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2017年11月21日

知足不辱(足るを知れば、辱められず)

㈱内田建設 朝礼 平成28年11月22日(火)

     テーマ  中国古典の名言・名句に学ぶ

◆   知足不辱、知止不殆   ◆


本日の中国古典の名言は、足るを 知れば辱められず、止まるを知れば危うからずと読みますこの言葉についてですが、読んで字の如し 足ることを心得ていれば辱めを受けない、とどまることを心得ていれば危険な目に遭うこともないのだと言っております。これを、「止足の戒め」と言っております。

『老子』がここで警告しているのは、自分だけいい思いをしようとか、自分だけ儲けようとする生き方なのです。 

では、それがなぜまずいのですか? そのような生き方をしていたのでは、他人の得となる利益までも奪ってしまうことになり、必ず周りからの反発を買い 周りの人達から 嫌われたり憎まれたりしたのでは、一時的にはいい思いをしても長続きはしないということを言っているのです。

そうならないためには、自分の利益と他人の利益に可能なかぎり折り合いをつける必要がある。当然一人勝ちや、勝ちっぱなしは決して誉められたことではないと言っているのです。
利益のいくぶんかは意識的に分けてやるくらいの配慮がほしいところであると言っているのです。

また、人生には調子の波がある。上手く波を掴んで戦えば、押せ押せムードで有利に戦いを進めることが出来る。だが、これが曲者なのだ。調子に乗りすぎると、思わぬところで足を滑らして、あっと言う間に転落する恐れがある。
ここで、知止不殆(止まるを知れば危うからず)が生きてくるのだと教えてくれているのです。
先人たちが愛した『老子』の言葉です。これからの人生に大いに役立たせていただければと願い、本日の朝礼でもお話しさせていただきました。
  

Posted by 内田建設 at 08:59Comments(0)本日の朝礼

2017年11月17日

おまえは自分の功を立て、彼は忠を尽くした

㈱内田建設 朝礼 平成29年4月6日(木)

     テーマ  人生を開く、戦国武将の言葉

◆ おまえは自分の功を立て、彼は忠を尽くした。 ◆
 
 おはようございます。本日も、過去に一度朝礼でお話ししたことのある話になるかもしれませんが歴史に学ぶ人間学として人生が開ける戦国武将の言葉の中から加藤清正の言った大変含蓄のあるお話しを致します。

 加藤清正がある城を攻めた後、部下の論功行賞を行った時の話です。
庄林(しょうばやし)を一位、森本を二位と決めた。

 森本がこれに対して怒った。「 自分は、首を二つとりました。庄林は一つもとっておりません。なぜ、私が二位なのですか?」

 清正は答えた「確かに庄林は首を一つもとっていない。しかし、首を二つ取ったおまえは、自分の手柄を焦って主人の俺を置き去りにした。
 庄林は首はとらなかったが、終始一貫して俺の脇にいて、敵を防いだ。
おまえは自分の手柄をたてることに熱中し、庄林は俺の身を守ることに力を尽くした。俺の存在という物差しを当てると、やはり忠を尽くした庄林の方がおまえより優れている。わかったか?」森本は言葉を失って赤面したという。

ビジネスの現場で活きる、戦う者の知恵、上司として、部下としての心得、組織を束ねていく者の才覚などが、この短い言葉のやりとりの中に凝縮されていましたね。

自分というものを、それぞれの立場にあてはめてみて、いつも私の言っている 気付きと置き換えを行ってみて下さい。考えれば考えるほど戦国武将たちの言葉には含蓄がございます。本日は、戦国の武将として名をはせた加藤清正のお話しでした。
  

Posted by 内田建設 at 17:39Comments(0)人情の機微を知る言葉

2017年11月15日

半分しかない水、半分もある水

㈱内田建設 朝礼 平成28年3月4日(金)

     テーマ  前向きに生きるための陽転思考
◆ 半分しかない水、半分もある水  ◆

 おはようございます。今日は、以前浜松でお会いしたことのある松下政経塾第4期生の小田全宏さんの仰っていた前向きに生きるための77の知恵という中から『半分しかない水、半分もある水』というお話を致します。

