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2019年07月30日

◆ 過ちも「糧」にする ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 元年7月31日(水)

     テーマ  過ちを改めることに躊躇するな

◆  過而不改、是謂過矣  ◆

おはようございます。本日は過ちを「傷」にするか「糧」にするのかというお話しですが タイトルにある漢文を読んでみますと、過ちて改めざる、これを過ちという と読みます。
意味を申し上げますと 過ちを犯すことは、人間である以上 しかたがない。しかし問題なのは、過ちを犯しても過ちを認めず、それを改めないことが過ちなのだと、論語の中で 孔子が言っております。
私たちは、往々にして 過ちだと知りながら、それを認めず知らん顔をしたり、あるいは居直って高圧的な態度をとってしまうことが ございます。
ここで、孔子は「 過ちは則ち憚ることなかれ 」とも語ってございます。

 過ちを犯したときは、照れたり隠したりすることはなく、すぐにそれを改めるべくつとめるように素直になりなさい。大事なことは、失敗してからの事後処理ということになるのです。人間というのは過ちを過ちと認めるところから進歩が始っていくと教えているのです。
 ただ、問題なのは、自分の過ちに気付いていないという場合なのです。
そのような時は、心の中で反省していないので、同じ過ちを繰り返してしまう可能性がひじょうに高いのです。
とても難しいことを申し上げますが、そんな時、自分の過ちを指摘してくれる人がいれば、その時は不快に感じても長い目で見た時、こんなありがたいことはない、いや これ以上にありがたいということはございません。

 そういう忠告に素直に耳を傾ければ、人間的成長も期して待つべきものになること間違いないのだと思います。孔子の弟子の中で一番優れた人物は顔回であったと言われております。顔回というのは同じ過ちを二度重ねるということがなく「過ちを改める」ということの中で、孔子が、論語の中でも取上げ賞賛するほど実行が難しい『内省』をつねに心がけ怠らなかった人物だったのです。我々も顔回に学び、過ちを 傷にするのではなく糧にしていきたいものですね。
  

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2019年07月29日

◆ 遠くまで配慮せよ ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 元年7月30日(火)

     テーマ  憂いを取り去るには

◆ 子曰、人無遠慮、必有近憂  ◆

 おはようございます。本日は論語の中で言っている遠慮という言葉の意味について申しあげます。

先ずは、『 子曰く、人、遠き慮ばかりなければ、必ず近きに憂いあり 』とございますが、意味を申しあげますと「 孔先生が仰った、人は遠くまでの配慮、気配りがないようでは、きっと身近なところで心配事が起こる 」遠くまでを見通して、配慮することが大切であることを孔子は教えております。
遠慮するということばを我々は、何事も 控えめにと思い行動しているようですが、ここで言う本当の遠慮とは、遠くまで見通すことの大切さを言っております。
先を見通す目を持たない人は、身近なことすらも見落としていて様々な問題ごとが起こってしまうということを指摘されているのだと思います。
そこで、日々、先々のことを考えている人は目標もしっかり持っているだろうし、目的達成までに起こるであろう障害や問題点も予測できているから 当然、その備えも行うことができるのであると思えます。たとえ、火事が起きてしまってもボヤのうちに消し止められるので目立たないのだと思います。まさに、『備えあれば憂いなし』ということとなるのだと思います。

“遠き慮り”は子供から大人まで、それぞれのレベルで必要とされていると思いますが、人を率いていくリーダーには特に必要とされることでありまして、リーダーは、目指す目標を明確に決め、そこまでの道筋と計画を示さなければなりません。したがいまして、考えられる限りの障害と対応策を準備し目標を達成していかなければなりません。そのため、近くだけでなく 遠くまで見通す配慮を欠くと思わぬところで足元をすくわれてしまいます。
孔子は憂いを取り去るためには、近くのことと遠くのことを合わせて考える大局的な目を養わなければならないと考えていたため、このような発言としたのでしょう。
  

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2019年07月25日

◆ 自分を磨け ◆

㈱内田建設 朝礼 平成31年7月26日(金)

     テーマ  人のせいにせず自分を磨け

◆ 不患無位、患所以立  ◆


 おはようございます。今週は『論語』についてお話をしておりますが、本日のタイトルは、位なきを患えず、立つ所以を患えよ と読みます。

論語を読んでみても、孔子は時の為政者から、その能力にふさわしい待遇をされなかったようです。

政治に志した彼は、当時の社会をもっとましなものにするため、政治の改革に意欲を燃やしたのですが、生涯のほとんどを不遇のうちに終えているのです。
それでも、彼の偉いところは、そういう中にあってもつねに前向きの姿勢で生きたということです。

