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2018年10月31日

◆ 正しい叱り方 ◆

㈱内田建設 朝礼 平成30年 10月31日(水)
     テーマ  林覚乗住職の講和に学ぶ
◆ 豊かさがあれば、叱り方も違う  ◆

おはようございます。本日は以前にも お話をしたことのある お話しでございますが、親として 子供を叱るには こういう叱り方がよいのだ というお手本のようなものを 南蔵院 林覚乗住職の講和を聞いた中から、話してみたいと思います。

ある日の夕方、主人が入浴している風呂場に 娘のめぐみが入って行き、運動靴を洗おうとしておりました。その靴というのは、その朝おばあちゃんが一生懸命洗ってくれた靴だったのです。でも、おばあちゃんの力が弱くて、綺麗になっていなかったのです。
それが不満で、娘のめぐみがもう一度、洗い直しをしようとした。
「おばあちゃんが洗ったのなんか、少しも汚れが落ちていない。もう一度、洗わないといかん」と言ってブリブリして洗い始めた。
そして、その話を聞いていたお母さんは「だったらなぜ、自分の気に入るように洗わないの?人のしたことが気に入らないなら、自分でしなさい。だいたいあんたが横着なんだ」と言って大きな声で娘を叱ったそうです。

 ところが風呂場に入っていたお父さんは、全然叱り方が違ったそうです。

「めぐみちゃん、せっかくおばあちゃんが お前の事を思って洗ってくれたのに綺麗になっていないからと言って、一度も履かないで すぐ洗っちゃうのはいかんよ」「二日でも三日でも履いてからにしなさい。おばあちゃんが、どんなに気を悪くするか お前でもせっかく洗ってくれたものを、一度も履かないで洗われてごらん。どんな気がする?まして年をとった おばあちゃんが、洗ってくれたのだから、ありがとうと言って、二~三日履いてからにしなさい。
そうすれば、おばあちゃんだって気持ちがいいはずだ。」 「おばあちゃんに 年をとったから靴も満足に洗えなくなったと思わせてはいかん。 落胆させてはいけない。 めぐみ、おばあちゃんが、あんたの靴を洗ってくれるなんて よくよくあんたが可愛いからだよ。 本当なら あんたが年をとったおばあちゃんの仕事を手伝ってあげるのが、人間の道じゃあないかな?それを おばあちゃんが洗ってくれたものが気に入らないからと言って、洗い直しをするなんて まるで当てつけみたいなものじゃないかな?人間の行為は有難うと素直に受け止めるものだよ」とお父さんは言われたそうです。

 それを聞いた、めぐみちゃんは泣きながら頷いて、風呂場から出て行ったそうです。


このお父さんも、普段から 豊かな気持ちを持っておられるからこういう叱り方ができるんだと思います。お父さんの中に、ゆとりと言うか豊かさがあるから、素晴らしい親子関係を作っていくことが出来るのだと思います。と 林覚乗住職は述べられておりました。


こういう出会いは、我々の日々の生活の中であるのですが、その出会いにも気づかずに、大切にすることがなかなか出来なくなってきているのかもしれませんね。人からいい出会いをほしがるばかりでなく自分が 何を人にしてあげられるのか、本当に考える機会を、この朝礼を通じて考えてみて、豊かな気持ちと それぞれの家庭で いい親子関係をこれから気付いてもらえることを願っております。
  

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2018年10月30日

◆ 敬天愛人 ◆

㈱内田建設 朝礼 平成30年10月30日(火)

◆ 西郷隆盛の敬天愛人 ◆


 明治維新の立役者、西郷隆盛は、幕末の名君といわれた薩摩藩主島津斉彬に大変、可愛がられました。
そのため 斉彬が死んだ後、事実上の後継者的立場に立った 斉彬の弟久光をとても嫌っておりました。そして、西郷は久光に面と向かって「あなたには、斉彬さまのような能力はない」と罵ってしまうこともありました。

怒った久光は西郷を島流しにし、最後は、沖永良部島に流したのでした。
これは、餓死しろと言わんばかりのこともあり、西郷は死の淵をさまようことになったこともありました。

 しかし、この島で西郷は多くのことを悟ったのでした。西郷は悪戯に久光を恨むだけが能ではないと思い 薩摩藩のために、そして、日本国のために自分は一体何ができるのか、それには 何をしなければいけないのかを考え続けた。