 <陽転思考>とは、何かを語る時、私はまずコップに入った「半分の水」を指差して聞きます。  
「このコップにはちょうど半分の水が入っています。あなたには『半分も水が入っている』と見えますか、それとも『半分しか入っていない』と見えますか」と…。
 これを計量器で測りますと、どちらも同じ水なのですが、まさに「半分もある」と見方こそ<陽転思考>なのです。 つまり同じコップの水を見ていても、半分もあると思える人はコップの水そのものを見て、半分しかないと思う人は、上の空間をみているのです。
半分もあると思える人の内面は、希望であり、可能性であり、感謝でもあります。
ところが、半分しかないと思う人の心は、失望であり、嫉妬であり、怒りなのです。科学的智においては同じ数量のH2Oであったとしても、それに対する心の向け方によって、その働きが変わってしまうのです。
これは、単なる水の話ではありません。もし、私たちが何かに対して不満を持っていたり、失望を感じていたとするなら、それが「半分しかない」という意識になります。それに対して、感謝や希望、あるいは可能性をみつめる心を持っていたら、それが「半分もある」という意識です。   
私たちはいつも心の中で不満を言っています。 「お金がない」「時間がない」「能力がない」「人からの愛情が足りない」「人からの尊敬が足りない」これらの意識が私たちの能力を萎縮させているのです。 この半分しかない、という意識と、半分もあるという意識をもっと広げていくと、自分という存在に対する認識に到達します。「自分なんて」と思うか「自分こそ」と思うか、そこが運命の分かれ目であるわけなのです。
お釈迦様は、生まれ落ちた時に数歩あるいて「天上天下唯我独尊」と語ったと言います。
これは「世の中で自分だけが最高に偉いのだ」というような間違った意味にとられていますが、本当の意味は「この世の中で自分という存在は後にも先にも自分一人である。その唯一性が尊い」ということです。
自分の中にある「半分しか」という意識を、「半分も」という意識に転換する、と断固として決意しますと、いかに自分自身があらゆるものを与えられ、素晴らしい人生をすでにおくっているのかということに気が付くのです。
ここを<陽転思考>の出発点と終着点としたいと思います。
と陽転小田全宏は話しております
  

Posted by 内田建設 at 22:52Comments(0)朝礼での話

2017年11月15日

常識として覚えておきたい言葉の由来

㈱内田建設 朝礼 平成28年2月27日(土)

テーマ   常識として覚えておきたい言葉の由来

 おはようございます。以前からよく使われる言葉や 面白い言葉の由来を朝礼の中でお話しておりますが、本日も中国のことわざ、言葉の由来を何点かお話してみたいと思います。

 まず、よく使われます言葉の中に『隗より始めよ』という言葉がございますが、「隗」って何のこと?って思われた人が多いのではと考えます。意味を申しあげますと遠大なことをするには、まず手近なことから始めよという意味なのです。あるいは、事を起こすには、まず自分自身から着手せよという意味の、中国・戦国時代にルーツがある言葉なのです。
 燕の昭王が賢者を集めようとしたとき、郭隗という男がまずは自分を取り立てるよう進言したのです。自分のようなつまらない者でも登用すれば、それを知った賢人が次から次へと集まってくるだろうと説いたというお話です。実際、隗を優遇することで、各地から賢人が集まり、昭王は目的を達成する事が出来たのです。


続いて、『泣いて馬謖を斬る』という言葉ですが、この言葉は処分するには惜しい愛すべき人物でも、違反があったときは、秩序や規律を守る為に処分する事を言い、これは、中国の『三国志』に由来する言葉です。馬謖は、蜀の名軍師・諸葛孔明によって抜擢を受けた将来有望な将軍でありました。蜀が魏の軍勢と戦ったとき、馬謖は重要ポイントの防衛を自ら願い出て、孔明は許可したそうですが、馬謖は孔明の命令に反し、敗走、蜀軍は敗北を喫したのです。
このあと、孔明は馬謖の責任を問い、彼を死罪にするが、それは涙を流しての処分であったことから『泣いて馬謖を斬る』という言葉が生まれたのです。



