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2020年05月30日

◆ 韓非子に学ぶ人間学 ◆

㈱内田建設 朝礼 令和2年5月30日(土)

テーマ  中国古典 韓非子に学ぶ

◆ 自分のためという意識がうまくいくコツ ◆

中国古典に韓非子という性悪説に基づいて書いてある本があって、その中に
人の行事施予は、これを利するを もって心となさば、越人も和しやすく、これを害するをもって心となさば、父子も離れ、かつ怨む。というちょっと難しいかもしれない お話がございます。
なぜ難しいかと申しあげますと、論語などの徳をもって治める『徳治主義』や礼儀をもって治める『礼治主義』と違い 韓非子というのは、性悪説に基づいてのお話なので人はこうあるべきだ。とか、これが人間としての最も正しい行動であるというものとは違い、生身の人間だから弱い部分が出てしまうため悪い事もしてしまうのですが、その善悪を判断するのには、法律というものを決めて
法を以って治めていかなければならないという『法治主義』をもちいていかなければ治められないよという性悪説に基づいてのお話だから難しいと申しあげました。
それでは、冒頭に出てまいりました 人の行事施予は、これに利するをもって心なさば、というお話の意味を申し上げてまいりますと、たとえば、人を雇って仕事をしてもらうとした時、 昼食には自分たちが食べるものより、ずっとよいものを食べてもらう。賃金も大いにはずむとするが、これは、相手のために無理をしているものではなく、あくまで自分のためだ。こうすれば、相手はもっとよい仕事をしてくれるにちがいない、と思うからだ。と言っているのですが、また、雇われた人から見た時も同じで、ありったけの技術を使って一生懸命に仕事をする。しかし、これも相手のためではなく自分のため、やがてそれが 自分にかえってくるので、次から良い条件で仕事を与えてくれるようになるというのだ。
 何事も自分を利するため、と思ってそれをやらなければならない。
無理に相手のためなのだと言い聞かせると、うまくいかなかったとき相手を怨むような結果になりかねないので、最初にいったように何事も自分の為という意識が上手くいくコツということである。
ようするに頑張る時は、世のため 人のためというが、本音のところは きれいごとだけでなくいつも言っているように原因があって結果が出る。そしてそれに応じた報いがやってくるという 因果応報なのだから、自分で切り開き頑張って下さいというお話の原点がここにあるのです。ですから、誰しもがよい結果を求めるのには自分のためだと思って頑張れ!という本音の教えなのです。
  

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2020年05月28日

◆ 加藤清正に学ぶ ◆

㈱内田建設 朝礼 令和2年5月28日(木)

     テーマ  戦国武将の言葉を学ぶ

◆ ビジネスの現場でも活きる言葉  ◆

 おはようございます。昨日、熊本城にまつわるお話ということで加藤清正公のお話をさせていただきました。そのような中で、加藤清正公の素晴らしさの中に築城の名手として、また組織を束ねる大将であり 上司としても 部下の指導の心得などと、名も実も両方持ち合わせた加藤清正公ですので、現代ビジネスの中にも活かすことのできるヒントを本日も取り上げてお話してみたいと思います。

 一つ目は、うちの若者は皆、見所があるというお話ですが、加藤清正公は大変よい茶器というか名物といわれる茶碗を持っておりました。ある時、茶会を開くというのでこの茶碗を使おうとしたようですが、若い小姓が名物の茶碗だといわれていたので、物珍しさに茶碗をいじくりまわしていたところ、うっかり落として割ってしまったそうです。清正は、怒って「誰が割ったのだ?」と詰問したのだそうですが、小姓たちは答えなかったそうです。
すると、清正は「 おまえたちは卑怯者だ。茶碗を割っておきながら 犯人は、誰だ!と訊いても 名乗りでてこないとは、おまえたちは それでも武士か?」と言ったのだそうです。すると小姓の代表の者がこう言い返したのだそうです。「 あなたは、茶碗と我々とどちらが大切なのですか?茶碗を割った犯人を罰するおつもりでしょう。我々の中に茶碗を割った犯人はおりますが、決してその名は申しません。」と突っ張ってはね返したのだと言います。
 すると、今まで 睨みつけていた清正公は やがて苦笑しながら、「うちの若い奴らはなかなか見所がある小癪な奴らだ 」といって、それっきり詮索するのを潔く 止めたのだそうです。