その時、毎日見上げたのが天でした。西郷はやがて天を相手にすれば、全てのことをマクロに見ることができると悟ったのです。
よく私が、部分観でなく全体観で物事をみることによって、大きな器のバランスのとれた人間になれるのだとお話しを しておりますが、西郷は天を相手に、つまり、地上の人を愛しそのために活動するには、天を敬わなければいけないと思ったのである。
人を相手にせず、天を相手にせよ「 敬天愛人 」という思想はこうして生まれたのでした。

そして、西郷の「 敬天 」……天を敬い。 「 愛人 」……人を愛する。という間に、もう一つの考え方が挟まっておりました。
それは、「 人事を尽くして、天命を待つ 」という思想であり、ある意味、一種の 運命論を持っていて、人間の限界を知っていたために最善の努力をしたうえで、最後の最後に 神にゆだねる神の領域、天命を待つことと したのだと思われます。

  

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2018年10月26日

◆ 棟梁に学ぶ ◆

㈱内田建設 朝礼 平成30年10月26日(金)

     テーマ    鵤工舎の棟梁に学ぶ

◆ 技を伝え、人を育てる  ◆

 「法隆寺最後の宮大工」西岡棟梁の後を継ぎ徒弟制度で多くの弟子を育て上げた鵤工舎の小川三夫という棟梁が書かれた本があります。読んでみるともの凄い言葉に出会えます。
 そのひとつに、人から人へ技を伝えるというのは容易ななことではありません。言葉や数字データ、映像に頼ってものを学んできた若者にそのことを教えるだけでも簡単ではないのです。と書かれておりましたが この本の中にあった今の受験社会、学歴社会についても上手に表現してくれている言葉を紹介してみましょう。

 学校では先生が教科書を使い、黒板を駆使して教えてくれます。子供達は教わることが当たり前だと思っています。教われば、わかると思っています。
教わらないことは知らなくて当然だと思っています。学校は一年が経てば進級し、三年経てば卒業します。学校には期限があります。生徒はみんな同じ能力であると設定され、同じ方法で、同じ期間学びます。進級するには最低、決められた点数を取ればいいのです。
その点数を取るためには、近道があり、早道があり、要領があります。

学校ばかりではなく、塾も予備校も、家庭教師も それを教えてくれます。
このすべてが、技や感覚を師匠から受け継ぐための障害になるのです。
少なくともこの方法に慣れた子供に、技を教え、感覚を身につけさせることは無理です。技も感覚も大工の考え方も、本人の身体が身につけるものなのです。

体に記憶させる、体で考える。このことを理解してもらうには、親方や師匠と一緒に暮らし、一緒に飯を食い、一緒に働くしかないと思っています。
その手段には、早道も近道もありません。と書いてありました。
そして、小川三夫さん自身の体験で西岡棟梁に弟子入りをして、修行時代に一番先にやらされたことが刃物研ぎということが書かれておりました。
ここから、しばらく 小川三夫さんの話された会話のとおりの お話しをいたします。

初めに「道具を見せてみろ」と言われノミや鉋を見せたら、ポンと捨てたな。こんなものは 道具やないと いうことやな。 それで、後にも先にも一回だけ「これと同じような鉋屑を削れるようにしろ」と自分で削った鉋屑を一枚くれたな。向こうが透けて見えるような、均一な見事な鉋屑やった。
それを窓に貼って、それを見て毎晩刃物研ぎや。
そういう鉋屑を削れるようになるのは技術以前の話や。まず刃物が研げなかったら絶対にそんな鉋屑は出んのや。

それからというものは、朝起きて飯を食ったら、一緒に法隆寺に行って作業をして、帰ってきたら 飯を食って刃物研ぎや。ただ、ひたすらに刃物を研ぐ。それだけや。腰がピタッと据わって刃を力まずに押さえて 行き来するだけやが、この言葉で言って 意味がわかるのは 研げるようになったやつだけや。
自分の身体が考えの通りには動かないことに まず気が付かな、ならん。だから修行するのや。言葉や考えが役に立たないことにも気が付かな、ならん。
無心で研げるようになって、初めて刃物が研げるようになる。じゃあ無心ってどういうもんかと考えるかもしらんが、刃物が研げたときや。答えは刃物や。

