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2024年02月19日

◆ 最後の夕陽に感謝 ◆

伊勢神宮参拝を終えて 令和6年2月19日(月)

       テーマ  魂が震える話

◆   御願いの前に感謝を  ◆

袋井YEG商工会議所青年部OB会の皆様こんにちは、昨日はコロナ禍以来、久しぶりに伊勢神宮への正式参拝に行ってまいりました。天候は残念ながらの雨でございましたが、伊勢神宮での参拝は その雨によりいろんなものを洗い流していただき新たな気持ちにさせていただきました。
このYEG、OB会の伊勢神宮への参拝は私がOB会長になった時から始まりましたので、お誘いいただいた時、ありがたく参加させていただきました。また、私が一番の年長ということでしたので、後輩OB諸君は その都度 色々と気を使っていただき私に挨拶をということで、お話をさせていただきました。
そのような中で、袋井に帰ってきた後 その日最後の挨拶を求められました。そこで、せっかく後輩たちに挨拶させてもらうのだから皆さんの心に残るお話をしようと思いこんなお話をいたしました。今日のように全国から大勢の人が参拝に来ている中で御願いするときは、神様に自分の住所と名前、生年月日等を伝えて下さいね。というお話を皆さんの反応を見ながら させていただきました。 その話を聞いていた皆さんの反応は、なるほどという感じはしたのですが皆さんは、笑いを浮かべ 半信半疑できいておりました。
その後、夕日にまつわるお話を少しさせていただきました。 毎年の事ですが、新年を迎え一月一日の 初日の出に拝み 願い事を頼む人はたくさんおりますが大晦日の夕陽に手を合わせ、お天道様、今年一年ありがとうございました。…
…と手を合わせる人は何人いるでしょうか?  これは、感謝の心を忘れず一日一日を前向きに生きることが如何に大切で、寧ろ御願いをするよりも本当は感謝の心で生きようという気持ちを、本日の伊勢神宮の参拝の日に袋井YEG OBのみなさんに知っていただきたくお話させていただきました。そして、同じ祈るなら自分のことより、多くの周りの人の幸せを祈れるような人間であってほしいと話させていただき、お開きとなりました。
  

Posted by 内田建設 at 11:53Comments(0)

2024年02月12日

◆ 100年前の恩返し ◆

(株)内田建設 朝礼 令和6年2月12日(月)

テーマ   100年前の恩返し

◆    エルトゥールル号の恩返し    ◆

おはようございます。本日はエルトゥールル号の恩返しのお話をみなさんにお聞かせしたいと思います。1980年 国際紛争が続いていたイランとイラクは1985年にイラクのフセイン大統領によるテヘラン爆撃声明により、戦争がはじまりました。この頃、イランの首都テヘランには世界の先進国が出資した会社が220社以上ありました。勿論、日本の会社も多く 家族一緒にテヘランで生活している日本人も大勢いてイラクから攻撃を受けようになってまいりました。1980年から続く紛争も1985年になるとテヘランの北部がイラク機に爆撃されるようになり不安はさらに広がっていました。そして、その年の3月18日イラクのフセイン大統領は、イランの上空を航行禁止区域とし全ての航空機は攻撃対象とすると発表しました。この時点で、テヘランに在住する日本人は、およそ500人程 おりましたので、日本の外務省は直ちに引き上げ用のチャーター機の手配に入りました。
しかし、日本が チャーター機を手配し始めようとした時、イランがイラクの首都バグダッドへのミサイル攻撃を始めてしまいました。事態はますます悪化し、この時バグダッドで二人の日本人が負傷してしまいました。そして、こうなってまいりますと外国の航空会社の旅客機はあてになりません。お互いの国が自国の人達を優先させるようになるので、予約そのものも当てにならなく各便とも軒並みに欠航となってしまうのです。外国の力が頼りにならなくなった時、日本航空は、救援のための旅客機を成田空港に準備しました。ところが、日本の外務省とイランの日本大使館や在留邦人会との打ち合わせが遅れ、タイムリミット前に救出する時刻に間に合わない事態となってしまいました。
日本航空は「帰る際の安全が保証されない」と、テヘランへ飛ぶのを諦めることにしました。………。 テヘランに残された日本人が絶望だと思われたタイムリミット前日の午前11時、現地のトルコ大使館から日本大使館へ、突如 次のような連絡が入りました。

