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2021年03月29日

◆ 他人事でも喜んであげる ◆

職場の教養に学ぶ  令和3年3月26日(金)

      テーマ 相手の話をよく聞くことが鍵

◆   溝は浅いうちに埋めておくことが大事   ◆

 年度末ということもあり 日々仕事に追われてしまうため 最近は家族内でもお互い人の話を聞く時間が取れず、意見を言う時にはコミュニケーション不足に陥ってしまい お互いが 衝突することが多くなっている今日この頃です。
そんな時、職場の教養の中に『 話してくれないのではない 』というタイトルのお話が ふと目に飛び込んできました。
 そのお話というのは ある日、Yさんは些細なことで妻と意見が食い違ってしまいました。妻は過去の不満まで持ち出してくるのです。Yさんが「そう思っていたのなら、その時に言えばいいだろう」と言うと妻は黙り込んでしまいました。
と書かれておりましたが、その後Yさんはその話を職場の先輩に相談し事態の改善を図っていく様子が書かれておりました。
内容は、相手の話をよく聞く事、そのための時間づくりをしてあげることと、聞く姿勢についてのポイントなどが書かれておりました。
これは奥様が話したくても時間もなく話せなかったために、溜まってしまっていたストレスや、Yさんが時間を設けてあげることと話を聞いてあげる努力をしなかったことなどの反省が書かれておりました。
これは 他人事ではない わが家の状況も全く同じことに気付き、早速 反省をしまして現状の改善に努力する事を考え 部分観だけで捉えるのではなく全体を観て捉えなくてはいけないことに気付き 溝はできるだけ浅いうちに埋めておくよう思いました。いつも私が言っているように意見の相違というのは、お互いに自分の立場(部分)によって、またそれを主張するためにおこるのですから、片方だけが一方的に悪いのだということにはならないということなのです。
そして、全体観を持つということと、相手側の立場に立ってみて考えて相手の言い分を聞けるという大きな気持ちになることができれば、大抵の溝は埋まるものです。
 しかし、本当に心掛けなければならないのは まず相手の話を受け入れるという気持ちになり、聞く時の態度をよくするということに徹することなのです。
そうすれば、いろんな人から頼りにされ、それが 器の大きな人として成長を遂げていくということになるものです。
  

Posted by 内田建設 at 18:23Comments(0)

2021年03月29日

◆ 大きな気持ちになる ◆

職場の教養に学ぶ  令和3年3月26日(金)

      テーマ 相手の話をよく聞くことが鍵

◆   溝は浅いうちに埋めておくことが大事   ◆

 年度末ということもあり 日々仕事に追われてしまうため 最近は家族内でもお互い人の話を聞く時間が取れず、意見を言う時にはコミュニケーション不足に陥ってしまい お互いが 衝突することが多くなっている今日この頃です。
そんな時、職場の教養の中に『 話してくれないのではない 』というタイトルのお話が ふと目に飛び込んできました。
 そのお話というのは ある日、Yさんは些細なことで妻と意見が食い違ってしまいました。妻は過去の不満まで持ち出してくるのです。Yさんが「そう思っていたのなら、その時に言えばいいだろう」と言うと妻は黙り込んでしまいました。
と書かれておりましたが、その後Yさんはその話を職場の先輩に相談し事態の改善を図っていく様子が書かれておりました。
内容は、相手の話をよく聞く事、そのための時間づくりをしてあげることと、聞く姿勢についてのポイントなどが書かれておりました。
これは奥様が話したくても時間もなく話せなかったために、溜まってしまっていたストレスや、Yさんが時間を設けてあげることと話を聞いてあげる努力をしなかったことなどの反省が書かれておりました。
これは 他人事ではない わが家の状況も全く同じことに気付き、早速 反省をしまして現状の改善に努力する事を考え 部分観だけで捉えるのではなく全体を観て捉えなくてはいけないことに気付き 溝はできるだけ浅いうちに埋めておくよう思いました。いつも私が言っているように意見の相違というのは、お互いに自分の立場(部分)によって、またそれを主張するためにおこるのですから、片方だけが一方的に悪いのだということにはならないということなのです。
そして、全体観を持つということと、相手側の立場に立ってみて考えて相手の言い分を聞けるという大きな気持ちになることができれば、大抵の溝は埋まるものです。
 しかし、本当に心掛けなければならないのは まず相手の話を受け入れるという気持ちになり、聞く時の態度をよくするということに徹することなのです。
そうすれば、いろんな人から頼りにされ、それが 器の大きな人として成長を遂げていくということになるものです。
  