そして、二つ目は加藤清正公がある城を攻めた後、部下の論功行賞を行った時のお話です。 清正公は部下の論功行賞で庄林を一番に、森本というのを二番と決めた時のことです。部下の森本が 怒って清正公に向かって言ったというのです。「 自分は首を二つとりましたが、庄林は 一つもとっておりません。なぜ、私が二番で庄林が一番なのですか?合点がいきません。」すると、清正公はこう答えたのだそうです。「 確かに庄林は、首を一つもとっていないが、首を二つとったおまえは 自分の手柄だけを焦って主人である俺を置き去りにしていたのではないのか? 庄林は、首はとっていなくとも、終始一貫して俺の側にいて、俺の敵を防いでくれて この俺を守ることに力を尽くしてくれていたのだ。
論功行賞というものを決めるのは、大将であるこの俺だ。俺という存在から物差しを当てると、やはり忠を尽くしたのは庄林の方である。わかったか?
このあと、森本は言葉を失って赤面してしまったらしいが、一つ目の話の潔さと二つ目の話の説得力は戦国武将の言葉としても、現代のビジネス現場で活きる戦う者の知恵としても学んでおきたいものだと思う。
  

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2020年05月27日

◆ 加藤清正公のお話 ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 2年5月27日(水)

テーマ    戦国武将の実のある言葉

◆  表には桜を、裏には栗を  ◆

最近、熊本の大震災で甚大な被害を受けた熊本城が 修復されてきている中で熊本城の天守閣を築いた加藤清正が戦国武将としても築城の名人としても色々と評価されている。そんな加藤清正公のお話を本日はしてみようと思います。
加藤清正公は、熊本に拠点を定めた時 とても信仰心が強かったので寺を作ったといいます。
そして、寺の門前にはたくさんの桜を植えて並木にし、裏には栗の木を植えたといわれておりますが、この時「なぜ表には桜を、裏には栗の木をお植えになられるのですか?」とある人に尋ねられたといいます。
そして、その時、清正はこう答えたそうです。「 寺に参詣する人々は、桜を見て楽しむだろう。心が豊かになる。裏の方に栗の木を植えたのは、いざ何か起こったときに栗は備荒食になる。また、薪にもなる。桜は花を楽しませ、栗は実をとるという表と裏、花も実も取るという両面からの心がけが必要なのだ」と言ったと言われております。
加藤清正は、その他にも熊本城内に銀杏の木をたくさん植えたといいます。
これは銀杏を備荒食にするためだといってそのようにしたのだそうです。
 また、畳には里芋の茎を使ったりして、いざという時にそれらを食べられるようにと、普段から何につけても油断しなかったのだと言われております。

いずれにしても、加藤清正公というのは賤ケ岳七本槍の一人としても、築城の名手としても、朝鮮出兵の際には虎退治を行った武将として武功も政治手腕も人望もある武将として語り継がれる名将であったことは間違いのないことなのです。
  

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2020年05月26日

◆ 気持ちを言葉で伝える ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 2年5月26日(火)

      テーマ  気持ちをしっかり伝えよう

◆ 感謝と謝罪  ◆

 おはようございます。ここに書いた謝という文字をご覧ください。謝という字は、言うという字と射るという字が組み合わさったものでして 有難うという嬉しい気持ちを伝える時に感謝という文字で表しますがその時、相手に対して嬉しい気持ち感激の気持ちを言葉にして伝えるので、『言う』という字と的を『射る』を使って『感謝』と表します。
 また、相手に対して申し訳ないという 謝らなければならない時も同じでして『言う』という文字と的を『射る』という字とさらにその間違っていたので口に出して『罪』の気持ち表すために『謝罪』という文字が使われます。人の心とか、気持ちは目に見えるものではないので、はっきりと口に出して気持ちを伝える ということはとても大事なことであると思います。
また、話しているのは自分でも聞いているのは他人です。『 伝えた 』というのと『 伝わった 』というのは大きな違いがありますので、是非覚えておくと同時に実践してみて下さい。
  

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2020年05月20日

◆ 中国古典淮南子を学ぶ ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 2年5月20日(水)