『トルコ航空機の200席を日本人に割り当てますのでご利用下さい。』そして、トルコ航空機は2便用意され、日本人215人は土壇場でテヘランから脱出することができました。 なんと、イラク軍による攻撃開始の一時間前の出来事でした。
どうして、トルコは命懸けで日本人を救ってくれたのか?というのが今回のお話の全てを物語る訳でして、駐日トルコ大使が平成13年5月6日の産経新聞にて 次のように述べておりました。「特別機を派遣した理由の一つがトルコ人の親日感情でした。 その原点となったのは、明治23年のエルトゥールル号の海難事件でした。
エルトゥールル号事件についてのお話と申しますのは、明治23年、トルコの使節団が軍艦エルトゥールル号という船で日本を訪れました。
約、3か月間、日本で友好を深めた後、トルコに戻るため出港をしたのですが、台風の直撃に遭い、トルコ使節団660名を乗せたエルトゥールル号和歌山県沖で沈没してしまいました。見るに耐えない、大変悲惨な状況でしたが大島島民たちは怯むことなく救助に立ち向かい、まず生きた人を救い海水で血を洗い包帯をし、泣く者、わめく者を背負って二百尺(60m)の断崖を無我夢中で上ったそうです。そして、暴風雨のため火もおこせないので、島民はトルコ人を腕に抱き人肌で温めて介抱に当たったといいます。台風が過ぎた後は、非常事態に備えて蓄えていた食料を与え、元気になるよう努めたそうです。その時の懸命な努力により69名のトルコ人の生命を救ったのでした。このエルトゥールル号遭難の知らせは和歌山県知事に伝えられ、明治天皇に言上されました。明治天皇は直ちに医者と看護婦を派遣させ、生存者全員を軍艦『比叡』と『金剛』に乗せてトルコに送還されました。( 「軍艦」による移送は当時、国家による最高の儀礼とされ)日本全国から義援金が寄せられトルコの遭難者家族に届けられたそうです。
この時、乗組員600人近くが死亡してしまったが、その後、日本の船で無事帰国し遭難現場付近の岬と地中海に面するトルコ南岸の双方に慰霊碑が建てられたそうです。 そして、エルトゥールル号の遭難はトルコの歴史教科書にも掲載され、幼いころ学校で学ぶため、知らない人は、殆どいないと いわれるほどの歴史上の出来事なのだ そうです。そして、100年という時空を超えた日本とトルコの友情を描く感動の歴史物語として恩返しという形で、日本でも再認識されておりますことを、ここにご紹介し、みなさんの大事な記憶にとどめておかれますことをここにお話させていただきます。
  

Posted by 内田建設 at 07:42Comments(0)

2024年02月05日

◆ 幸せに生きるため ◆

(株)内田建設 朝礼  令和6年2月5日(月)

     テーマ   幸せの名言とは

◆ 不屈の精神とプラスの言葉  ◆

おはようございます。 みなさんも、歴史の教科書で習ったことのあるインドの有名な政治指導者の中にガンジーという人がいた。
そのガンジーが 人間関係に関しては、踏まえるべき4原則があると言っております。 それは、尊敬、理解、受容、評価だということです。簡潔に申し上げますと、先ず 相手のことを尊敬し理解することを心掛けましょう。
そして、受容といって それを無条件で受け入れるのです。強さとは身体能力にあらず不屈の精神から生まれ、最高の道徳とは他人への奉仕、人類の愛のために働くことであり、相手を許すことが出来る態度でもある。と言っておりますが、はたして自分はそのような態度で接することが出来たか、最後に自分を評価しましょう。と言っておられます。
他にもあるときは厳しく、あるときは優しく私たちの背中を押してくれる言葉を精選してくれておりますが、そのような中で、本当の富とは健康のことであり、金や銀のことではないと言っております。

 それから、日本では少し前に長者番付で日本一になった斉藤一人さんの言っていた 何もない時には、『ついている』、困ったときには『ありがとう』、いいことがあれば『感謝してます』これが、幸せのコツなのかもしれませんね。
いずれにしましても、常に前向きな言葉を 前向きな姿勢で行動できるよう 何事にも望んでいけば 幸せへの最短経路ということなのではないのでしょうか? 今一度、それぞれの人が すべての善の行動を固く信じて 幸せを築いてまいりましょう。
  

Posted by 内田建設 at 07:46Comments(0)