという立場に置かれた時、誰しもが 感激で涙を流したというのです。
このようなお話を聞きますと 吉田松陰という人には、教育や修行で得たものだけでなく、「 天性の優しさ 」というものがあったのだと 言えると思います。

そして、吉田松陰が松下村塾の塾生に行った教育は、「あなたは憂国の志士の中でも特に優れている」とか「あなたの弁論は素晴らしい説得力を持っている」というように、一人ひとりの優れたところを見抜きそれを教えてあげることでした。また、それが「 的外れ 」ではなかったということです。それを言われた人間は「 確かに自分にはそういうところがある 」と思い、努力して素晴らしい人間になれたのだそうです。

お世辞や社交辞令などでなく、その人の持っている素晴らしさを見抜く目を、松陰は持っていたのです。「 誰にも人は良いところがある 」と彼は言い続けたそうですが、その人を見る目の根底には「天性の優しさ」がありました。

僅か24歳にして、そのような話をすることが出来たので、それを聞いた当時の荒くれ者だった囚人たちは、出獄後は、もう二度と投獄されるような反社会的なことはしなかったと言います。吉田松陰が行ったこのような教育の仕方、人の導き方が、後の私たちに大きなことを示してくれているような気がいたします。
全くの余談となりますお話をいたしますと、ある本の中に書かれておりましたことですが、人が10人。20人と 集まった時に『 吉田松陰ごっこ 』という遊びをすると、とてもよいと書かれてありました。

それが、どのような遊びかと申しあげますと 交代で一人ずつ、皆さんの輪の中心に入り、その人が「先生」となります。そして、その人は自分が他の人よりも詳しい、と思われる事について10分~15分ぐらいかけて説明するというものです。
例えば、家業が魚屋である人が、魚の見分け方や種類、あるいは鮮度というものはどういうものなのか? という説明、解説をしてもらうというものなのです。

皆さんが普通に、常識的に知っているように思われることが、意外と間違っているということも、知らないことも 多く出てくるということが、あるそうです。

そのほかにも、ファッションに詳しい人がブティックに勤めていれば、自分にとっては何でもないことであっても、他の分野の人が話を聞いた場合にそれが素晴らしい知識や情報となることがあるというのです。今から、15年くらい前になりますが、この話を初めて聞いた時にこの『吉田松陰ごっこ』というのを、わが社でも、やってみようと思って 始めたのが、現在の『 内田建設の朝礼 』なのです。
当時は月曜日に私がお話をして残りの4日~5日間を、みなさんでお願いしますとのことでしたが、みなさんより意見が出て当時専務でした私に向かって「 我々と専務では、持っている引き出しの量 」があまりにも違い過ぎるので、毎週月曜日だけ 皆さんが交代で、お話をして 残った5日間を私が担当するということになり現在の朝礼システムが出来たという訳なのです。

これが、当社の経営理念の一番 最初に出てまいります『人づくり』の原点としてスタートさせていただきました『 吉田松陰ごっこ 』のお話でした。
これによって一人ひとりのレベルアップが図られていることは、感じられますが、最近では皆さんが涙するような感動秘話が少なくなってまいりましたので『 一日一話 』に心を込めて 個々の能力だけでなく、一人ひとりの責任感と意識レベルを上げ組織力の強化を図り、本当によい会社というもの創り上げたいと思いまして みなさんと頑張っていく覚悟でおります。



Posted by 内田建設 at 08:28│Comments(2)
この記事へのコメント
いい朝礼をしていますね。また社員からの提案で、週に1日が社員で残りを社長が担当するようにしたことも良かったですね。
Posted by 喜多の山羊 at 2020年04月27日 21:43
ありがとうございます。吉田松陰の言った言葉に、『 夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし、故に夢なき者に成功なし 』とありますが、この言葉を胸に頑張りたいですね。
Posted by 内田建設内田建設 at 2020年04月29日 08:18
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    コメント(2)