 「答えは刃物や」って 凄いことばですね。この言葉は小川三夫さんが 悩みながらも研いでいるうちにある日、「おっ」思い、いい刃物が研げるようになった時に、自分が、来る日も来る日も研いでいた刃物が、どれだけ削れるのだろうと思い道具を使ってみたくなった時の心境ですが、どれだけ削れるのか、削りたくて、削りたくてたまらなくなってきた その時が一番仕事を覚える時だといっております。
もちろん、刃物研ぎは まだ第一歩の段階ですが、本当を覚えるのには、時間がかかる。時間はかかるが一旦、身についたら、体が今度は嘘を嫌うと言っております。 一心不乱に研ぐことによって、大工としての感覚と研ぎ澄まされ精神も養われるというお話しをしてまいりましたが、その他にも芯を決めて使うということが、印象に残りました。
それは、材料だけでなく人間の社会にも言えることで、面のいいやつだけ集める。 また 同じ規格を集める。これでは 癖のあるやつは、はじかれてしまうと言っておりまして 本の中でも 癖を生かすことができれば、強く面白い物ができるのに、そういうのを捨ててしまうから結果的に競争に負けてしまうことになるのだといっております。
そして、芯仕事ができないと、不揃いの木で建物がたてられないということをいいながらも、今から千三百年以上経っている法隆寺というのは、不揃いの部材でできているのだ と、述べております。
今の大工は、寸法だけをみて寸法どおり組む癖がついているから、なかなかこんなことはできないが、この不揃いの部材や木で建物を建てていくというのは、芯を通してそこから物を作っているから、出来上がったものが一個一個で支え合い、総持ちで、荷重を支え重さを上手に分散させて柱に伝え 重さを利用して建っているのだと言っております。 また、形は不揃いでもいい。それをどう使うかで、うまく使いさえすれば丈夫な建物になる。

癖や曲りをみんな捨ててしまうという考えでは、あかんな。曲りや癖は才能みたいなもんや。それをどう生かしてやるかが、大工の仕事なのだということをいいながら、技を伝え、人を育て引退を機にこの本を書き上げておりました。

 朝の朝礼の5分、10分だけでは上手く伝わらなかったと思いますが、当社の人づくりに書かれてございます 第一に礼節を重んじ、こころの鏡を磨き、一点の曇りなき澄みきった気持ちになるよう、気迫をもって人材の育成に努める。
ことの足しとなるような気持ちでお話し致しました。
  

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2018年10月25日

◆ 摂受門と逆化門 ◆

㈱内田建設 朝礼  平成30年10月25日(木)

      テーマ  人づくりの中で

◆ 「 摂受(しょうじゅ)門(もん) 」と「 逆化(ぎゃくげ)門(もん) 」 ◆

 当社の経営理念 三つの柱の最初に掲げてございますのが、人づくりでございます。人づくりにあたり様々な書籍にて勉強をしてみましたところ平成の元号を考えた安岡正篤先生の 活学講和 東洋人物学という本がございまして、人を説いていくには、本日のタイトルにあげた「摂受門」と「逆化門」というのが書かれておりましたので、本日はこのお話しをしてみたいと思います。