      テーマ  中国古典淮南子に学ぶ

◆  陰徳あれば必ず陽報あり  ◆

中国古典に淮南子という書物がある。 この書物は、老荘思想といって中国の戦国時代に生まれた思想の一つで似通った考え方をしていた老子と荘子という人物の思想をひとまとめにしたものでして、その特徴はいかに個人が自由に生きるかを考えた思想で時流に流されず、超然として心穏やかに自由に生きることを説いた思想なのです。
その老荘思想の書かれた淮南子という書物の中に『陰徳あれば必ず陽報あり』と出ております。「陰徳」とは、人に知られない善い行いのことであり「陽報」とは、はっきりと それとわかるかたちでのお返しのことを言っております。
ひそかに善行を積んでいれば、あとで必ずそれとわかるかたちで良い報いを受けるのだという。善行の勧めなのです。
ここで面白いと思われるのは、陰徳あればといって善行を積むことを教えているが、その気にさせるインパクトが乏しいので、陽報を持ち出し後で必ずよいことがおこりますよ。と念を押しているところにあるのです。では、誰がそれをしてくれるのかということになりますが、最終的には天であり神であると書かれております。神社にお参りに行くと僅かばかりの御賽銭をあげて、あれもこれもと過大なお願いをする人もいるようですが、それよりも善行をしっかりと積んでいれば、お天道様は見ているのです。勿論、最初から報いなど期待しないというのが陰徳ではあるが、ずっと善行を心がけていれば因果応報となりいつかはきっと、よい知らせがくるということである。これを、淮南子は自然と人間観の中で説いてきたのである。『 陰徳あれば必ず陽報あり 』覚えておいて損はない言葉であろうと思う。
  

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2020年05月15日

◆ 壯にして学べば ◆

㈱内田建設 朝礼  令和 2年5月15日(金)

     テーマ 時間を惜しめ、時間は大切なもの

◆  10年後に向け今、頑張れ! ◆

 おはようございます。幕末志士たちの共通の師である佐藤一斎の言葉に、『 少にして学べば、壯にして成すあり。壯にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず。 』とありますが、これは青少年時代に学べば、壮年になって為すことがありまして、壮年時代に学べば、老年になっても気力が衰えないし、老年時代に学べば、死んでもその人望は朽ちることはありません。
という意味なのです。
 要するに この佐藤一斎の教訓は、若い時から時間を惜しめと教えたのです。
こういう教訓を話すと、年輩の人達は大抵耳を閉ざし、今さら聞いても益なしという顔つきをいたします。
しかし、これにつきましてはこのように考えてみると如何でしょうか。今から10年後の自分を想定し、10年後の自分から今の自分を振り返ってみるのです。今、私は62歳ですので、72歳の自分を想定してみて、10年若い今の自分に対して咤激励してもらうという方法であります。
『 お前はまだ10年若い。今の俺よりも断然若いのだから、やるなら今だ!さあ、今こそ立ち上がれ!その若さなら、きっとやれる。今、やらなければ後悔することになるぞ!』などと、自分で自分自身を励ましてもらうということも ひじょうに 大切なことなので試してみる価値はあると思います。
みなさんも、それぞれ10年後の成長した自分を信じ、想定してみて10年若い今の自分に対して咤激励してみて下さい。
  

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2020年05月14日

◆ 間違いの語源 ◆

㈱内田建設 朝礼  令和 2年5月14日(木)

     テーマ    間について学ぶ

◆ 間の取り方で良好な関係を気付く  ◆

おはようございます。過去に朝礼でお話したことがあります間違いの語源に関するお話や、人間関係の正確な距離についてのお話で本日は、その間が違う いわゆる間というものについてお話いたしたいと思います。
先ずは、間違いという語源からですが、日本最古の書物とされております『古事記』の中に男神にあたる伊邪那岐と、女神にあたる伊邪那美という神様が出てまいります。そしてこの二名の神様が国生みを命じられ聖なる柱の回りを 順番に回り国作りをしようとするのですが、中々うまくいきません。そこで、伊邪那美の神は国作りを命じた最初の神である 天之御中主神に聞きました。
伊邪那美と伊邪那岐が柱のまわりを回り国造りをする中で、こんなに一生懸命にやっているのになぜ出来ないのですか?私たちは、何処か間違えたのですか? と聞いたのです。 これに対し天之御中主神は、間違いという言葉について説明されたのでした。
自然界にも決まりというか法則があり、雨は上から下に向かって降ります。そして、火は下から上に向かって燃え上がってまいります。
これと同じことが、この国造りをする時も同じことが言えるのですよ。 男神の伊邪那岐が、柱の回りをまわる。そして、次に女神の伊邪那美が、正確な間(距離)をとって回るこれを順番通りに行えば間違いは生まれないのだよ。本来ですと女性は、おしとやかに男性の後をついていくものなのです。 その女性が、順番も守らずに男性よりも前に出て、しかも正確な間(距離)も取らずに、これここそが『 間が違う』ということなのだよと説いたと言われております。
これこそが『間違い』の語源だといわれております。

