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2017年03月03日

◎ ワールドカップのデンマーク代表 トマソン選手

おはようございます。この話も私は何年か前に話したことがあるので聞いた人も多いと思いますが、それ以後に、新しく来られた 小栗さんや汐澤さんなどは新鮮に感じられると思いますので聞いて下さい。

 今から、ずいぶん前になりますが日本でワールドカップが開催されました。その時は、みなさんもご存じだったと思いますが、各国の選手たちが全国に分かれて宿泊をいたしました。

そんな中で デンマークという国のサッカーチームがその年、和歌山県に合宿をしたのでした。他国のチームの殆どは、チームの練習は戦術が分かってしまうという理由で 非公開で行われていたのですが、デンマークのチームだけは、オルセンという監督みずからが、「キャンプ地を提供してくれた和歌山県の町の人々が喜んでくれることなら、何でもしてあげよう。」
それが私たちの仕事でもあるといい、「 そういうことこそが 試合に勝つことより なによりも大切なんだ。」 との考え方により、すべての練習を公開し、さらに その後には、少年達をグランドに呼び、ミニサッカーゲームをしたり、サイン会や握手会を続けていたそうなのです。

 その時の選手でトマソンという選手がいたことを前にも話しましたけれど、2002年当時は、小野選手と同じオランダのフェイエノールトという強豪チームの中心選手として活躍していた世界屈指の一流の選手でしたので、たくさんの子供たちが、列をなして並んでいたそうです。

順番が来て、一人の少年がトマソンの前で、何も言わず、もぞもぞトマソンの前に立ち尽くしていたそうです。

トマソンはその少年が気になり「どうしたの?」と聞くと、その少年は一枚の紙切れを出しトマソンに渡したそうです。その手紙は、学校の先生に書いてもらった英語の手紙で「 僕は小さい頃に、病気にかかって口と耳が不自由です。耳は聞こえません、話すことも出来ません。だけどサッカーだけは大好きです。僕は、トマソン選手が大好きなのです。」とその手紙に書いてあったそうです。

その手紙をみたトマソンは、にっこり笑い「君は手話ができますか?」と、手話で語りかけたそうです。 

しかし、手話は世界共通ではないので、デンマークの手話は、日本人には通じなかったそうです。すると、トマソンは横に立っていた通訳の人に「僕は今から彼と筆談で話をしたいので、手伝っていただけますか?」と許可をもらいさらに、後ろの列に並んでいる子供たちにも「彼と話をする時間を僕に下さい」と言い断りをいれ、少年との筆談が始まったそうです。

その筆談の中で、トマソンは「 君はサッカーが好きですか?デンマークを応援して下さいね。」と書き 少年はうなずき、そして「トマソンさんはどうして手話が出来るのですか?」とたずねたそうです。

すると、トマソンは「僕にも君と同じ試練を持つ姉がいます。彼女のために、僕は手話を覚えたのです。試練は君にとってつらいことだと思いますが、同じように君の家族もその試練を共有しています。君は一人ぼっちじゃないということを解っていますか?」と少年に優しく語りかけたそうです。  

すると、少年は黙ってうなずくと、トマソンは「解っているならOK!誰にも辛いことがあります。君にも僕にも、そして君のお母さんにも…それを乗り越える勇気を持って下さい」 その光景を横で見ていたお母さんは泣き崩れていたそうです。
さらに、トマソンはこう言ったそうです。「 僕は今大会で1点を君のために必ずとります。その姿を見た君が、これからの人生を頑張れるように僕は祈っています」と筆談で語りかけたそうです。
すると、少年が「はい。応援しますから頑張って下さい」と答え会場をあとにしたそうです。

その後、この大会で、トマソンは4点取ったそうです。しかし、デンマークはベッカムのいるイングランド負けたため、自国に帰ることになりました。

それでも、和歌山の人々はデンマークのサッカーチームが大好きでしたのでさよならパーティーを開催するということになったそうです。 
そのさよならパーティーの会場で、トマソン選手はその少年を即座にみつけ、自分のところに呼び 少年に向かって「せっかく応援してくれたのに、負けてごめんなさい」と謝ったそうです。
少年は、「負けたけど、とてもかっこよかったです。約束どおりに点を取ってくれて 僕はとても嬉しかったです」と筆談で渡すと、トマソンは「僕から君に言える言葉はこれが最後です。よく聞いて下さい。君には前にも言ったとおり、試練が与えられている。それは、神様が決めたことだから、今からは変えられない。神様は君に試練を与えたけれど、君にもゴールを決めるチャンスを神様は同様に与えてくれるはずです。 その時、そのチャンスを逃さずに ちゃんとゴールを決めて下さいね。」と言い、最高の笑顔で二人は写真に納まったそうです。
サッカー デンマーク代表のトマソン選手、こんな一流選手でもひとつひとつの出会いを本当に大切にしているのです。

というのか、もしかして出会いを大切にしているから世界屈指の一流選手になれているのかもしれませんね。そう考えてみると、我々自身が、素敵な出会いを求めているだけではなく、我々自身が 素敵な出会いになれるようなことを常に心掛けることが、何よりも大切だということなのですね。
  