この「摂受門」というのは、きわめて素直に、穏やかに辛抱強く、真直ぐの階段を経ながら説いていく方法であります。しかし、この方法を真直ぐ受け入れられない 捻くれて素直でないものについては「摂受門」では教化できない場合がございます。こういう者を教化するには、仏法に「逆化門」という教化の方法があるというのです。
たとえば、つまらんことを 言ったり、目を怒らせて口をとんがらせて食ってかかってくるような相手には、ウンウンと穏やかに聞くのではなく、いきなり耳がつん裂けんばかりに目から火が出るほどに頭から大喝を浴びせる。 痛棒を食らわせるというのです。
あるいはまた、相手をますます苛立たせ、怒らせ、極度に昂奮させるように、罵詈讒謗を浴びせる。こうして相手に非常な衝撃を与えることによって、急転直下、こちらの思うところに引き落とす、これが「逆化」というものです。
 この逆化門に出てくる話の中に大偽大円禅師という名を朝廷からもらった人の弟子に香厳智閑という弟子がおり、頭が良く物知り、蔵書家であり当代一の秀才であったといわれておりました。この男の若かりし頃、慧鶴という名で呼ばれており、慧鶴は五百年来わしのような天才は出たことがないと、すっかり天狗になっていて、どいつもこいつも馬鹿に見えてしかたがないと思っていたところ、一人の友達がこう言いました。「お前がそんなにいうなら、長野の飯山というところに 正受という偉い老師がおられるので、そこに行ってこいよ。」「何ほどのことがあろう」と思って、慧鶴は出かけて行きました。正受を訪ねると慧鶴は自ら学んだことを、さんざん喋りまくったのです。そして、喋り疲れた頃、正受は一喝して言いました。「そんなことは貴様の耳学問じゃ。どこかで聞いたこと(学得底)じゃ。何がお前の本当に掴んだもの(見性底)か 」
これには慧鶴も一言もない。絶句しているところに、「この馬鹿野郎!」と怒鳴られてしまったのです。
 五百年来、俺ほどの大秀才はおるまいと思っていたのに、一喝にして「馬鹿野郎」になってしまったのです。この正受という和尚は、「逆化」の師だったのでしょう。
 それからというものは、慧鶴が何を言おうと、何をしようと、返事はいつも「馬鹿野郎!」です。 これには、慧鶴もすっかり神経衰弱になってしまい、そこから苦しい修行が始り、遂に真実に到達して如来したのです。
やむなく慧鶴は武当山という山にこもり、本当にすべてを投げうって修行に入ったのでした。
あるとき、掃除をしておったら石か瓦でもあるのか、箒の先に引っかかってポンと竹にあたって音をたてた。撃竹、竹を撃つ。その音を耳にして慧鶴は、はじめて豁然として悟ったのです。これが、「香厳撃竹」といわれる有名な話で耳学問や、文献なのではなく石が音をたて竹林に響く音を、自分の耳で、五感で感じとるという 本来の自分に戻ることができ悟りを開いたのだそうです。
やはり、いくら書籍や文献を読んでいても自分の視覚、聴覚、嗅覚など自分自身の身体で努力して掴まなければ自己の再発見は出来ないということなのです。
そして、「 摂受門と逆化門 」というのも、人づくりの中では欠かせないお話ですね。併せて覚えておいていただきたく思いました。
  

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2018年10月24日

◆ 無友不如己者 ◆

㈱内田建設 朝礼 平成30年10月24日(水)

     テーマ    師となる友を持つ

◆ 無友不如己者 ◆

 おはようございます。本日のテーマ師となる友を持つ の下にタイトルとして書かれた漢文は「 己に如かざる者を友とるなかれ 」と読みます。
意味を申しあげますと 自分より劣った者を友としてつきあってはいけない ということであります。
これは、人間形成を行っていくうえで友人の影響はとても大きいものです。したがって 自分自身を成長させるうえでは自分よりも優れた考えをもった人とつきあったほうが、役立つのだということについて述べております。
 さらに孔子は、益者三友、損者三友 とも言っておりまして友人として付き合って ためになるのは、一つ目として 剛直な人、二つ目として 誠実な人、さらに三つ目、教養のある人だといい、それに対し、ためにならない人も三人あるのだと言っております。
 一つ目 易につく人、二つ目  人当りばかりよい、三つ目として 口先だけがうまい人だと言っております。
 南北朝時代の顔之推(がんしすい)という人物も『顔氏家訓』のなかで こう語っております。
「香りの高い花を生けた部屋に住み慣れた人は、いつの間にかその芳香が身についているものです。 これと同じで、優れた人物を 友にもてば、長い間には自分もまた香気を放つ人物となれるのです。だから、友人との交際に関してはくれぐれも慎重でありたいものです。」という教えを説いております。
如何でしょうか? これが、中国古典に学ぶ友の選び方として、また人生の生き方として2500年前から ことわざに残っているお話しでした。
勿論、友人を選ぶ前に自分も選ばれるにふさわしい人となる努力も怠ってはなりませんので併せて申し上げておきます。
また、友達どうしだから お互いに助け合おうね。という言葉もよく耳にいたしますが、助け合いたいと思ったら 自分も相手を助けられるように力をつけておくことが、最も大事なことです。相手を助けることができない人にどうして助け合いができるのでしょうか?それでは 助け合いではなく もたれ合いになってしまいますね。自分が相手を助けられるよう努力して力をつけるよう努力しましょう。
力をつけて相手を助けられることが、実は自分も助け手に恵まれるということなのだと思います。
  

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2018年10月20日

◆ 画龍点睛を欠く ◆

㈱内田建設 朝礼 平成30年10月23日(火)

◆   画龍点睛を欠く   ◆

今朝は、「画龍点睛」の故事にちなんでの お話しをしたいと思います。前回も確かこの話をさせていただいたことも ございましたが、その時のお話しではコンクリート打設した後の仕上げには細心の注意を払っていただきたくお話しをしたように記憶しております。