Posted by 内田建設 at 18:19Comments(0)

2021年03月26日

◆ 自由と我儘は違う ◆

㈱内田建設 朝礼 令和3年3月23日(火)

     テーマ     一言集約でまとめる

◆ 自由と我儘の違い  ◆

 おはようございます。 本日は、一言集約といって それ一言で言ったら 何?というお話です。そして、その中に 似て非なるものという言葉がございます。『 自由という言葉と我儘という言葉 』がございます。
この言葉については 慶応義塾大学の創始者である福沢諭吉先生が一言集約として 『 自由と我儘の界は、他人の妨げを為すと 為さざるとの間にあり 』と申しております。
意味を申し上げますと、我儘と自由とを混同してはなりませんよ。他人の妨げになるようなことは しないというのが、自由という定義の絶対条件なのです。
自由には必ず規制や決まり(ルール)が伴っているのです。 規制のない自由が存在すれば、もうそのこと自体が無茶苦茶となり、まさに我儘以外何ものでもないということなのです。本日の一言集約は、決まりも責任もある自由についてご理解を深めていただきたく申し上げてみました。
  

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2021年03月22日

◆ 麦のように強く ◆

㈱内田建設 朝礼 令和3年3月22日(月)

    テーマ   心を強くするために

◆ 麦は踏まれて強くなる ◆

 おはようございます。『 麦は踏まれて強くなる。 』この言葉は、長崎県の国見高校サッカー部監督として全国に名を轟かせた小嶺忠敏監督がよく言っていた言葉なのですが、小嶺監督は父親が戦死してしまったため母子家庭で7人兄弟の末っ子として母親に育てられたのだそうです。
 そのような中で、いつも母親から聞かされてきたという 人生の支えとなったという言葉がありました。その言葉というのは『 麦は踏まれて強くなる 』というものでした。
小嶺監督の生まれた九州の長崎地方では麦踏みというのがあり、麦は背丈が伸びたら踏み倒すというのです。 そして一週間くらいたってまた伸びてきたら、また踏み倒すというのです。それを 三回くらい繰り返すのだそうですが、なぜそんなことをするのかと 不思議に思っていた小嶺少年は、ある日 母親に向かって「 どうして何度も麦を踏み倒すの?」って聞いたのだそうです。
すると、母親は「 踏まれた麦は上を向いてスクスクと育っていくが、踏まれていない麦は冬に霜や、雨が降るとしおれてしまって作物とならないのだよ 」とお話されたそうです。 続けて「人間も同じで 小さい頃や若い頃に苦労して、踏まれて 踏まれて大きくなった人間が、将来大物になるんだぞ 」と教えられたそうです。
こういった 母親からの力強い言葉の教えがあり、小嶺さんが後に全国に名を轟かす高校サッカーの指導者となったのは間違いのないことだと思いますが、小嶺さんは、実はもう一つ母親から学んだ心に残っている教えがありますとお話されております。
九州地方は昔から台風が多いのですが、台風が去った後、母が「あれを見てごらん」と指した方向に、大木が何本も倒れていたのだそうです。
でも、母親の言いたかったのはそこではなく、大木の横にあった 竹藪 なのだそうです。 
竹というのは、通常の樹木が二十メートルに達するのに三十年から四十年かかるのに対して、生長が速いため二~三カ月でその高さに達するのだそうです。
そして、竹は高く伸びるために「節」を持ちます。もしも竹に節がなかったら、風が吹いてきた時は簡単に折れてしまうでしょう。
しかし、節があるため、とても頑丈で、しなやかで折れることはありません。
小嶺さんの母の言った言葉は「竹には、ところどころに節がある。だから強いんだ。人間も、遊ぶ時は遊んでもいいが、きちっとけじめをつけて、締めるところは締めないといけないのだよ」と教えてくれたそうです。
まさに、『 節ありて強し 』という言葉なんだそうです。
これは、サッカーやスポーツに限らず、我々の今後の仕事に、また生活にも活かしていかなければならない言葉なんだなあ とつくづく実感して実行していかなければなりません。 本日の朝礼で言った言葉を、もう一度、おさらいをしてみますと『麦は踏まれて強くなる』『節ありて竹強し』という言葉となります。

