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2020年02月28日

◆ 立志、積徳、陽転 ◆

静岡県立袋井商業高等学校同窓会入会式

  令和2年2月28日(金) AM10:00~

内田鉱二 同窓会長の挨拶 

皆さんこんにちは 令和2年2月28日、本日 164名の新しい 同窓会員をお迎え出来ました事に、我々同窓会本部役員一同 、感謝申しあげます。

この後、皆様方は 明後日の3月1日に晴れて卒業式を迎えられまして、母校である袋井商業高校から旅立っていく訳でございますが、皆さんの胸の中は期待と不安でいっぱいなのではないのかと察しております。
私も、昨年は学校評議員という立場で 卒業式にも出席させていただきましたが、昨年の卒業式において校長先生の挨拶の中で話されたお話が、とてもよいお話でしたので 今でも鮮明に覚えております。 
その言葉とは、『 過去には 感謝を、現在には 信頼を、未来には希望を 』という名言でございました。
 当然のことながら、過去に対して感謝できるという人が、現在仲間を信頼出来 仲間からも信頼される人なのです。
そして、ごく当たり前のことにも感謝でき、現在の仲間達と信頼関係を 築くことができる人には、未来を見据えた時、希望という光が見えてくるのだということなのです。 
こうして、卒業していく皆さんそれぞれが、自分の歩む道に向かって 運を開いていって下さいとのことでしたので、この言葉を基本にしつつも、新たに 同窓会に入会して下さる皆さんが、運を開いていくのにはどうすればよいのか? という点で開運のための三要素についてお話をしてみたいと思います。

簡単に申し上げますと、志を立てるという『立志、』世のため人のために徳を積むという『 積徳』そして、何事もくよくよしないというプラス発想、暗く沈んでしまう 陰ではなく陽、そう太陽の陽で 明るい方に転じるという『 陽転 』の発想をもって進んでいくことなのです。

先ずは、これからどこに向かって何を目標に生きていくのかという志を立てる立志、自分だけが良ければよいというのではなく、普段から自分のことよりも仲間の事や周りの人のために徳を積んで 行動をしているという人が、目標を持って何かをしようと心に決めた時に周りの人は、そういう人だからこそ、きっと力を貸してくれるということなのです。
そして、『陽転』というプラス発想を例え話で申し上げますと自分の不注意で車をバックしてぶつけてしまい 修理代が係ってしまい辛いなあ?と くよくよしたりすることもあると思うのですが、そこはプラスの発想に切り替えまして ぶつけてしまったのが物であってよかった、もしも そこに小さな子供がいて轢かれてしまい、取り返しのつかないことにならなくて本当に良かったという陽に転じるプラス発想をもって前向きに生きることなのです。

『立志、積徳、陽転』 これが、皆さんと同じように袋井商業高校を卒業してから、40年以上かかってやっと最近 掴めてきた運を開くためのヒントとコツである開運の三要素なのだと思っております。 『立志、積徳、陽転』 あらためて本日のこの言葉を頭に入れていただきまして同窓会に入ってきて下さい。

我々、同窓会本部役員一同、同窓会員の皆様とともに新会員の皆様のため 尚一層、皆様と共に母校袋井商業高校を盛り立ててまいりますことを、この場でお誓いし同窓会長の挨拶に代えさていただきます。

  

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2020年02月28日

◆ 信長の小姓教育 ◆

㈱内田建設 朝礼 令和2年2月28日(金)