本日のタイトルにあげている言葉は「 高い地位に就けないと嘆く前に、自分の実力をつけることにつとめなさい 」といった意味なのですが、他ならぬ孔子が語っているというところに味わいがあるのです。
自分の思いどおりにならないと言っては、ただ愚痴をこぼしてばかりいたのでは何も始まりません。

たとえば、「そろそろ自分にも管理職のポストが回ってきてもいいころなのに、いつまでたっても辞令が出ません。同期の人間は、もう課長になっているというのに会社は 何を考えているんだ。」などと文句を言う前に、そうした地位にふさわしい実力を身につけることが先決ではないのか。

展望と言う者は、そこから開けていくものであり、前向きでコツコツとやっていても難しいのだから、それをしていないのであれば尚の事、難しいということを、孔子は身をもって体験していたから、このような言葉を発したのであります。
  

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2019年07月25日

◆ 論語に学ぶ ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 元年7月25日(木)

      テーマ   考えながら学ぶ

◆   学問と思索    ◆

おはようございます。本日も論語の中から抜粋してのお話しとなりますが テーマに掲げたように考えながら学ぶことを、少し触れてみたいと思います。
子曰く、学びて思わざれば、則ちくらし、思いて学ばざれば則ち殆うし
意味を申しあげますと、孔先生が仰った、どんなに勉強をしても、自分の頭で考えない限り、生きた知恵とはならないのです。

しかし、思索のみにふけって先人の業績に学ばない者は、自分だけが正しいという独善に陥ってしまうのです。
 たしかに本を読むときには、たんに書かれていることを鵜呑みにするのではなく自分の頭で考えながら読むことが、必要なのでは と思います。

そういう読み方をしませんと、せっかくの名著も読んだというだけで終わってしまい 何も身に付きません。知識といっても、たんなる断片の寄せ集めであり生きた知恵として働かないから ということであります。そうならないためには、そこから 何かをつかみ取ろうとする 前向きの姿勢、つまり、自分なりの問題意識をもって読むことが望まれるということなのです。

 これとは逆に、自分の頭で考えるばかりで、広く他人の知識や経験に学ぼうとしないのでは、独りよがりになって視野が狭くなり、悪しき経験主義に陥ってしまいかねない。着実な前進をはかるためには、先人の業績を尊重し それに学ぶというのが前提であることも 忘れてはならない という ことなのです。

 さらに、わかりやすくシンプルに申しあげますと『学問と思索』というのは学ぶことと思うことで、まず学ぶことで多くの知識を得てから、それをもとに思索をすることで、その知識が自分のものとして身についていくのだ ということを孔先生、いわゆる孔子は、論語の中で 説明しております。
これが、本日のテーマである 考えながら学ぶ ということになるのです。
  

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2019年07月23日

◆ 益者三友 ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 元年 7月23日(火)

     テーマ   論語に学ぶ人間学

◆  無友不如己者   ◆

 おはようございます。本日は、タイトルにあげております『無友不如己者』という言葉、これは 己に如かざる者を友とするなかれ と読みます。
 これは、人間形成のうえで、友人の与える影響は非常に大きいので出来れば、自分より優れた人たちと付き合ったほうが、自分を成長させるうえで役立つ。だから、自分より劣ったものを友人にするな、と孔子は 言っております。

 さらに孔子は、「 益者三友 損者三友 」とも言っており、これは友人には、付き合ってためになる友は三人、ためにならない友は三人あるのだと言っております。
 ためになる友人というのは、『 剛直な人、誠実な人、教養のある人 』でありそれに対して、ためにならない人とは、『 易きにつく人、人当りばかりが良い人、口先だけうまい人 』なのだと言っております。

同じ中国古典の「中国名言集」南北朝時代に出てくる 顔之推(がんしすい)という人物も『顔氏家訓』の中でこう語っております。
 「 香りの高い花を生けた部屋に住み慣れた人は、いつの間にかその芳香が身についているものだ。 」これと同じく、優れた人物を友に持てば、長い間には、自分もまた香気を放つ人物となるものなのです。ですから、友人との交際に関してはくれぐれも慎重でありたいものだと思います。
 これは、「師」となるような友を持てと、言っているのでして、孔子は損者と付き合うなとは言っておりませんが損を承知でお付き合いすることも勉強になります。
しかし、自分より 劣った者とだけ付き合って お山の大将になりたがるなということをアドバイスされているのだと解釈した上で もう一度、 益者三友を考えてみていただきたいといっております。そうすれば、人間の内面の良さを知りお付き合いする人を見極め、自分を幸福にして 高めることができるのだと、『 論語 』の中から学ぶことができるでしょう。
  

