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2020年08月12日

◆ 明智の人 ◆

㈱内田建設 朝礼 令和2年8月12日(水)

       テーマ  中国思想老子に学ぶ

◆  知人者智也。自知者明也。 ◆

 おはようございます。本日のお話は老子という本の33章にある『死して亡びず』というところに書かれていたものですが、タイトルに書いた漢文を読んでみますと、人を知る者は智なり、自ら知る者は明なりと読みます。
 意味を申し上げますと、人を知る者は せいぜい智者のレベルにすぎないが、自分を知る者こそ明智の人である。と言っております。
「智」も「明」も同じような意味のように思えるが、二つを比べた場合に「智」よりも「明」のほうが、一段と深い能力であることはいうまでもないのです。
 なぜならば、人を知るよりも自分を知る方が、はるかに難しいからなのです。
よく私たちは、自分の事は棚に上げ、人の事をああでもない、こうでもないと言っております。人の欠点はよく見えるのですが、その割には自分の欠点というものが見えないでいることが多いようです。それだけに自分を知ることは難しく、
孫子の兵法書にも『敵を知り己を知れば、百戦危うからず』とあります。
これは、戦いに勝つためには、敵を知るだけではまだ不十分で、さらに自分を知らなければならないということですが、これは、戦いだけでなく人生の厳しい局面を切り抜けていくためにもまったく同じことがいえるということなのです。
そのためには、「智」はもとより、できれば「明」というものを身につけておく必要があるのだといっておりますね。 それが、ここでいう自分を知る者こそ明智の人ということなのです。
  

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2020年08月11日

◆ 積小為大とは ◆

㈱内田建設 朝礼 令和2年8月11日(火)

     テーマ  二宮尊徳の教えに学ぶ

◆  譲るに益あり、奪うに益なし  ◆

おはようございます。本日は二宮尊徳の主張した思想の「譲る」という言葉についてのお話となりますが、先ず二宮尊徳が説き広めた報徳の教えは至誠・勤労分度・推譲という四本柱ですが、最後の推譲という一本は「譲る」という意味でして、このことは彼が子供の時から読んでいた中国の古い書物の『大学』という本から学んだもののようです。
しかし、彼の『 譲 』は単に余ったものを他人にあげるということではなく、
″差し出す ″という意味があるのです。差し出すという以上、その行為の底には他人に対する思いやりというヒューマニズムが含まれていて尊徳はそれを大切にしていたようです。
人間がお互いに差し出し合っていれば、その人間の住む社会というのは豊かになり、ヒューマン的なものになってまいります。そして、彼のいう一円融和といって、人の心が解け合って大きな円の中で豊かな生き方に到達していくのだと申しておりますが、それより彼は、『小を積んで大と為す』という思想である積小為大が大切であるから、結局は一人ひとりの心の持ち方というか 心構えが大切になってくるのだと言っております。
そして、一人が譲ることによって、それが大きな塊になり、世の中を動かすまでに至るのだそうです。いずれにしましても小さな事からコツコツと始める事がとても大事なことでして、この譲って差し出す行為を「推譲]という言い方をしてここから二宮尊徳の農政改革が始まっていったのです。
  

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2020年08月07日

◆ 葉隠れに学ぶ ◆

㈱内田建設 朝礼  令和2年8月7日(金)

   テーマ    偉人の残した言葉を学ぶ

◆ 只今がその時、その時が只今也 ◆

 おはようございます。本日は、江戸時代中期に肥前国佐賀鍋島藩士の山本常朝という人が武士としての心得を話されたものを、同藩士の田代陣基(たしろつらもと)が書き留められた『葉隠』という書物にのっている言葉の中で、なるほどと思われるものを一つだけ抜粋して話してみたいと思います。

 葉隠れという書物で最も有名な言葉を皆さんは、ご存じでしょうか。……?
そうです。『 武士道とは死ぬことと見つけたり 』という言葉です。よく昭和の指導者たちが、特攻隊に行く兵隊に向かっては この言葉を利用して桜の花のように潔く、立派に散ってこい! と言われたそうですが、山本常朝の言った『 武士道とは 死ぬことと見つけたり 』という 本当の意味は、命は大切だ!たった一つしかない命なのだからもっと、もっと命を大切にしなさい。決して命を無駄にするな!人間は死ぬ気になれば何でもできるのだから決して犬死だけはするものではないのだということを説いたものであって人間の緊張感を高めた言葉でしたね。
 そして、本日ご紹介する 只今がその時、その時が只今也、というものは、人としての緊張感を求める言葉であり、人間というものは 嫌な仕事や先延ばしをしたい仕事に出会うとよく『後でやるよ』とか『その時が来ればちゃんとやるよ』などと応ずる人が多いようです。
 ここで、山本常朝はそれが間違いのもとであると言っております。そして彼は『 今がその時であって、その時というのは後では来ないのだ 』と告げております。したがって、『 先延ばしをしたり、嫌だからといって避けたりするのは卑怯だ。今やらなければいけないことに対しては、堂々と腹を据えて向かい合いなさい』ということを申しております。
 と、山本常朝が言っているので この言葉を聞くと私自身も相当に耳がいたいものです。 よく、もしもの時は ちゃんとやるからと言っている人が大勢いますが、そのような人は やったためしもないし、やらない人なのですね。
本当は、もしもは『 今だ 』今の 『 い、ま、』というのは、『 息する間であり命の間 』なのです。
そう思ったら、只今がその時、その時が只今也と思い即、行動に移してまいりましょう。
  

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