これからは 辛いとき、苦しいときに思い出してみて下さい。そして、精神的に強くなって仲間を励まし、自分を鼓舞して どんな困難にもひるむことなく、麦らしく踏まれても強くなり、竹らしく 破竹の勢いをもって仕事に望み 頑張ってまいりましょう。
  

Posted by 内田建設 at 06:48Comments(0)

2021年03月15日

◆ 論語と算盤に学ぶ ◆

㈱内田建設 朝礼 令和3年3月15日(月)

        テーマ  論語の基礎知識

           ◆  論語と算盤  ◆

  おはようございます。先週みなさんの前でお話しましたように月曜日が、私ということになり あと火曜日以降は 専務以下皆さんが順番にお話をしていただくことになりました。
先週末、金曜日の 鈴木英太郎さんに続きまして 今週の週はじめ月曜日である本日は、職場の教養を高める意味で 気持ちを込めてお話させていただきたいと思います。
さて、本日、お話をいたします 論語と算盤というのは最近の大河ドラマに出てくる渋沢栄一の言った有名な言葉であり、論語に学ぶ経営の心をうたったものであります。
時代は、今のように閉塞感が感じられる幕末の時代に有力な農家に生まれ、幼い頃から「武士が学ぶ論語をはじめとした人間形成の勉強」と「有力農家として米や蚕などの販売から商業」を学び明治時代には起業家として470社以上の会社の設立に関わり「日本資本主義の基」を築いたのが渋沢栄一という人なのです。
時代背景を見ると 渋沢栄一が幼い頃の幕末という時代は、武士が農家や商屋の借金を踏み倒したり きちんと返せなくても 経済そのものが回りきっていないという時代で、論語と算盤といっても論語が 100であり 算盤が 0 というような時代でありました。

しかし、人間と言うのは霞を食べて生きているという訳ではありませんので、この状態では いくら人間力や人格を磨いてもきちんと経済が回らず、社会が豊かになろう はずもありません。

そのような時代の中で明治維新後、今度は子供の頃に論語を学ぶこともなく西洋の科学技術のみを学び 資本主義の金儲けばかりを優先される人間が、育成されるようになってまいりますと 次は論語が0で算盤は100の状態になってくるというものでした。

そのような時、『論語による人格形成』と『資本主義の利益追求』のバランスを考え 論語を学んだ人間が西洋の科学技術と資本主義を学び『論語50の算盤50』というバランスを実現するようにと考え近代の日本では、多くの会社の設立に 渋沢栄一は寄与していくのでした。
 では、なぜ論語なのかと申しますと論語と言う本が最も古くからある書物で、格言の大本が論語にあったからなのだと思われます。
そして、論語は「 人間がよりよく生きるためには 」 という事と「より心豊かに生きるにはどうしたらよいか」という事が、神様という存在や概念なのではなく、人間として あるべき姿として説いてくれているのが、論語という書物であり 日本人にとっては、受け入れやすい事だと知っていたのだと思います。

さて、論語の中の里仁第四に『利によって行えば、怨み多し。』というのがございます。
これは、己の利だけを求めていくことによって利を失い、その利によって今度は義を失い 残ったのは怨みだけであるというのです。
 コロナウィルスに 翻弄され、先の見えにくい今の時代に重ねてみると幕末激動の時代から、明治維新にかけ若き心で挑戦し続けてきた日本資本主義の父と謳われた 渋沢栄一という 若者の生き方がNHK大河ドラマ 『青天を衝け』という中で見ることができます。
今後皆さんの生活や 仕事に対する考え方にもきっと参考になってくるのではないかと思い『論語と算盤』というタイトルに置き換えてお話をさせていただきました。
  