 この他にも、先日お話をした蜀王となる劉備玄徳が諸葛孔明を軍師に迎えるため、諸葛孔明の住まいを礼をつくし、三度も訪ねた『三顧の礼』なども常識として覚えておきたい言葉の由来なのではないのかと思います
  

Posted by 内田建設 at 22:13Comments(0)朝礼での話

2017年11月15日

大岡越前の謙虚な姿勢

㈱内田建設 朝礼 平成28年2月26日(金)

    テーマ  人生に役立つ誇りある人の言葉

◆  下情に通じざれば裁きは曲がる   ◆


おはようございます。何年か前に朝礼で大岡越前の 〃三方一両損〃というお話をしたことがありました。 今日はその大岡越前の言った言葉のお話です。

その大岡越前こと大岡忠相は、八代将軍徳川吉宗に発見されて享保の改革の推進者になった江戸町奉行です。その前は伊勢の山田奉行を務めていましたが、将軍になる前の吉宗公は紀州藩主として大岡忠相の公正な裁きぶりを目にとめていました。
彼の主人吉宗公は目安箱を設け民の意見を直接聴いたりもしていました。
そのよいものを大岡が実行に移していくのです。現在も東京都内に残る隅田堤、多摩川堤、飛鳥山などの桜の名所は、この時の民の意見によって、大岡が造成した市民のレクリエーション施設なのです。 さらに、テレビの時代劇に、よく出てくる小石川療養所も現在の東京都立老人医療センターの原形だったのです。

 現在の東京に置き換えてみると、都民の立場に立ってその目線で事業を行うということなのです。江戸町奉行所は今の東京都知事と違って裁判権も持っていました。
 そのため、裁判を行う時にも民の立場に立ち、その心情を理解しておかなければ絶対に正しい判決は下せない、という自戒の気持ちを込めて言っているのです。

 政治・行政に携わる人々は、誰もが口を揃えて「民のため」といいますが、本当に民の生きている場所まで降りてきて、同じような気持ちで政治や行政を行っているのか疑問に思う事が多々あると思うのです。その意味で、大岡忠相のこの謙虚な言葉は現在でも噛みしめる必要があるのかもしれませんね。
  

Posted by 内田建設 at 22:10Comments(0)

2017年11月15日

伊達政宗の人情の機微を知る言葉」

㈱内田建設 朝礼 平成28年2月25日(木)

◆  伊達政宗の人情の機微を知る言葉  ◆

おはようございます。昨年の朝礼の中で、夏目漱石の『草枕』の書き出しのお話をしたことがあると思います。覚えていますか? 「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角この世は住みにくい。」確かこんな感じの書き出しだったかと思いますが、実はこれに似たものが伊達政宗の『五常訓』の中にもありましたので、人情の機微を知る言葉としてお話してみたいと思います。
仁に過ぎれば弱くなる。義に過ぎれば固くなる。礼に過ぎれば諂(へつら)いとなる。智に過ぎれば嘘をつく。信に過ぎれば損をする。

伊達政宗も頭の鋭い人物です。さすがによく世の中や人間を見定めている。

意味を申し上げますと人間への愛ばかりおもんじれば自分が弱くなってしまう。また、義理ばかり重んずれば固くなる。そして、礼儀ばかり重んじていると逆におべっか遣いになってしまい、頭が良すぎると噓をつくようになってしまい、人を信じ過ぎれば損をする。 などという事実凝視は、現在の世相にもよくあてはまることなのだと思います。
はっきり言えば「信じすぎて馬鹿を見る」というたとえが、私たちの周囲に決してないとは言えない。このへんは、私たちも気を付ける必要がある。
ということは「相手による」ということだろう。
世の中には信じられる人もいる。また、自分を信じてくれる人もいるのだ。
それを十把一からげにして「人間はすべて信じられない」という前提で生きたのではその人生はさびしいものになってしまうと思う。

私が、普段から思っていることですが、『こちらが、相手を信じてあげなかったら、当然こちらも相手に信じてもらえるはずがない。』政宗は、戦国時代を走り抜けた猛将だから、そのへんのことが よくわかっていながらも、やはり
「他人は信じられない」という考えを持ち、こういう慎重な自己への戒めの気持ちを持って『五常訓』を用いていたのだろうと思えた。
  