Posted by 内田建設 at 14:45Comments(0)本日の朝礼

2017年03月03日

◎ 親の愛に対する 『親への感謝』 ~初月給は親のために使え~

親の愛に対する 『親への感謝』

◆  初月給は親のために使え   ◆

 おはようございます。今日のお話も今から7~8年前に林各乗先生が静岡に来た時に聞いたお話ですが、とても感動した記憶があるので思い出しながらお話してみたいと思います。

 名前はちょっと忘れてしまったので、A先生とB子さんに置き換えてお話ししてみます。B子さんの尊敬するA先生は、「初月給は親のために使え」としつこく言われていたそうですが、そのA先生の話を聞いていたB子さんが某信用金庫に勤めるようになったのが、短大を卒業して二十歳になった時でした。
彼女は、初月給を親のために使って喜んでもらおうと、両親をレストランに招待しました。お母さんは前日から美容院にセットに行ったりして大喜びでした。ところが、お父さんはブスッとして不機嫌な顔をしてついてきたようです。

「何を怒っているの」とたずねたら、「たった一回の晩飯ぐらいで、俺が二十年間苦労して育ててきたことが帳消しになると思ったら、大間違いだぞ」という。 「そんなことどうして言うの?」と思ったけど、口に出しません。
今日は、めでたい日だし、お母さんは横でもうパクパク食べ始めているし、今さら怒って帰れない。しばらく、天井を見つめていたお父さんが、ポツリと「ビールぐらい飲んでもいいか?」と 仰った。「 誰がビールなんかついでやるもんか」、そう思ったけど、つがなきゃしょうがないな と思って彼女はお酌をした。
ところが、コップを差し出したお父さんの手には、二十年間勤めたセメント工場での白い粉が、びっしり。手の甲のシワと、毛穴にまで詰まっていました。   それに 気付いた彼女は「 お父さんゴメンネ」と言いたかったけど、どうにも言葉になりませんでした。
自宅に戻ったその後、彼女がトイレに行こうとして両親の部屋の前を通りかかったら、中から話し声が聞こえる。どうせまた、お父さんが私の悪口を言っていると思ったら、それが違うのです。
「俺も五十いくつになるけど、今日みたいに美味しい晩ごはんは、初めてだった。 あいつの顔を見ていたら、俺は 涙が溢れそうになったから、天井しか 見れなかったけど、なあお前、本当にいい娘に育ったなあ」。その瞬間、彼女はそこから先に、足が進みませんでした。そのまま自分の部屋に帰って、頭から蒲団をかぶって「バンザイ!」と叫んで、布団の中で朝まで泣き続けました。
この話を彼女は二十五歳の結婚披露宴のあいさつでしたそうです。「 先生の一言があったから、私は今、こうやって幸せになりました。」これが、私たちが今、置き忘れてきた 〃情〃 の世界なんです。 点数にならない。そして、お金にもならない。しかし、それを大事にして育てていかなければ、いけないんです。今週のお話しは、林各乗 住職の話された内容のお話しでしたが、私たちも、親への感謝だけでなく子供を育てることによって親も成長していくことを再認識出来たのであったのかもしれません。
  

Posted by 内田建設 at 14:33Comments(0)

2017年03月03日

◎ 伝統行事の根底にあるもの

テーマ   伝統行事の根底にあるもの

           ◆  禊  月  ◆

おはようございます。毎年々、3月3日になると今日は、何の日と朝の朝礼で聞いておりますが、覚えておりますか? 
実は、二年前の今日になりますが『桜田門外の変』の話をさせていただいたことを、ご存じですか? あの時は、「ひな祭り」の話ではなく歴史の中での、『今日の出来事』という話になって「桜田門外の変」の話をしてしまったことを覚えておられるのではないのでしょうか?

それでは、今日は『ひな祭り』でもありますので、ひな祭りにまつわるお話しをしてみたいと思いますが、3月を陰暦では「禊月」(けいげつ)と呼びます。3月3日に禊(みそぎ)をしていたことが由来です。禊を国語辞典で調べると、「身に罪または穢れのある時や重大な神事などに従う前に、川や海で身を洗い清めること」と書かれております。
今日は『ひな祭り』でもあります。ひな祭りの起源は中国からです。  
もともとは、3月最初の巳の日に、人形に災厄や穢れを託し、舟に乗せて水に流すという水辺の大祓い行事でした。

 その行事が中国から日本に伝わって、雛人形に災厄や穢れを移して水に流す「流し雛」に変わり、やがて現在のように、豪華な雛人形を飾るという形式へと形を変えていきました。

 伝統行事の根底にあるものは、見えない何かに畏れ親しむ文化だといえるものだと思います。これは、日本古来の精神文化に根付いた見方でもあります。
 実は 目に見えないものを大切にしてきた 古代からの営みを 視野に入れて、今日一日は、目に映らない多くの人にも喜ばれる働きをしたいものです。

それでは、本日の心掛け といたしまして、見えないものに思いを馳せましょう。  

Posted by 内田建設 at 14:21Comments(0)本日の朝礼