Posted by 内田建設 at 08:01Comments(0)

2021年03月05日

◆ 心の的を外さないで ◆

㈱内田建設 朝礼 令和3年3月5日(金)

      テーマ 人はちょっと得することに弱い

◆ たかがフルーツ、されどフルーツ  ◆

おはようございます。もう20年近くも前から私の通う勉強会に松下政経塾の姉妹塾で東林志塾という人間学を学ぶ人間道場が浜松にございますが、そこの学頭にあたる松下政経塾第一期生の林英臣さんのお話からの学びを少しお話したいと思います。
本日のタイトルに書いたように、林先生のお話の問いかけは、もしもこういうことがあったとしたら、あなたは平気でいられるだろうか?というものでしてグループで喫茶店に入り、全員が同じフラッペを注文したところ、自分の分だけメロンがついていなかった時の対応について話されておりました。メロンといったって、たった一切れの添え物です。一口で食べ終わってしまう程度のごく小さなフルーツにすぎません。
でも、「自分だけ無い」という事実を、あっさり受け止められるかどうかというお話なのです。まあ、気付いた瞬間はガッカリするものの、しばらくすれば、落ち着きを取り戻せるのでしょうが、こういう時に限って一緒にいる仲間達はよく気付いてくれ、「あれっ、おまえのメロンないじゃん」そう言われた瞬間に、せっかく整理しかけた気持ちが乱れてきて心が波打ってきてしまうのだといっているのです。そして、小さな出来事に過ぎないのに、自分だけとても損をしたような貧乏くじでも引いてしまったような憂鬱な気分に陥っていくから不思議であり、これを、たかがフルーツ、されどフルーツだと言っていたのです。
これと反対に自分だけ、特別にメロンが二つ入っていた場合は、得をした気分になりとても嬉しいものだが、このお店に対する満足度がずっと続いていくのかと思えばそうでもなく、自分だけ得をしたことは嬉しくても直ぐに忘れ去り、自分だけが『損』をさせられたことは、恨みに思っていつまでも覚えているというのが、人間の心理であると話されておりました。
我々、建設の仕事は喫茶店で出されるフルーツや、ラーメン店で出されるチャーシューなどとは、異なるが こういった人間の心理というものをしっかりと掴んで仕事に望まないと扱う金額、お客様の満足度を考えた時、同じようなことが起こってしまった時、とりかえしのつかない事態が予想されると思う。ゆえに、たかがフルーツ、されどフルーツの教訓から学ぶべきものは大きいのかもしれません。要するに心の的を外す人になってはいけません。反対に心の的を射る人になりなさいということを教えてくれていたのです。
  

Posted by 内田建設 at 07:43Comments(0)

2021年03月03日

◆ 気付きと置き換え ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 3年3月3日(水)

      テーマ    達人からの学び

◆  日本代表のためにあなたは何を  ◆

  おはようございます。昨年より、今年にかけてコロナウィルスと東京オリンピックの話題ばかりが目立ちますが、そのオリンピックに向けて、女子バレーボール 日本代表の監督を務めているのが 皆さんもご存じの中田久美さんという方です。

