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2017年04月04日

◎ 加藤清正のためになるお話

◆おまえは自分の功を立て、彼は忠を尽くした。 ◆


おはようございます。本日は、歴史に学ぶ人間学として人生が開ける戦国武将の言葉の中から加藤清正の言った含蓄のある言葉をお話し致します。

加藤清正がある城を攻めた後、部下の論功行賞を行った。庄林(しょうばやし)を一位、森本を二位と決めた。 

森本が怒った。「自分は首を二つとりました。庄林は一つもとっておりません。なぜ、私が二位なのですか?」

清正は答えた。「確かに庄林は首を一つもとっていない。しかし、首を二つとったおまえは自分の手柄を焦って主人の俺を置き去りにした。
庄林は首はとらなかったが、終始一貫して俺の脇にいて、敵を防いだ。
おまえは自分の手柄をたてることに熱中し、庄林は俺の身を守ることに力を尽くした。俺の存在という物差しを当てると、やはり忠を尽くした庄林の方がおまえより優れている。わかったか?」  森本は言葉を失って赤面したという。


ビジネスの現場で活きる、戦う者の知恵  上司として、部下としての心得、組織を束ねていく者の才覚などが、この短い言葉のやりとりの中に凝縮されていましたね。
自分というものを、それぞれの立場に当てはめてみて、気付きと置き換えをしてみて下さい。    本日は、 戦国武将の加藤清正のお話しでした。

  

Posted by 内田建設 at 21:56Comments(0)

2017年04月03日

H29.2/22 朝礼より 命はひとつ


◆ 命はひとつ大切に  ◆

 おはようございます。いつも感動するよい話を皆さんに提供できればと思いいろいろと探してはいるのですが、今日は安全教育の一環として親の生き方が子供の人生を狂わせてしまうというお話しを致します。
 32歳のお母さんに5歳と3歳になる二人のお子様がいます。38歳の会社員のご主人が酔っ払い運転で、無理に追い越しをしたが為に、対向車と正面衝突し双方ともお亡くなりになりました。ご主人の過失の為に、相手の死んだ青年の両親から奥さん宛てに慰謝料の請求がきたそうです。
保険金もあまり出なかったので、奥さんは、将来家を建てるためにと、貯金し始めていたお金97万円、テレビ・冷蔵庫・洗濯機・洋服ダンス・時計・指輪・夫の洋服すべて売りました。その代金23万円と合わせて120万円をお見舞い金としました。
 また、夫の退職金全額を差し上げる条件で、ご遺族に持って行きました。
ところが、こんな少額では納得がいかないと、投げつけられたそうです。家に戻っても、お子様2人は、お父さんが死んだことを理解できないので、「お父さんどうしたの?」「なぜテレビが亡くなったの?テレビが見たい」とせがみ泣き出したそうです。

子供たちは今、すやすやと眠っています。これからお父さんの元へ行けるのも知らずに…私と子供の命と引き換えに、夫の罪をお許し下さい。そのむね、ご遺族のご両親にお取り計らい下さいますよう御願い申し上げます。

 これは、遺書の写しです。この手紙のあと、2人のお子さんに薬を飲ませ別府湾に入水自殺されたのです。この話は大分県の交通安全大会で朗読され、その奥さんの遺族の方が、酔っ払い運転はこういう悲劇を生むのです。という意味で、朗読された後、大分県南蔵院の林各乗 住職に下さったそうです。私が今朝酔っ払い運転の悲劇の中で伝えたかったのは、子供は親を選ぶことはできないということです。だからこそ親の生き方、生き様について行くしかないのです。だから、もっと生きたかったこの子供たちは、自分たちで人生を歩んでいくことが出来なくなる。つまり親の生き方がとても重要なのです。ということだったのです。たった一つの命です。納得いく人生を送らなかったらいけませんね。
  

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2017年04月03日

◎ 叱って貰えることの有難さ

テーマ    叱って貰えることの有り難さ

◆ 怒られているのに嬉しくなるのはなぜ  ◆

おはようございます。東林志塾 学頭の林英臣さんからいただいたメールの中に、力を抜けば強くなると書かれていてその中に 叱って貰えることの有り難さというのがございました。