     テーマ  織田信長に学ぶ『小姓教育』
◆  細かい事に気付けてこそ  ◆

おはようございます。もう何年も前になるが、朝礼の席で織田信長の小姓教育についてお話をしたことがある。確かタイトルは細かい事に気付けてこそ敵の意図を見破ることも出来るというお話だったような気がする。
 そこで、細かい事に気付く。小さな事を疎かにしない。そういう人が、やがて大きな仕事を引き受けられることになるのだ。とまあこんな話だったような気がする。
この話は、松下政経塾第一期生の林英臣さんから、聞いた歴史上の人物である織田信長について 講義された一コマにあるお話であったようだが、織田信長という人は、小姓(こしょう、主君の側に仕える少年で将来の幹部候補生)の教育に大変熱心で、気付きや気配りの大切さを教えたというものであった。
そして、次のような話がエピソードにあり、私もここの朝礼の中でも話した記憶があるが、信長は、わざと紙屑を落としておいてから「誰かある」と呼ぶ。すると、次の間に控えている小姓が「ははっ」とやって来る。紙屑に気付けるのかどうかを試しているのだという。 「もうよい」と言われて下がる時に、緊張感の中でも サッと紙屑を拾えるのなら合格で、全然気付くことが出来なければ不合格となる。
信用は、小さな事の積み重ねで築かれていく。たった一度のミスで製造業なら全品回収となり、食品なら営業停止、ひどければ廃業である。
小さなミスを見逃す組織というのは、やがて間違いを起こすかもしれない。お互い、もっと小さい事に口うるさくなったほうがいい。他人事だと思うから適当になってしまうのだ。織田信長という人は、それがよく分かっていたのだと思う。
細かい事をいう人は嫌だなと思うが、細かい事にうるさい人のほうが仕事において信用できるのである。細かいことに気付けてこそ、敵の意図を見破ることも出来るのではないか。
当時、最強と言われた戦国武将、織田信長の『小姓教育』から学ぶものには大きな意味があったと思えてならない。
  

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2020年02月28日

◆ 全体を見て行動 ◆

㈱内田建設 朝礼 令和2年2月27日(木)

     テーマ  溝は浅いうちに埋めておけ
◆謝罪するのはどちらから◆

 おはようございます。私は何年か前からよく、溝は浅いうちに埋めておけというお話をしてきましたが、先日 倫理研究所で出されている職場の教養という本の中の2月号の2月18日のところに、謝罪するのはどちらから? という文が掲載されておりましたのでご紹介いたします。
 ある日、S子さんは同僚のK子さんから「そんな言い方しなくてもいいでしょう。もっと、考えてものを言いなさいよ」と言われました。
 言われたS子さんも「K子さんこそ、その言い方、気を付けたほうがいいんじゃあないですか。普段から、そうやって…」と言い返したと書かれておりました。
 そして、売り言葉に買い言葉、次から次へと相手に対する批判の言葉が出てきます。それを見かねた同僚が「二人とも落ち着いて」と仲裁に入ったと書かれておりました。
その後、職場には張り詰めた空気が流れました。  そのような居心地の悪い職場環境を見渡し( 他の人まで巻き込んでしまった )と反省したS子さんは、「 K子さん先ほどはすみませんでした。以後、気をつけます 」と謝りました。
すると、K子さんから「 私こそごめんね。お互い気をつけようね。S子さんは意地を張らずに、サッと謝れて凄いね 」と言われ、二人は和解したのです。
ちょっとした口論で互いに非がある場合、少しでも早く謝罪することが賢明です。話が拗れる前に自分から謝り、関係を修復しましょう。と書かれておりました。 そして、本日の心がけとして 素直に謝りましょう。
となっておりましたが、いつも争いごとが起こるのは全体を見る目が欠けているから起こるので、出来るだけ全体を見るようにと言っております。
そして、見るというのも網膜に映るだけ の見るのではなく、観察するほうの観るという本質を見ておれば争いごとが減ってくるのではないかな…。と思っております。争うのは、部分観であって、きっとK子さんの立場からすればK子さんが正しく、S子さんの立場からすればS子さんの方が正しかったのかもしれませんね。争いごとはお互いに立場が違うから生じるのであって、これを少し高所からみると、K子さんとS子さんの妥協点を見つけ折り合いをつければ、争わなくて済むことなのです。ものごとは、いつも部分観ではなく全体観をもって観ていきましょう。そうすれば、謝罪するのはどちらからでも一方が謝罪した時に気付くことができるのです。これが、本日の私の言いたかった溝は浅いうちに埋めておけということなのです。
  

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2020年02月26日

◆ 2.26事件とは ◆

㈱内田建設 朝礼 令和2年2月26日(水)