 その中田監督が言っていたことに、多くの選手と接してきた中で、もったいないなって思うことがあるんです。日本の代表選手に選ばれるというのは当然それなりの力や素質があるわけですけど、中には誰もが当たる壁に対して、チャレンジしない、逃げたりごまかしたりする選手がいるんです。 その壁っていうのは 前に進むためには絶対に必要なのに、そこから逃げちゃうってのは、凄くもったいない。と言っております。
では、どういう選手が伸びるかといいますと「勝負どころで自分が決めるんだ」「自分がこのチームを勝たせるんだ」って思える選手なのだと言っております。
同じくらいの素質や能力を持っている集まりの中にあって最後に生き残るのは、「私の力が足りないからダメなんだ。だから力をつけるために、もっとやらなければいけないのだ 」と思える選手なのですよ…と言っておられます。
そして、中田久美さんが初めて日本代表のメンバーを招集した時、面談で選手たち一人ひとりに聞かれたそうです。「あなたの武器は何ですか?」「日本代表のために、あなたは何をやってくれるの?」とこのように、そして中田監督は「私はあなたにこういうことを期待しています。それに対して、あなたはどうですか?」って言ったりして丁寧にディスカッションをされたのだそうです。
選手たちに対して、代表に選ばれたから嬉しいということだけで終わってしまっては困るので、代表としての果たすべき責任を口に出させ自らの潜在能力を引き出させているのですね。
そして、中田久美監督が言うには本物になるってどういうことかと言うと、当たり前のことが当たり前に出来る人になることを指しておりまして、どんな状況においてもコンスタントに80%の力が出せればよいのだと言っております。
海外でも指導の経験がある中田さんがいうには、外国人にはそのことがとても難しいらしく、彼ら、彼女らは120%の時もあれば30%しか出来ないこともあるのだと言っております。そのような中にあって 常にコンスタントに力を発揮できる可能性を 秘めているのが日本人であるのだと言っております。 そして、それこそが日本人の強みだと思っている。だから、そのような中で一人でも本物と言われる選手を一人でも多く育てていきたいのだと言っておりました。
これは、女子バレーボール日本代表監督の中田久美さんのお話でしたが、バレーボールを会社組織に置き換えてみると如何でしょうか? あなたは 日本代表のためにあなたは何をやってくれますか?
会社のためにあなたは何をやってくれますか? 勿論、内田建設の経営理念の中にもございますよう 「一人ひとりが会社のために、また 会社が一人のために、互恵協力体制の中で 明るく強い組織の大和を創り上げる。」という組織づくりの中にも、歌ってありますが
人づくり、組織づくり、地域への貢献をモットーとする当社には、中田久美さんのお話が、とても心に響くお話だったと思えます。
  

Posted by 内田建設 at 07:56Comments(0)

2021年03月01日

◆ 灯台下暗しの意味 ◆

㈱内田建設 朝礼  令和 3年3月1日(月)

       テーマ   職場の教養に学ぶ

◆   灯台下暗し   ◆

 おはようございます。今日から3月、弥生とも申しますが、この季節は三寒四温といって寒い日が3日間続くと、その後に4日ほど温暖な日が続き、また寒くなるというように 7日周期で春の訪れを感じさせる季節となってまいります。
さて、本日は職場の教養という冊子に書かれておりました中から引用させていただきまして『灯台下暗し』という諺についてのお話をしたいと思います。  ここで言っている灯台とは、燭台(しょくだい)といって 灯火具の一種であり、行灯(あんどん)とともに周囲を明るくするためにあるキャンドルスタンドのことなのです。 
燭台(しょくだい)は周囲を明るく照らしますが、その真下は影になって暗いことから、「人は身近なことには気が付かない」そう、足下が見えていないことを意味します。
職場の同僚など身近な人のことをよく知っているつもりが、実はわかっていなかったという経験は誰にもあるのだと思います。
それを、「あの人はきっとこうに違いない」と思い込み 決めつけてしまうと相手のことをわかっているような感覚に陥り、自分の都合のいいように想像してしまい 相手を誤解して、対人関係にも問題が生じたりした経験がここにいる皆さんにもあったのでは? と思われます。
こうしたことを防ぐには、思い込みを捨てなければなりませんが、そのためには先入観にとらわれず 自分の心の鏡を磨き ありのままの相手を素直に見るという事が一番大切なことなのです。
素直な心をもって、表情や行動などから相手を知ろうとするうちに、今まで見落としていたり、知らなかった考え方や仕事への取り組み方が見えてくるのだと思います。
思い込みを捨てたうえで、素直に見ることが出来るようになれば自分は相手とどのように付き合えばよいのかも気付き新たな発見があるのかもしれません。

それでは、職場の教養にも出ておりました 今日の心がけのように思い込みは、捨て 新たな一歩を踏み出してまいりましょう。
  

Posted by 内田建設 at 13:56Comments(0)