 人間関係も同じであり、A君はB君に対して距離を取りすぎていて、出会ってからいつまで経っても冗談も言えないのは、正確な距離とは言えませんね。 しかし、C君のように会ったその日からB君の心の中に遠慮なく 土足で入ってきてしまうというという行為で あまりにも、近すぎる距離も困ります。
これも正しくて正確な間合いが取れないことからおこる『 間違え 』なのです。
 いかがでしたか?………。本日のお話は、人間関係も物事も正しく順番通りに、正しく正確な間をもって進んでゆけば、間が違わないよう、『 間違い 』というのは なくなるものです。是非、今後のご参考にしていただきたくおもい お話をいたしました。
  

Posted by 内田建設 at 08:27Comments(0)

2020年05月13日

◆ 苦労の所以とは ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 2年5月13日(水)

      テーマ    人間力を磨く

◆ 苦労の意味を知ろう ◆

 おはようございます。いつだったか朝礼でのお話の中で人間は苦労では潰れないが、その意味が分からないと もう少しというところで潰れてしまうことがあると話したことがございました。これは、松下政経塾1期生の林先生の『 原 大本 徹 』いわゆる原点・大局・本気・徹底という本に書かれているお話でございますが、その林先生は 江戸時代後期に『 言志四緑 』という指導者となるための教育書を書き上げた儒学者の 佐藤一斎先生という偉人の教えからのものであると教えております。
 その中で、幕末志士たち共通の師であった佐藤一斎は、苦労は自己成長のためにあると教え、困難に苦しみ、激変に巻き込まれ、屈辱を受けたり、悪口を言われたりして、人生には色々と辛いことが起こったりするものです。
しかし、そのような時は、逃げたりせず、苦労の意味というか所以を考えなさい。と申されております。 
誰だって、苦労は嫌、でも逃げられないときがあるのです。特に最近のように世界全体が、人類の存亡を賭けた苦労の時にあるのです。そんな時、新しい社会秩序を誕生させるためには、生みの苦しみというものがあるのです。
何処を向いても逆境の時代なのだから、これから人類が味わっていく苦労の向こう側にあるものの意味とは何か? そこのところをよく考え目先の利益だけでなく、何のため、誰のため、どうすればよいのかという意味を、原点でしっかりと掴み大局的にものを見て、本気で行う。そして、結果が出るまで徹底的に頑張るというものです。
そうすれば、人間は苦労で潰れることなく苦労の意味をしっかりと掴めるというものだと教えてくれております。そして、林先生は前を見て進むには目の前しかみていないと迷ってしまうことがあるから、あまり、小さな利益や既得権益に囚われて曇った目にならないよう、もっと遠くまで配慮して真の利益を獲得していくことが肝要だと言われております。
そのことが、本当の苦労の意味であるし、苦労の先に見つけてほしいものだと仰っておりましたので、これからは、原点、大局、本気、徹底の考えを物差しに頑張っていけるとよいのだと思います。
  

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2020年05月12日

◆ 継続は力なり ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 2年5月12日(火)

テーマ    周利槃特の修行に学ぶ

◆ 自らの愚かさに気づく  ◆

 おはようございます。コロナウィルス感染症拡大防止のため暫く朝礼にてのお話を止めておりましたが、本日はお釈迦様の十大弟子の一人の周利槃特のお話をしてみたいと思います。十大弟子の一人に数えられる方であるが、物覚えが悪く お釈迦様の教えを聞いても理解できないどころか、自分の名前も満足に書けないというありさまであったのです。したがって物覚えが悪くて自信をなくした槃特は、お釈迦様に「 私は愚か者ですので、ここにいても みんなの邪魔になるので、修行を止めて出ていきます。」と告げました。