Posted by 内田建設 at 22:05Comments(0)

2017年11月15日

山本常朝の『葉隠』

㈱内田建設 朝礼 平成28年2月24日(水)

◆   山本常朝の自分を磨く言葉   ◆

 おはようございます。みなさんは「葉隠」という本をご存じですか?
みなさんは、「葉隠」という本と 山本常朝 という名前は ご存じないのかもしれませんが、この本の中に書かれている一節にある「武士道とは、死ぬことと見つけたり」という言葉だけは、ご存じなのでは?と思います。
時代は江戸時代初期の肥前佐賀藩 鍋島家の武士だった人です。歌道にも造詣が深かったが、若い時それを咎められて主人から遠ざけられてしまっていましたが、中年になると主人は歌道を重視して重く用いるようになっていましたが、その主人もなくなってしまったので、山本常朝も自害する予定でした。しかし主人のほうが先手を打って常朝の殉死を禁ずるという遺言を残していた。
 そのため、山本常朝は隠居し、山のふもとの小さな庵を造って住んだ。実は、ここで「葉隠」が生まれる。「葉隠」は鍋島家の主人たちや、家臣たちの言った言葉や行動などを綴ったメモなのですが、これを訪ねてきた不遇の武士に語ってメモをさせたものなのです。
その「葉隠」という本の中で、みなさんが一番、誤解している一文が 実は、『武士道とは、死ぬことと見つけたり』という言葉なのです。山本常朝が一番言いたかったのは、〃武士としての心構えと生き方〃であって死ぬ気でやれば、何でも出来る。だから、本当は、〃命を大切にしなさい〃ということが言いたかったのであります。それを、昭和の指導者たちが、言葉の本質も理解せず、この言葉だけを利用して、多くの特攻兵を戦場に送ってしまったのは、実に悲しいお話です。

 その「葉隠」という本の中から、私が本日、紹介したかった一文は『只今が其時、其時が只今也』という物事に対し人間の緊張感を求める言葉なのです。
嫌な仕事や先延ばししたい仕事にめぐりあうとよく「後でやるよ」とか「その時が来ればちゃんとやるよ」などと応ずる人がおります。
山本常朝は、それは間違えだという。彼は「今がその時であって、その時は後では来ない」と告げています。だから「先延ばしをしたり、嫌だからといって避けたりするのは卑怯だ。今やらなければ、いけないことに対しては、堂々と腹を据えて向かい合いなさい」ということを言っています。この言葉に関しては、耳が痛いが、本当にそのとおりだと思い実行していきたく思います。
  

Posted by 内田建設 at 22:01Comments(0)本日の朝礼

2017年11月15日

気付きと置き換えこそが勉強です。

㈱内田建設 朝礼 平成28年2月18日(木)

    テーマ   中村天風のほんとうの心の力

        ◆    悪人と善人   ◆

中村天風の「ほんとうの心の力」という本を読んでみると、中村天風という人は、人間存在の根源を「心の有りよう」に求め、私たちの人生は「心の支配」を受けていると断じた。
断じた言葉の表現は、きっぱりと決めつけているといったものですが、天風の言っている言葉には、私自身、なるほどと頷くことばかりなので天風先生の言葉の中から、いくつか抜粋して心に響く言葉を述べてみたいと思います。
 そんな中から今朝は、「悪人と善人」というお話をしてみたいと思います。

いつか ある人が 私に聞いたことがある。「 先生のところには、どんなことがあっても、機嫌の悪いという人を 見たことがないが、誰も どんなことがあっても、お怒りにならんのはどういうわけです?」と言うから、
「それはね、俺のところはみんなね、悪人ばかり多いからだよ」とこう言ったら、その人が目をまるくして、「先生のところは悪人だらけですか!?」
「そうなんだよ」 まだ意味がわからないから、「どういうわけです?」と聞くから、私のところじゃ、何か事が起こるだろ。そうすると、『あ、私が悪かった』とこう言う。誰でもいいから、私が悪かったってことを言って罪を背負ってしまうと、喧嘩にならない。
人が一言でも『あっ、私が悪かった、そこにそれを置いたもんだから、壊れたのね』というふうに言っちまう、これ、喧嘩にならないよ。
「ところが、あなた方の家庭だと、善人ばかりだからいけねえ。何か事があると、『私は、いいんだ、私は何も悪いことはしてないんだ』とこうなるから、そりゃ好きに喧嘩をやりだすものね」