この「画龍点睛」という言葉は、物事を完璧にするための最後の仕上げを意味する言葉として用いられますが、現在は『画龍点睛を欠く』として最後の最後に失敗するな という意味で使われることが多くなってきたのだと思います。
故事の中では、最後の仕上げをしたために 大変なことが起きてしまったのです。

 中国の南北朝時代、梁(南朝…502~557)に張僧窈という名の画家がおりました。 この画家の技術は、素晴らしく当時の梁の武帝は彼に多くの寺院に龍の壁画を 依頼されました。その中でも安楽時の壁に描かれた4匹の金龍はあまりにも有名なお話しで 彼は、今にも天に昇りそうな龍を描いたものの、彼は、瞳を描かなかったのです。彼は、瞳を描けば龍は壁画から飛び出し、天に去ってしまうからだと言いました。
しかし、人々は誰もこんな話を信じません。信じないどころかこいつは本当にいい加減のことを言っている、壁に描かれた龍がどうして飛んでなどいくものかといい、彼は大嘘つきだと言われるようになりました。すると彼は、仕方なく龍に目を入れよう。ただし4匹の龍のうち2匹だけだと人々に約束をするのでした。約束の日になり寺の壁の前には大勢の見物人が集まりました。
そして、彼はついに龍の瞳を描くことになったのでした。彼が大勢の見物人の前で2匹目の龍に目を入れたところ、空には黒雲が広がり激しい風とともに雷鳴がとどろき稲妻が走るのでした。雷鳴の中 目が描かれた2匹の龍が壁を破って起き上り、牙をむき出しに爪を躍らせるように天空に飛び去り、壁画から龍の絵は消えてしまったというお話です。   
その後人々はこの伝説に基き、文章では大事なところに素晴らしい一言をいれ要旨を明確に、絵画や文字建造物など最後に魂を入れて仕上げることを「画龍点睛」と呼ぶように、また折角 綺麗に出来ているのに最後のところで肝腎なことを忘れてしまうことを 「 画龍点睛を欠く 」と呼ぶようになりました。
  

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2018年10月20日

◆ 鍋島直茂の言葉 ◆

㈱内田建設 朝礼  平成30年10月17日(水)

テーマ   鍋島直茂の戦う者の言葉

◆  人間には、上中下の三種類ある  ◆

おはようございます。九州地方には西の 最強武将として義に最も厚いという有名な 立花宗茂と 肥前佐賀藩の藩祖として人間通で有名な鍋島藩の鍋島直茂という有名な大名がおりました。
本日は、その九州鍋島藩の鍋島直茂の感じた人間学についての言葉を、お話してみたいと思います。
その鍋島直茂は、人間を上中下の三通りに区別したと書かれておりますが、文章の表現上、そのまま、である体にて申し上げます。
「上というのは、他人のいい分別を学んで、自分の分別とすることである。」
「中というのは、他人から意見をされて、その意見を自分の判断に変える人間である。」
「下というのは、他人から良いことを言われても、ただ笑って聞き流す人間を言う。」

そしてこう整理いたしました。

「上の人間は、他人のいいところを自分の胸から腹に飲み込んで、もう一度吐き出す。」 
「中は、他人から学んだことを、飲み込むが、そこから下に落とさない。また、二度とでていくことはない。」
「下というのは、どんな、に良いことを聞いても耳にさえ入らない。こういう違いがある。」
上、中、下と人それぞれの解釈の仕方があるが、今 自分はどこに位置しているのだろうか? 参考にしていただきたく思います。
少なくとも今現在、下であると自分で思っている人がいれば、即刻やめていただきたく思います。
なぜならば、悪貨は良貨を駆逐するという言葉のとおり腐った果実があれば新鮮で腐ってない果実もやがて腐ってしまうということになるからです。

  

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2018年10月15日

◆ 瓢箪から駒が出る ◆

㈱内田建設 朝礼 平成30年10月15日(月)

テーマ     機知に富んだひと言

◆    瓢箪から駒が出る。   ◆

おはようございます。 本日は、何年か前に皆さんに 一度 朝礼でしたお話ですが、「瓢箪から駒」というお話を致します。

この言葉については、みなさんもご存じのとおり意外な所から意外な物が出ることの たとえとして冗談半分の事が事実になってしまった時などに言っていると思うのでありますが、戦国大名の伊達政宗の話があまりにも有名なのでお話ししてみたいと思います。