 すると、お釈迦様は「 自分が愚かだと気付いている人というのは本当に愚かではない。賢いと思いあがっている人のほうが、よっぽど愚かなのだよ 」と諭しました。
 そして、掃除好きな槃特に「 塵を払わん、垢を除かん 」と唱えながら徹底的に掃除することだけを教えました。その後、槃特は、何年も何年も箒を持って、ひたすら掃除に打ち込みました。
その ひとつのことだけに 打ち込む姿をみているうちに、やがて 周りの弟子たちも尊敬の念を持つようになってまいりました。
そして、槃特も「 塵や垢とは、執着の心なのだ 」と思うようになり それを理解してやがては、悟りを開くまでに至ったのです。
 このお話は、当たり前の事や小さな事でも、一つのことを徹底的に、ひたむきに続けていくところに道は開けるということを教えてくれております。

 話は変わりますが、アメリカでは多くの小学校で子供たちが掃除をやらないそうです。
なぜならば、掃除専門の人の仕事を奪ってしまうので失業者を出してしまうのだということや、自分のうちの子供を掃除人にさせるつもりではないという保護者からの反対意見にあるそうです。
しかし、日本人や東アジアでは、ほとんどの子供たちが学校において掃除をやっているのです。
これは、高い目標を掲げなくても、自分を変え境遇を変えることはできるという周利槃特が仏教の中で教えてくれた物語が大きく影響しているのだといわれております。

今は、掃除の例をとってお話しましたが、このことは 掃除だけに限らず、『 いつでも、どこでも、誰でもすぐに取り組める簡単なことを、一つさがし とことん続け実践してみましょう。 』ということなのです。
さすれば、『 仏説阿弥陀経 』に出てくる周利槃特のように、仏教での修業の成果というようなものを手に入れることが出来るかもしれません。
また、日本にも小学校教員9年勤めたあと親鸞の教えを説くことに54年の生涯を捧げた浄土宗の住岡夜晃さんの書かれた讃嘆の詩(さんだんのうた)にある継続は力なりというのも周利槃特のいう塵を払わんと 同じ心がけで、一つの事を し続けてみれば しっかりと、見えるものがあるということなのだというお話を、本日は させていただきました。
  

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2020年05月08日

◆ 袋商ショップ株主総会で ◆

成功するには、強く願う事、強く思う事。

 みなさんこんにちは、本日は株主総会ということですので、私は株主としての立場からと 同窓会の先輩としての両方の立場から、みなさんがこれから将来に向かって成功していただけるように、少しだけお話しさせていただきます。

 今は、パナソニックという会社名になっておりますが、松下電器㈱ 創業者の松下幸之助という人がおりまして半世紀ほど前になりますが当時 松下幸之助さんは 〃経営の神様〃として多くの人達から注目を集めておりました。

勿論 経営の神様と言われるのだから いろんな場所に行っては頼まれて成功体験の講演をしたりしていますと、ある経営者の方から、「 そんなことより、私は、どうすれば 私の商売が上手くいくのか。そして、どのようにやれば儲かるのかを具体的に教えてほしいのです。」と言われ困ってしまわれたようです。

それは、そうでしょうね、自分の場合は上手くいったが人それぞれに職種や状況が違うのですから…。簡単に答えなんか見つかるはずがありません。
しかし、何とか よい答えはないものかと思い、考えて その時に松下幸之助さんの言われた言葉がこうでした。「それをいかに 強く思うことが出来るか!いかに強く願うことが出来るか!」という答えだったらしいのです。
 その講演会が終わり みなさんが帰ろうとしている時、たった一人だけですけれど、「そうか!いかに強く思うこと いかに強く願うことなのか!」と言った人がいたそうです。それが、京セラで有名な稲盛和夫さんなのです。その後、大成功をおさめた稲盛さんのお話では、思っても、願ってもなかなか上手くいかないのに思わなかったら、絶対に上手くいくはずなんかない、そうだ、強く思い、強く願いそこに近づけるよう努力する。行動することだ!と思うという考えが、今の私を作ってくれたと経営の神様と言われた 松下幸之助翁に感謝したそうです。
たった一人でも、そう思えれば、そう願えれば成功に向かっていくものです。
あと、成功とは、成功するまで続けた人だと思って下さい。目標に向かって強く願って行動する。願うばかりで行動しなかったら何もかわらないということも覚えておいて下さい。袋商ショップ株主代表の挨拶として意を尽くすような挨拶になれたかしれませんが今日から、みなさんが将来、立志大成できるよう強く願って私の挨拶にかえたいと思います。 ありがとうございました。
  

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