如何でしたか?『悪人と善人』という言葉は?天風哲学というのは宮本武蔵の『五輪書』をベースにインドのヨガの里における艱難辛苦の修行の成果をブレンドし集積したものです。我々にとっては、何か殻を破り、突き抜けてしまっているような発想の言葉ですね。参考になればと思い話させていただきました。
㈱内田建設 朝礼 平成28年2月19日(金)

◆   大塩平八郎の乱   ◆

 おはようございます。毎朝、朝礼の前に今日という日は、過去に何があったのかを調べて、歴史的に大きな出来事があれば、なるべく皆さんに、お話できるようにしておりますが、本日2月19日は、今から ちょうど181年前の今日、大阪で『大塩平八郎の乱』の起こった日にあたります。

 平八郎は、大阪の天満の町奉行を助ける町の警察署長ともいえる与力の家に生まれました。平八郎は父のあとを継いで大阪東町奉行所の与力になりました。そして学者につき、朱子学や陽明学の勉強をしました。37才で与力をやめてからは、洗心洞という塾をひらき、たくさんの弟子たちに学問を教えました。
 1836年、全国に大ききんがおこり、平八郎は、困っている人達の救済を大阪東奉行所に頼みましたが、全く聞き入れてもらえません。 
この時の東町奉行跡部山城守良粥(あとべよしすけ)は、何ら救済策を講じることなく、新将軍宣下の儀式の費用のために江戸廻米の命令を受けると市中の惨状を無視して、大量の米を江戸へ回送してしまった。さらに、豪商たちは、米を買い占めて暴利をむさぼっていた。
 そこで、平八郎は自分の持っていた本などを売って困っている人達を助けていましたが、平八郎ひとりの力では、どうにもなりませんでした。
平八郎は翌年の二月、弟子や貧しい人々とともに、一揆をおこし大阪町奉行諸役人と特権豪商に対し挙兵するのであった。そして、米や金を奪って貧しい人達に分け与えておりましたが、結局は鎮圧され失敗に終わり平八郎は自殺致しました。この乱の名前を『大塩平八郎の乱』といいました。
この『乱』は、たった一日の出来事でしたが幕政の中枢の都市大阪で、しかも元与力であり著名な陽明学者であった人物が主謀したことによる影響は、歴史に大きな爪痕を残したというお話です。この後の平八郎の人間評価というものを 役人仲間から見れば、堅物で融通のきかない頑固ものであったというお話ですが、農民、庶民からみれば 正義の味方というように、なっております。

 私が思うには、大塩平八郎という人も吉田松陰と同じ知行合一の人であって、『かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂』こうすれば、こうなることをわかっていながら、日本男児を見せた人だと思われました。
㈱内田建設 朝礼 平成28年2月23日(火)

テーマ 『喜神、感謝、陰徳』で心も身も健康になる。

おはようございます。最近は、中村天風先生のお話を多く話してまいりましたが、本日は、平成という元号を考えられた歴代総理大臣の指南役であられた安岡正篤先生の教えについてのお話をしてみたいと思います。

 安岡正篤先生が、持論としてもっておられた健康法の中に心身摂養法というのがありまして、これは『一つ、心に喜神を持つこと。二つ、感謝。三つめは陰徳』です。
 大きな仕事をやった、やった、と言う人は人に見られたいという気持ちでやるから、そんな人物は信用できない。常日頃の小さい行いを見ていると人物がわかるというんですね。小さいことは、自分でも意識などしませんから、現金正価掛け値無しの人物の器が出てくるのです。
 長生きしている人はみんな感謝の心が出てくるのです。100歳を超える医師の塩谷信男さんが心掛けている健康法は「一つは物事が前向きかどうかということ、二つ目にはやはり感謝の心が出てきます。そして三つ目に愚痴を言わないこと。心掛けているのは、この三つだけだ」と言います。