 上の立場の人から怒られたら、誰だってムカッときます。でも、嬉しさを感じる場合もあります。それは、自分に対する慈愛を感じた時です。自分に目をかけてくれていることが分かり、温かさを受け止められたときなら、怒られているのに嬉しくなるのです。
ところが、怒鳴られることは同じであっても、熱いのは頭だけ、腹の中は冷たくて、自分の都合しか意識にない。思い通りにならないことへの腹いせで怒っているのであって、仕事に対する熱心さも、相手への情けも皆無。こんな上役では、誰も付いていきたくなくなります。
 老子は「慈愛を以て戦えば即ち勝ち、守れば即ち固し」と言いました。慈愛の慈 には、悲しみの心によって、哀れんで情けを掛けるという意味があります。
仲間や部下の仕事が分からない辛さや、出来ない切なさ、独りぼっちの悲しみというものを可能な限り知る。 
その上で、素直に相手を思って諭すことを『叱り』と言うのです』慈愛を以て叱れば則ち思いが伝わり慈愛で包もうとすれば則ち絆は固くなるという訳です。
 
と林先生からのメールには書かれておりましたが、私が思うには慈愛があれば 申し訳ない という気持ちが起こり、心の中で手を合わせながら相手に注意するということになるのでは、ないのでしょうか?自分だって出来てないが、立場上言わねばならない。本当に申し訳ないと腹の中で合掌し、どうか良くなって下さいと祈りつつ、目を怒らせて叱るのが注意というものだと思います。期待していなければ怒りたくはないし、心の中で見捨ててしまえば、もう何も言いたくなくなるものです。本当は、私もみなさんが 叱って貰えることの有難さを十分ご存じだと思っておりますので、このことを見失わないでください。
  

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2017年04月03日

◎ 小国神社のとこわか塾にて

テーマ   現場からの日本の国防について

◆ 防衛政務官に聞く、『私の感じた日本の国防』 ◆

 おはようございます。私は、松下政経塾1期生 である 林英臣先生のもと 浜松の東林志塾というところで、15年にわたり毎月 勉強会に参加するとともにそう言った人間学の勉強を 出来る限り、一般の人達にも 広く聞いていただきたく、年1回 遠州公開講座というものを実行委員長として行ってきております。

 そのような流れの中、現在、全国神道政治連盟会長 を務めます 小国神社の打田宮司さんとも知り合い 懇意にしていただく過程で、宮司さんは、森・袋井の人達の民度を高めたいとの考えをお示しになり、 豊かなふるさと創生のためこの地元遠州から、全国で活躍されている方々を講師に招き『遠州とこわか塾』というものを小国神社の中に開かれました。
    
その 『遠州とこわか塾』は今季で7年目になりますが、過日2月26日(日)にその第3回目が、小国神社の研修会館で開かれましたが、その日の講師は、防衛大臣 内閣府政務官の 宮澤博行 先生の講演でしたので、その中で聞く
ことのできたレアなお話しをしてみたいと思います。

 まず、防衛政務官って何?というのが一般の方々の疑問で、ちょっと政治をかじったことのある人間であれば防衛大臣の下は、政務官ではなく政務次官ではないの?と思われますが、昔は各省のトップいわゆる№1が大臣で、その下に№2として官僚のトップ事務次官・と議員側からみた№2の政務次官でその下に審議官というのが№3ということになっておりました。因みに審議官は1名だけではなく数名いるというのが普通の形でした。
しかし、現在の日本周辺を取り巻く防衛環境を考えますと議員側の方も大臣と政務次官の2人だけでは少ないのでは?ということになり、政治家側からは少なくとも防衛大臣、防衛副大臣そして、防衛大臣政務官の3人態勢で臨むということになったらしいのです。 
宮澤さんが、言うのには「でも、政務官と言ったて全然たいしたことはないのですよ。その証拠に、大臣と副大臣はモーニングを着て皇居で認証式が行われますが、政務官は内閣がそれを行うことになるのです。」と言っておりましたので総理大臣もしくは、防衛大臣から認証されるのでしょう。

 それから、宮澤政務官の仕事って一体何をやっているのかと思い聞いていると防衛大臣が海外へ行っているときに日本にミサイル等が撃ち込まれたりした場合は、防衛大臣の代わりに副大臣が、また副大臣が留守の場合は、政務官が攻撃の命令を出すということになっておられるそうです。  また、造船所から軍艦を海に入れる時の進水式などを防衛政務官が行います。
そして、宮澤先生のお話しではそれぞれの自衛隊に行くと食事を出してくれるのらしいのですが、彼は必ずおかわりをすると言っておりました。