      テーマ   日本近代史を学ぶ

◆ 2.26事件とはどんな事件か ◆

 おはようございます。本日2月26日は、昭和11年2月26日の2.26事件のあった日でございますが、日本は第二次世界大戦に敗れて以来、日本を占領統治した連合国軍最高司令官総司令本部(GHQ)が日本の弱体化を狙い、日本人が日本人としての誇りを持てないよう 日本の歴史については語らせてないのが実情でありましたので日本近代史については多くの日本国民は知りませんが、 本日は、2月26日ですので、ここはひとつ歴史の出来事として、2.26事件とはどんな事件だったのか? というものをお話してみたいと思います。

 1936年(昭和11年)、この頃の日本も現在と同じく国民は貧富の差に悩まされていました。  貧しい人達はその日食べるのも大変な状況だったのです。
そのような中、政治家の人達は国民の苦労を解ろうとせず、国民達の中にはなぜこのような貧富の差が生まれたのか、問題の改善策とはどうすればよいのかと改善策を考え、疑問を持つ人々も出てきました。それが、皇道派と呼ばれる青年将校達でした。「皇道派」の青年将校達は、日常的に同じく陸軍参謀本部に勤務する「統制派」と対立しておりました。 皇道派の青年将校達は、この国民の貧しい生活実態を政治家の人達が天皇に伝えていないからだと考えておりました。
 そして、この不満と陸軍内部の対立が引き金となり皇道派約1500名が2月26日、時の陸軍大臣、川島義之の前で「 蹶起趣意書 」を読み上げ、東京永田町を占拠し高橋是清 大蔵大臣をはじめとする閣僚らを殺害してしまいます。
この軍事クーデターにより東京の首都機能は完全に麻痺してしまいました。
 しかし、天皇は彼ら皇道派の意見にこそ同情したものの、君主として自らも法を守る義務があると考え、彼らの法を犯した行動に激怒され自ら軍隊を率いて反乱軍を鎮圧するとまで、仰りました。そこで日本海軍は東京湾に戦艦「長門」を停泊させ、その40cm主砲により国会議事堂を吹き飛ばす用意までしたのですが、シュミレーションにより その凄まじい迄の威力で破壊された国会議事堂の破片が広範囲に飛び散り、一般民家にまで被害が及ぶと予想され作戦は中止となりました。
 その後、皇道派の将校達は 自分たちの行動に対し天皇陛下が激怒されたことを知り、次第に正規軍へ降伏していき2月29日になりやっと事件が収束していったのでした。 
そして、逮捕されたリーダー格の青年将校らは非公開の軍法会議にかけられ反乱軍首謀者として死刑になったのでした。
彼ら「皇道派」がとった行動は法の上では間違っており罰せられてしまいましたが、昭和天皇自身は彼らと国民の気持ちを痛い程、わかっておられました。
しかし、昭和天皇は国家のリーダーたるものが一度でも法という秩序を乱してしまうと取り返しがつかなくなることを知っておられ、心を鬼にしてこのような結論を出されたのだと言われております。
この事件は、事態を鎮圧した「 統制派 」でしたが、その「 統制派 」を含む陸軍の政治に対する発言力が強まり、その後の日本の政治は軍部の大暴走へと突き進んでいくこととなったのも変わらない、事実だったのだと思います。

以上が、本日より84年前の今日、2月26日に起きたという あまり語られていない日本近代史における2.26事件の解説です。
  

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2020年02月24日

◆ 啓発録に学ぶ志 ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 2年2月25日(火)

テーマ   橋本左内の立志の基本

◆ 橋本左内の『 啓発録 』に学ぶ ◆

 本日は、昨年の朝礼で話した内容と重複するお話となりますが、みなさんが 仕事だけでなく 今後の人生においても 聞いておいて損はないだろうと思いまして 幕末に生き方の指針と志を示した青年のお話をしたいと思います。

嘉永6年(1853年)、アメリカのペリーが軍艦4隻を率いて浦賀にやってきました。この時 日本に武力を見せつけ、強引に開国を迫ってきたのです。
何とかしないと、日本はアメリカをはじめとする強国の圧力に屈してしまいますが、その時 日本を守るために立ち上がった青年がいました。その青年の名は橋本左内という越前藩(福井)の下級武士でした。
 佐内は、世界情勢を見て日本だけが鎖国しているのは無理だと考えておりましたので、まず 開国をして外国の進んだ技術を導入し、十分な国力を養ったうえでロシアやイギリス、アメリカなどの強国に侵略されない日本を創ろうと、将来に向けて構想を練っておりました。