 安岡正篤先生がおっしゃる陰徳とは、人にわからないようにいいことをやる。ですから恨みの心が湧かないのです。「あんなにしてやったのに、あいつは礼状一つよこさない」と怒っている人がよくいますが これは健康によくありません。感謝されないために恨んだりしては、反作用でその恨みが自分に戻ってくるのです。 怒るだけでも寿命が縮んでいるはずなのに、さらに恨んだりしては、浮かばれません。
 安岡先生のいう喜神、感謝、陰徳は三つとも すごく 積極の心なのですね。
だから健康になるはずです。心も身体も健康になるための生きる知恵なのです。しかし最近、日本から陰徳がどんどん失われているような気がします。寄付やチャリティ一つ考えても、ボランティアはお金に余裕のある人よりそうでない人のほうが懸命にやっています。お金がある人はお金を出さないで貯め込んだ人ですから、そもそも他人のために寄付をしようなどと考えないのかもしれません。国としても、寄付にすら多額の税金をかけようとするのですから、日本はそもそも陰徳など消えてなくなる仕組みになっているのですね。
しかし、安岡先生は陰徳でなければダメだと言うのです。徳というのは人間の本質的要素です。これは陰性のものなのですね。それに対して才能や技能は付属的要素で陽性なのです。
才能や技能を発揮すれば、目立ちますし喝采を受けます。ホームランをたくさん打ったり、金メダルを取れば英雄ですよ。
しかし、それだけでは人間として不十分だ、と言うんです。才能や技能は、一時的に目立つし、もてはやされることがあるかもしれないけれど、そういう才能や技能は長続きしません。遠からず消滅するんです。 徳に裏打ちされ、その上に花開く才能や技能が本物なのですね。また、徳に裏打ちされた才能や技能の持主が人物なのですよ。
中国の古典はすべて『易経』に還ってきますが、陰陽のバランスで言えば、陽より陰のほうが少し勝っていたほうがいいようです。比率で言えば、51対49ぐらいがちょうどいいのだそうです。
陰と陽のどちらが本質かというと、陰が根本で陽は枝葉や花や実なのです。陰だけでは、発達しないのです。陽が活動し、それを陰が裏打ちして、内に含んで初めて両方が機能するのです。
陰陽はコンピュータと同じ二進法です。宇宙の原理も思想の原理も最先端は一緒になってきている。とつくづく感じると先生は、おっしゃっていました。

これは、余談ですが韓国の国旗をみると、陰極まれば陽となるという言葉を連想いたしますね。陰陽のバランスが上手に描かれております。

陽と陰を表す赤と青を組み合わせた円が対極で、太陽と月、天と地、善と悪、男と女など、相対するふたつのものが合わさって調和を保つという中国古来の易学の宇宙観を表しています。大極の四方に描かれているものは、それぞれ、空・月と水・地・日と火を象徴し、正義・生命力・豊かさ・知恵を意味している。
バックの白は平和の精神を表していると聞いたことがありましたが、その時陰陽をイメージした深い意味のある素晴らしい国旗だなと感じました。

因みに日本の国旗は、聖徳太子が遣隋使に託した文書以来、自国を〃日出る国〃とする考え方があり、赤い日の丸は日の出の太陽を象徴する。また、紅白は日本の伝統色で、めでたいものとされており、赤は博愛と活力、白は神聖と純潔を意味するものといわれておりますことも同時に覚えてみては、いかがでしょうか?
  

Posted by 内田建設 at 07:09Comments(0)人情の機微を知る言葉

2017年11月15日

礼状を書くのは、その日のうちに

㈱内田建設 朝礼 平成28年2月17日(水)

◆ 礼状を書くのはその日のうちに ◆


おはようございます。毎朝、当社の朝礼では、多種 多様なお話をさせていただいておりますが、今朝は、〃礼状はその日のうちに〃というお話をします。

お世話になったり、何かを贈っていただいた時に、礼状を明日に出そうなどと思っていると、つい億劫になり、出しそびれてしまいます。そのような時は、たとえハガキでもよいから、すぐ出す習慣をつけておかなければと思います。