大阪夏の陣の時、長きにわたっての陣になってしまったので大名たちは退屈していました。その頃、香合わせという遊びが流行っておりまして香を焚いてその匂いを嗅ぎ、「これは何とかいう香木だ」と当てっこをするというようなものでした。そして当てた人には褒美として高価な品物が出るというものでした。
これは参加者が、お互いに褒美になるものを持ちよるというものでしたが、ある時、伊達政宗は の香合わせに参加して褒美に瓢箪を出すという行動に出ました。
これには、皆、揃って伊達政宗のことを軽蔑するのでした。
ところが瓢箪を引き当てた武士に、政宗が言ったのです。「あの木に繋いである白馬を差し上げます。」その、様子を見ながら政宗は笑ってこう言ったのです。
「よく言うではありませんか。瓢箪から駒が出ると」諸大名たちは、政宗が田舎大名だと言って馬鹿にしていたのだが、意外にも教養のあるユーモアに、自分たちが恥をかかされたという気持ちになりました。

このように、ビジネスの現場で活きる、戦う者の知恵を上司として、部下指導の心得、組織を束ねる者の才覚を戦国武将の言葉から学んでいくのも私の仕事として続けていくつもりですが、みなさんも含蓄ある言葉をよく理解いただきまして、職場の中、あるいは家庭に帰ったとき、地域の中で使っていただき豊かな社会生活を育んでいただきたいと思います。
  

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2018年10月05日

◆ 積小為大 ◆

㈱内田建設 朝礼 平成30年10月5日(金)

    テーマ  人生に役立つ 偉人の言葉

     ◆  譲るに益あり、奪うに益なし  ◆

 おはようございます。本日は、これからの人生に役立つ言葉として二宮尊徳先生のお話しをしてみたいと思います。二宮尊徳という人は、江戸時代 後期の経世家、農政家、思想家として世に知られておりますが、一般的には金次郎という名前で知られており、よく小学校などの正門の近くに薪を背負って本を読む二宮金次郎 少年の銅像がございました。

 子供の頃この銅像を見ては、二宮金次郎さんって薪を背負って働きながらも時間を惜しんでは 勉強している 偉い人だなあ とは思っておりましたが 何をした人なのか、ということまでは、大半の人が知らなかったのではないのでしょうか。

 簡単に申しあげますと、金次郎の家は、現在の小田原市にあったのですが、家の近くの川の堤防が台風により決壊し、金次郎の住む地域が濁流によって流されてしまい田畑は崩壊 家も流失し、早くに父母を失い、大変な借金を抱えて貧乏になってしまったのでした。

その後、昼間は 一生懸命 田畑の仕事に精を出し伯父の家を手伝いながら、夜は、屋根裏部屋で 菜種油の火をたよりに、明りを灯して 学問に励むという苦労人でありました。
 
大人になってからというのは、自分の家はもとより小田原藩で家老をしていた服部重兵衛から、服部家の家政の立て直しを頼まれると服部家の財務を整理して千両の負債を整理し、余剰金300両を残すことになり自らは一銭の報酬も受け取らなかったため、大変、評判があがり小田原藩内で尊徳の名前が知られるようになり、小田原藩内で多くの家や多くの村の救済 再興を成し遂げ、幕府の役人として働くまでになりました。

そのような中で、二宮尊徳が主張した思想のひとつには「譲る」ということだと言っております。これは、彼が子供の時から読み続けていた中国の古い本である『大学』の中から学んだものでありまして、「譲」には単に余ったものを他人にあげるのではなく〝差し出す〟という意味があると言っております。
指し出すという以上、その行為の底には他人に対する思いやりが含まれているというのです。尊徳はその考えを大切にしていたというのです。
人間がお互いに差し出し合っていれば、その人間の住む社会は豊かになり、人間味が溢れてくる。

つまり彼の言う〝一円融和〟( 人の心が解けあって大きな円の中で豊かな生き方が出来る )に到達するといっております。
しかし、それも彼のもう一つの思想である〝 積小為大 〟( 小を積んで大と為す )が大切であって、結局は一人ひとりの心構えが大切だということになるのです。
一人ひとりが譲ることによって、それが大きな塊になり、世の中を動かすまでに至るというのです。個人が小さなことからコツコツと始めることが大切だといっております。