 佐内はこの構想によって国家の危機を乗り越えるため、日本全体が協力し合える体制を起こそうとしておりました。その構想には将軍に優秀な一橋慶喜を立て、それまで徳川政権に加われなかった御三家や外様大名にも加わってもらい、“諸藩同盟による連合政権”を結成しようと動いていたのでした。
この運動には、あの西郷隆盛も参加していますが、西郷は心より橋本左内のことを尊敬していたのだそうです。しかし、佐内らの改革政治の影響で立場を失うことを恐れた権力者たちによって、あと一歩のところで構想は潰され佐内は数え年26歳という若さで処刑されてしまったのです。

これが後にいう『 安政の大獄 』の中でのひとつの出来事なのです。しかし、佐内の考えがもとになったりして、その後の龍馬の活躍や、薩長同盟策などが興ってくるのです。

そのもと となった橋本左内が、数え年15歳の時に どんな人間になろうとしたのか、また 自分はどんな人間になったらよいのかを考えるために『啓発録』という文を書き、それに基づいて自己成長を心掛けたのだ といわれておりますので武士として生きるための 心構えや志をたてる重要性について 当時14歳(現在の中学2年生)の書かれたものをみて学んでみようと思います。

 そこで、橋本左内が自己啓発のもととなった『啓発録』とは、一体 どのようなものなのかを説明したいと思います。
啓発録には『五訓』があり その一つ目が“ 稚心を去る ”といって、目先の遊びなどの楽しいことや怠惰な心や親への甘えが、成長を邪魔するものであるので、依頼心、依存心を捨て去るべきである。と説いております。

続いて二つ目は、“気を振う”と言いまして、このまま終わってなるものか!人に負けまいと思う心で絶えず緊張を緩めることなく努力するものなのです。

次に三つ目として“志を立てる”というものです。自分の心の目標を定め、一度こうと決めたらその決心を失わないよう努力するというものなのです。

 さらに四つ目は、“学に勉む”といって優れた人物の素行を見倣い自らも実行するというものです。 学問では、何事も強い意志を保ち努力を続けることが、必要なのですが自らの才能を鼻に かけたり、富や権力に心を奪われることのないように慎むと言っております。

 そして最後、五訓の五つ目は、“交友を択ぶ”と言いまして、先日「損友」と「益友」の見極めのお話しをいたしましたが、志を遂げるため これから出会いたい人を自分の方から 択んでいくことが大事だと言っております。

 いかがでしたか、佐内は数え年15歳と言いますから実際には14歳今でいう中学2年生のとき、これを書き それに基づいて自己成長を心掛け武士としての心構えや、志を立てることの重要性、勉強の大切さ、励まし合える友達の重要性などが、とてもよく まとめられております。

 私たち 内田建設の社員も、橋本左内の『 啓発録 』から、今後向かっていかなければならない 正しい方向性と 勇気をいただきまして、そこから 現代に置き換えて混迷する時代を、力強く生き抜いていきましょう。
  

Posted by 内田建設 at 09:10Comments(0)

2020年02月04日

◆溝は浅いうちに埋めておけ◆

㈱内田建設 朝礼  令和 2年2月 5日(水)

テーマ  傷は浅いうちに治せ
◆  千丈之堤以螻蟻之穴潰  ◆   
         ( 千丈の堤も、螻蟻の穴を以て潰ゆ )