 そのことについて慶応義塾大学 商学部の先生であるマーケティング権威者の村田昭治先生はこう言っております。
「私は、その日に会った人、何かをしてくれた人に、その日のうちに葉書きで挨拶状や礼状は必ず出すようにしています。」と、文面は簡単なもので、短い文章ですが、目上の人、目下の人を問わず、その出会いを感謝するという誠意に満ちたものなのだということです。

 先生は、旅先の駅のベンチや車中で、交換した名刺を見ながら、持ち合わせている葉書きに書かれているとのことです。こういった社会的に、高名な先生からの葉書きは見る人の心を打つことは間違いありません。
こういった葉書きは、一週間後に届く厚い封書よりも効果のある書状となることは間違いありません。

さて、みなさんも こういった先生のような訳には いきませんが、その日のうちに礼状を書く習慣を身につければ、やがて独自の人脈が広がってくるのではないのかと思っております。

前にも言いましたが、徳川家の剣術指南役であった柳生家の家訓にあったように『〃小才は縁に出会って、縁に気付かず。〃 〃中才は縁に気付いて縁を生かさず。〃 〃大才は袖すりおうた縁をも生かす。〃』

 案外、礼状はその日のうちに出す習慣も大才への近道かもしれませんね。
  

Posted by 内田建設 at 06:59Comments(0)社長の話

2017年11月14日

心に残る感動するお話

㈱内田建設 朝礼 平成28年2月16日(火)


◆  10歳年上の兄、心に残る感動する話  ◆

 おはようございます。いつも朝礼で少しでもみなさんのためになればと思いいろんなジャンルのお話をしているつもりですが、本日は10歳年上の兄という本当にあったお話を紹介してみたいと思います。尚、この話は、2015年4月10にインターネットに投稿されていた実話をそのまま掲載させていただいております。

 今日は兄の誕生日だ。私より10才年上の兄は、私が10才の時に両親を事故で失って以来ずっと私を育ててくれた。

 兄は私を育てるために大学をやめ、働きながら私を育ててくれた。 口癖は、「お前は俺の半分しか父さんや母さんとの思い出がないんだから」だった。
授業参観にも学校祭にも体育祭にも三者面談にも、いつも兄が来てくれた。周囲のおばさま方の中で、明らかに、兄は浮いていたが、それでもいつも兄は会社で休みをもらって学校に来てくれた。

私が、初めて作った 料理ともいえないようなものを 美味しいといって全部食べてくれた。仕事で疲れているだろうに、家に帰ってきてから私の学校での話を聞いてくれたり、宿題をみてくれたり、学校への連絡ノートも毎日かかさず書いてくれた。土日も私と遊んでくれて色々なところへ連れていってくれた。

そんな兄には自分の時間なんてなかったように思う。友達のを見てお団子ヘアにしてほしい、友達のお母さんなら やってくれたと、わがままを言ったとき慣れない手つきで一生懸命作ってくれたのに、こんなんじゃない、お母さんに会いたいと、兄をなじってしまった。兄はそれを聞いてごめんと泣き出してしまった。あの姿を思い出すたびに、兄も両親を事故で失った子供だったんだと今でも泣けそうになる。
その兄が、一年前両親と同じように事故でこの世を去った。兄が死んだ時、私は兄が両親を失った時より一才年上だった。兄はこの状態でまだ小学生の私を育ててくれたのかと思うと、それがどれだけ大変だったかと思うと涙が出る。兄は私がいたせいで、友達と遊びにも行けなかった。恋人とも、出会う暇さえ私が奪ってしまっていたんだ。
たくさん たくさん、ごめんなさい と ありがとう も言えないままだった。
「ちゃんと、幸せになれ」っていつも言ってくれたけど、兄のおかげでここまで来られた人生、恥ずかしくないよう生きられるように頑張ろうと思う。

お兄ちゃん、天国で見ていてね。今からでもお父さんお母さんに甘えているといいな。

いかがでしたか? みなさん本日のお話は……。『血は水より、濃し 』という言葉がありますが、「親、兄弟などの血縁関係をもった家族の絆は強い」というものです。まさに、今日のお話にぴったりでした。皆さんも年頭立志マンダラに書かれたように親、兄弟、家族のために一生懸命、頑張って 生きていきましょう。
  

Posted by 内田建設 at 11:11Comments(0)本日の朝礼