それは、先方が喜んでくれるから、なぜ…?海上自衛隊はコックも自衛隊員でありプライドをもっているからなのだそうです。一航海する間って結構長いし、その間 乗組員を飽きさせないためには、コックの作る美味しい料理が決手となるからだと言っておりました。そこへ行くと陸上自衛隊などは、どこかわからないような食堂が入っているらしいので、そこまでのこだわりは あまりないようですね。そうそう、自衛隊って 航空自衛隊は、何々基地という名前だってこと知っていましたか?そして、陸上自衛隊の場合は、駐屯地と呼ばれているのだそうで、海軍の場合は何々地区と呼ぶのだそうです。
あと、日本の潜水艦には 女性が乗っていないってこと 知っていましたか?なぜかと申しますと それは、居住スペースがないので着替える所がないため、隊員が風呂に行くのも裸のまま行くらしいのです。男の人の前を女性が裸で通るという訳にも行かないでしょう。もちろん、アメリカの原子力潜水艦などは居住スペース等も広くとってあるので、女性の乗組員も結構、乗っているらしいです。

それから、自衛隊というのは集団行動が多く求められますので協調性のない人は駄目ですね。勿論、それらを まとめようとする 上司になる人も、上から目線では人がついていかないので、幹部になる人というのは相当、頭も性格もよくないと務まらないと言っておりました。
そのような中、隊員の中で協調性もない人は どうするのか と思われるでしょうが、そこは そこで その人の適材適所等を見つけ一人だけで行う、狙撃手(スナイパー)などの 任務についたりしていくそうなのです。その中のひとりでスナイパーの人のお話しですが、その方の趣味がカメラをやっていたらしく普通では見つけられない、雪の中で真っ白いウサギの撮影に成功しカメラ雑誌の中で貴重な作品だと話題になったそうです。協調性は、ないのかもしれませんが、雪の中で身を潜めて声を隠し、撮影したものだと思いますが、如何にも自衛隊のスナイパーにしかできないことかもしれませんね。
それから、日本の自衛隊は 世界最強のアメリカ軍などとの合同軍事訓練やPKO活動等において世界の軍隊と一緒に活動をする中で、他のどこの国よりも優秀だというお話しも話されました。

そういった中で、他の国が日本に期待する事、と言うか 応援していただきたい事は、大きく分けると 三つあると言われました。一つ目は、日本との同盟を結ぶことで、二つ目は、物資をいただくこと、そして、最後の三つ目は、あらゆる ノウハウを提供していただくことだそうです。
この中で一番難しいことが、同盟して 軍隊を出して 軍事行動をすることだと言っておりました。

勿論、ソマリア沖にて海賊が出た時に他の国と協力し軍事行動を起こすことよりも、なぜ海賊が出るのかを考えた時、海賊行為に及ぶのは、あまりに貧しすぎるために 海賊をしなければ生きていけないという 貧しい環境下にある人々の経済援助や、その人達の雇用を生むための努力も惜しまないような環境づくりをしなければ ならないと真剣にお話しされておりました。

以上が、国を守る、豊かなふるさと、強い日本を実現させることの第一歩になる。 終戦後、自衛隊がこの国に出来て60年の歴史の中、よくぞ ここまでしっかりとした国防組織を創り上げたと思わせるフシはありますが、本当は、戦後60年の歴史ではなく、明治維新以降、150年を超える歴史と伝統が、今の 陸・海・空の自衛隊をささえていることは間違えありません。
本当に伝えなければ、ならない真実はここにあるのですと、防衛大臣政務官宮澤博行先生は、熱く語り講演を終了いたしました。
  

Posted by 内田建設 at 15:25Comments(0)

2017年04月03日

H29.4.3 我欲を超えた生き方を学ぶ

テーマ  人間力磨くヒントとコツ

◆ 我欲を超えた生き方を学ぶ  ◆

 おはようございます。前回の朝礼で、我欲を超えた生き方が『老子』の中にあると申し上げましたが、確かに『老子』を学んでみますと『老子』第九章に「功遂げて身退く」というのがございます。 原文をそのまま読んでみますと 持してこれを満たすは、その已むにしかず。きたえてこれを鋭くすれば、長く保つべからず。金玉堂に満つれば、これをよく守ることなし。富貴にて驕れば、おのずからその咎を遺す。功遂げて身退くは、天の道なり。

意味を申しあげますと、酒を満たした杯は、いつまでも持ちこたえることができない。鋭利な刃物は、折れやすい。財宝を蓄えれば、必ず狙われる。
富貴になって 慢心するのは、災厄を招くもとだ。成功すれば 身を引くのが、天の道である。

さて、この中で「富貴にして驕れば、自らその咎を遺す。功遂げて身退くは、天の道なり」の部分を抜粋して、気付きと置き換えをやってみましょう。

富貴というのは 必要ですが、手に入れてからが 肝腎なのですよ。なぜか、そこからが、その人の本質が出てくるからです。成功というのは もちろん目指すべきことですが、功遂げての後が大切で 生き方の美しさが そこに問われてくるというのです。と教えているのだと思います。