 おはようございます。みなさんは 私がよく溝は浅いうちに埋めよという言葉を普段から使っている言葉に気が付いていますか? 今日のテーマである傷は浅いうちに治せというのは全くおなじようなことですが、日本には、「上手の手から水が漏れる」という諺がございます。
それは、意外に上手な名人 巧者というのは、一瞬の油断で身を滅ぼすケースが少なくありません。「千丈の堤も螻や蟻の穴を以て潰ゆ」とは、それと同じようなもので、高い立派な堤防も、螻蛄や蟻の掘った小さな穴から決壊してしまうのだということを言っております。
中国古典の中では、『老子』も、「いかなる難事も容易なことから生じ、いかなる大事も些細なことから始まる」と語っております。
大事を成そうとする者は、どんな些細なことも見逃さないで早め早めに手を打ち、災いを未然に防がなければならないと言っております。
それはちょうど、医師が病気を早期発見、早期治療をする時にも似ています。『韓非子』では、「良医というのは、初期のうちに病気を発見して治してしまう。したがって これは病気だけでなく、すべてのことに当てはまる。だから、聖人は物事を処理するさい、早め早めに手を打つ」というのです。
しかし、同じ些細な事と言っても、本当にどうでもいいような些時と将来の大事につながる些時とがあります。大切なのは、将来の大事につながることと、どうでもいいような事との見極めであるということなのです。

『お分かりになりましたか、傷は浅いうちに治せという意味が』…。普段から私が言っている溝は浅いうちに埋めておけ、これも浅いうちなら、こちらから埋めてあげることが出来けれど、放置しておいたために深くなってしまうことがありますね、そして気がついていても埋めることを怠った時は、やがて亀裂ができ、埋まらなくなってしまうのです。溝は浅いうちに埋めておけ、傷は浅いうちに治しておけ、肝に銘じておきましょう。
  

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2020年02月01日

◆ 徳治・礼治・法治とは ◆

㈱内田建設 朝 礼 令和2年2月1日 (土)

テーマ   2・6・2の法則と、徳治・礼治・法治

◆2人は、積極的、6人は大勢順応、残りの2人は消極的◆


おはようございます。 以前も、朝礼の席でお話しをしたことがございます『 2・6・2の法則 』というお話を本日はしてみたいと思います。

それでは、本題にはいりますが 2・6・2の法則というものは、仮に10人の人がいたとします。その中で上位2人は、積極的に動き6人は大勢(たいせい)に従い、残りの2人は消極的となってしまうのだと 説明する人もおりますが、
私が学んできたことの中から考えてみますと、世の中には素晴らしい考えを持った才知のある人が1人~2人で、自らの心に火をともすこれを自燃(じねん)と言いまして その中の6人~8人については、何かのきっかけがあれば、火をつけられれば 燃えることが出来る可燃(かねん)の人であり残りの1人~2人の人につきましては不燃(不燃)と言いまして素晴らしい考え方を持っている人が、心に火を 灯してくれたとしても 決して、そちらには なびかずにいる人なのではないのかな?と考えております。


このことについて 本日のテーマにあげました『 徳治・礼治・法治 』を使って申し上げますと 上の2割の人間が、真ん中の6割~8割の人間を引っ張っていかなければならない 徳をもって治めていく徳治(とくち)といものなのですが、上の1割~2割にあたるリーダ層の人達は、 別のグループの1割~2割の人達と結びついてしまい、中の6割~8割(礼儀を持って治める『礼治』れいち)の人達を引っ張っていくということを忘れてしまっているのか、あるいは能力があっても、自分のことしか考えられない ような 生き方をしてしまっていて真のリーダーとしての自覚が身についていないのではないのか?と思わせていることが多いように感じられます。


また、徳を理解せず、礼儀を無視して、決まりを守らずそれを恥とも思わない 法律で取り締まらなければない 法でしか治めることのできない残りの1割~2割の(法治)の人達に悪い方に火をつけられ引きずりこまれてしまっているのか?いずれにせよ、中の6割~8割の人は、どちらにも転ぶ人なのですが、多くの人には心を形に表した礼儀を忘れることなく怠惰の心を抑制させいい方向に向かって上の1割~2割の人達についていってもらいたく感じます。

こういった基本的な、考え方をよく理解したうえでないと、魔がさしてしまい知らないうちに下の1割~2割についてしまって 法によって取り締まられることがないようにしなければなりませんね。世間では、法治主義、法治国家だとか言われておりますが、生き方、考え方としては『法治』の上には『礼治』があることを、またその上には、人徳という言葉で知られている徳をもって治めていく『徳治』という考え方 生き方があることを、あらためて 知っておいて下さい。そして、よりよい生き方を目指して生きていきましょう。






  

Posted by 内田建設 at 07:40Comments(0)