彼はこの「譲る」ことを「推譲」とよび 差し出すという意味だと言っている。
そして、二宮尊徳は徹底して誠を尽くした暮らしをすることを「至誠」といい至誠によって行いながら働くことを、「 勤労 」とよび 至誠は心の状態を意味し勤労は行動によって現れた状態を意味しております。尊徳が唱える「 勤労 」とは単に働くことではなく、日常のすべての勤労の行動を心が誠の状態で行うことなのです。そうしていくと無駄がなくなり、自ら贅沢を謹むようになってくるのです。これを尊徳は「 分度 」といい身の丈にあった暮らしをすることだと説いております。
 最後に分度して残った剰余他に譲るというのです。それが、先程申しあげました「 推譲 」というものなのです。
至誠、勤労 分度の結果、残ったものが推譲されるのですが、「 至誠 勤労 分度推譲 」を貫徹しますと人間は、物質的にも精神的にも豊かに暮すことができて経済が潤っていくと二宮尊徳は、教えております。
「 至誠、勤労、分度、推譲 」の実践の中で徳が徳によって報われていくと言います。これが、報徳の思想として二宮尊徳は、伝え広めていったのです。

 そして二宮尊徳は、「 損得より先に善悪を考えよう 」という教えを後生の人に伝えております。

本日、朝礼でのお話しを聞いて 二宮尊徳とは、何をした人なのか?ということと、その偉大さが、少しは分かっていただけたのでは、ないのかなと考えております。
  

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2018年10月04日

◆ 責任感を持つ ◆

㈱内田建設 朝礼 平成30年10月 4日(木)

      テーマ  責任感を持つ

◆  戦国指導者の責任感   ◆

 おはようございます。今は亡き、松下政経塾を開かれた松下塾長の指導者の条件という本の中に責任感の持ち方について、次のようなお話しがございました。

 秀吉が毛利と戦った時に、彼は高松城を水攻めにしたことがありました。
長大な堤を築き、近くの川の水を流し込んで城の周囲を湖と化したのでした。
 秀吉の大軍に囲まれ、水のため援軍の手も絶たれ高松城では食料もつきはて城兵はただ死を待つのみという状態に陥っていったのです。
その時、城の守将であった清水宗治は、自分の首とひきかえに 城兵の命を助ける という秀吉の出した講和条件に喜んで応じたのでした。そして、みずから舟をこぎ出し、敵味方の見守る中で、従容(しゅよう)として切腹したと伝えられております。というお話をもとにされ 次のように書かれておりました。

 こうした話は、他にもたくさんあるようですが、そのような かたちで 命を捨てて、部下の命を救うということが、戦国の武将としての一つの心構えだったのだと思うと、また、よく〝一将功成りて万骨枯る〟ということがいわれておりました。一人の大将が輝かしい功名をあげていくその陰には、多くの兵卒が命を落とすといった大きな犠牲がはらわれているということだろうが、これは一面真実をついていると思うけれど、ただ何もなくても万骨が一将のために命を捨てるものではないだろうと書かれておりました。
そのうらには清水宗治のように、戦ってもこちらに利がないと判断したとき自分の命を捨て、家来の命を助けるという大将の心意気と責任感があってこそ家来も命を賭けてでも働いてくれる力になっていると書かれておりました。

 私が何時も言っている どこまでわが事と思えるか?という言葉のように 一国の首相であれば国家、国民のため、社長であれば会社、社員、社員の家族ため、さらに部長、課長であれば、部や課のため、部や課の家族のために我がこと と思い自分の命を捨てるのだという心意気を持たなければ、〝一致団結〟出来ないし、またそういった覚悟をもった 気持ちになることで、部下も長を死なしてはならないという気持ちになり〝一致団結〟して事にあたるようになるのです。
 松下幸之助翁の言っておられる〝一将功成りて万骨枯る〟というのも一面の現実ですが〝一将死して万骨生きる〟というのも、一つの真実として捉えるのならば、それぞれの人が それぞれの立場の中で、戦国指導者や戦国武士としての責任感を持たなければならないということなのです。
近年になって、義務も果たさず、権利ばかり主張する ものが多くなったといわれますが、全ては、それぞれの立場で責任感がないからこうなるのでは、ないのでしょうか? 責任感を持つということは生きていくうえで最も大切なことなのかもしれません。今一度考えてみて、自分に問いかけてみて下さい
  

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