「富貴功遂」にして、そこにしがみつかない。さっぱりと身退く達観こそ、東洋人が首肯し、潔しとして憧れる人生観なのです。そういう気持ちで、事にあたれば我欲は大欲に昇進し、道を外れることがなくなるという教えを「老子」または、東洋思想で「無」や「空」というもを用いて説いております。

 結局、人間が対立するその元となる感情が「怒り」、「妬み」、「我欲」であり一人の成長を邪魔するのも 同じ心が原因なのです。
しかし、平和と幸福をつくり出すのも 人の心なのです。

だから、何か事を成そうとするならば、まず人間を知らなければ始らないのです。人はどういう時に喜び、どうなると怒り 悲しむのかと、要するに突き抜けて人間を好きになれるかどうかなのです。 自分にとって 都合がよければ好きで、悪ければ嫌いというのなら、誰でも持っている普通の感情ですが、そうではなく、良い面も悪い面も大きく包み込んでそれをも超えて人間を好きになれるかどうかが『老子』の目指す生き方、谷の思想ですと言われるゆえんなのでは、ないのでしょうか。
  

Posted by 内田建設 at 15:15Comments(0)本日の朝礼

2017年04月03日

H29.3.30 人間力を高める感性

人間力を高める感性

◆  人が怒るのは事の大小ではない   ◆

 おはようございます。今朝は始めから難問を投げ掛けていきますが、人間はどうして争うのか皆さんに問いかけてみたいと思いますが如何でしょうか?
人が集まるところ、必ず対立が生じます。国家間の紛争や政党間の対立、各種団体内の派閥争いから、果ては地域の隣同士のいがみ合いなど大小を問わず、いたる所で、争いが存在しています。

結局どんな仕事も、その成功は人間関係の調整能力にかかってまいります。
どう摩擦を少なくさせるか ということに多大な時間と労力が取られてしまいそれを抜きにしては何事も発展はあり得ません。

 さて、人間が他人と対立する感情について よく考えてみますと三つのことがあるというのに気が付きました。一つには「怒り」、二つには「妬み」三つには「我欲」です。どうも、これらが争いの元といっても過言ではないでしょう。

小さな話ですが、仲間でラーメン屋に入った時、自分だけチャーシューが無かったなんていう場合、なかなか平気でいられず、なんで俺だけ入っていないのだと不公平に怒るのが人情というものです。

次に妬みです。「隣に蔵が建てば、うちは腹が立つ」という言葉があるように、自分と同クラスや、それ以下だと思っていた人が成功したり立派になりますと、どうしても平静でいられなくなるのが人の心理と言うものです。そして、あの人はたまたま条件が良かったから、などと理由を考えては溜飲を下げ、ジェラシーを紛らわそうとします。

もう一つが「我欲」です。金銭欲、権力欲、名誉欲など、人間には際限のない欲望というものがあります。飽くなき金銭欲を表している言葉が「守銭奴」です。金を貯めることそのものが目的となってしまった人のことです。

お金が貯まる際の、カウントされる数字そのものに満足している状態です。それから人間は何らかの権力を手にしますと、容易に離そうとしなくなる傾向があります。権力欲は「仕切り気」と言いかえてもいいでしょう。
食欲が「食い気」、性欲が「色気」であるように、権力欲は「仕切り気」です。
確かに、自分の命令で人が動くというのは痛快です。その立場につくと回りから大事にされるというのも痛快です。「先生は三日やったら辞められない」というのだそうですが、先生という上からものを言える立場が満足度を高めていくのです。

また、名誉欲というのも、なかなかの曲者です。どの世界においても実力者が功成りてといってお金も、地位も手に入れ、最後に欲しがるのが名誉です。 その心理をくすぐるのが名誉商法です。簡単な講習会に出れば、○○士が取得できるといわれ、高いお金を払わされてしまうケースなどもあると思うので、気をつけましょう。

以上のことを頭に入れ考えてみると、私も みなさんも なるほどと頷ける事が多々あるのではないかなと思われます。欲望とは、本当に怖いものだと感じながらお互いに、気をつけていきましょう。

そして、そういうことだと分かっていても、そういうトラブルに巻き込まれてしまうのが 実情ですので、我欲を超えた生き方をめざしましょう。

「我欲」を超えた生き方については、『老子』によって戒める考え方がございますので、後日の朝礼にてお話していきたいと思います。
  

Posted by 内田建設 at 11:16Comments(0)本日の朝礼