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2018年10月30日

◆ 敬天愛人 ◆

㈱内田建設 朝礼 平成30年10月30日(火)

◆ 西郷隆盛の敬天愛人 ◆


 明治維新の立役者、西郷隆盛は、幕末の名君といわれた薩摩藩主島津斉彬に大変、可愛がられました。
そのため 斉彬が死んだ後、事実上の後継者的立場に立った 斉彬の弟久光をとても嫌っておりました。そして、西郷は久光に面と向かって「あなたには、斉彬さまのような能力はない」と罵ってしまうこともありました。

怒った久光は西郷を島流しにし、最後は、沖永良部島に流したのでした。
これは、餓死しろと言わんばかりのこともあり、西郷は死の淵をさまようことになったこともありました。

 しかし、この島で西郷は多くのことを悟ったのでした。西郷は悪戯に久光を恨むだけが能ではないと思い 薩摩藩のために、そして、日本国のために自分は一体何ができるのか、それには 何をしなければいけないのかを考え続けた。

その時、毎日見上げたのが天でした。西郷はやがて天を相手にすれば、全てのことをマクロに見ることができると悟ったのです。
よく私が、部分観でなく全体観で物事をみることによって、大きな器のバランスのとれた人間になれるのだとお話しを しておりますが、西郷は天を相手に、つまり、地上の人を愛しそのために活動するには、天を敬わなければいけないと思ったのである。
人を相手にせず、天を相手にせよ「 敬天愛人 」という思想はこうして生まれたのでした。

そして、西郷の「 敬天 」……天を敬い。 「 愛人 」……人を愛する。という間に、もう一つの考え方が挟まっておりました。
それは、「 人事を尽くして、天命を待つ 」という思想であり、ある意味、一種の 運命論を持っていて、人間の限界を知っていたために最善の努力をしたうえで、最後の最後に 神にゆだねる神の領域、天命を待つことと したのだと思われます。




Posted by 内田建設 at 15:50│Comments(0)
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