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2019年07月19日

◆ 池田輝政の贅沢 ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 元年7月19日(金)

    テーマ  優秀な社員を採用する愉しみ

◆  優秀な人材の発掘  ◆


 おはようございます。皆さんは 何年か前に社員旅行で姫路城に行ったことがあり、観光ボランティアガイドの方から いろんな説明を受けたことが、あったと思いますが、本日お話しするのは、姫路城の城主であった池田輝政の言った言葉です。

 姫路城の藩主、池田輝政は、倹約家として とても有名だったのだそうです。そして、あまりにもその倹約ぶりがすさまじいので重役たちが閉口してしまいましたが、ある時 重役の中から諫言する人が出て 申し上げたそうです。

 「あまりにも倹約にすぎますと、人心が縮んでしまい物事がすべて消極的になってしまいますので、少しお考えください。」
すると、輝政はこう答えたのだと言います。「私は、倹約ばかりしているというわけではない。贅沢もしているのだぞ。」

そこで、諫言した重役が、「 贅沢?そうは見えませぬが?」
「 いや、している。優秀な人材を掘り出しては、次々と迎え召し抱えている。これが、私の何よりの楽しみなのだ。しかし、人を抱えるには費用がかかる。今のように金のない時代は、その費用を生むためには思い切った倹約をしなければ駄目なのだ。」私の倹約というのは、たんなるケチではない。いい人材を次々と我が藩に抱えるための倹約である。」これには、重役たちも言葉を失ったという。
しかし、考えてみれば、我社でも同じことが言えるのだと思われます。
少しずつではございますが、今年になって続々と いい人が集まるようになってまいりました。 今後は、一人ひとりが会社のために、また会社が一人のために互恵協力体制の中で頑張っていきましょう。
  

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2019年07月17日

◆ 本多重次の一言集約 ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 元年7月17日(水)

      テーマ   戦国名将の言葉

        ◆  一筆啓上火の用心  ◆

 おはようございます。よく私がみなさんの前でお話しているのに、一言集約という言葉がございます。これは、要点をどれだけ掴んでお話しが出来るかということと、本当にそのことが 理解出来ているの? という中で それ一言で言ったら何?ってことをいかに短く話すことができるのかという意味で申し上げてきました。
 そのような中で、いつも例え話として申し上げてきましたのが、徳川家康の家臣であった本多重次のお話しでございます。話というより本多重次が家族に宛てた手紙なのですが、『 一筆啓上火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ 』という短文であります。
 意味を申し上げるまでもなく、戦場から 家族に宛てた手紙の中で何よりも、一筆啓上ということで 送り主の妻を敬う気持ちをあらわし、火の用心が火の始末には気をつけろ、お仙泣かすなは、長男の仙千代を大切にしろ、馬肥やせは戦国時代は馬が貴重で大切なものであったこともあり、大事なものは大切にしてくれ。という意味が込められておりまして、一言集約のお手本のような短文ではないのかと思われます。
 そんな、重次でありますので部下に対しては「 必要なことは、すべて、メモ一枚ですませろ。」と言い続けていたようです。そして、ある時 重次の部下が住民に対して掟を高札に書いて立てたのですが、いっこうに掟が守られなかったといいます。
部下は、重次に何で守られないのでしょうか?と訊いたそうです。そこで、重次は部下に高札をもってこさせ、部下に向かってこんなに難しい漢字ばかり並べているから、人々が読めないのだ 読めなくては肝腎の掟も守れないのは当たりまえではないか、全部ひらがなにしろ と命じたそうです。そして、最後に
『このおきてをまもらないと、おれがおこるぞ。ほんだしげつぐ』と書いたそうです。以後、掟はキチンと守られるようになったのだと言われておりますが、能率よく仕事をするには、いかに相手に簡潔でわかりやすく伝えられるのかということを、本多重次の 一言集約から学べたことに 感謝出来ました。
  

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2019年07月16日

◆ 人間力を磨くヒント ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 元年7月16日(火)

      テーマ   人間力を磨くには

◆ 主観、客観、表観、裏観  ◆

 おはようございます。昨日、見るというにも 二つの見るというのがあるというお話をさせていただきました。そのお話しが「見」と「観」というお話しでした。

 これは、東林志塾の学頭の林先生からお聞きしたお話しですが、二人とも同じものを見ていながら、感じ方が全く違うことがあるというお話しでAさんはとても感動しているのに、Bさんは記憶にすら残らない、という落差があるといったお話しです。単なる趣味の違いであれば、好みの多様性で片付けられるでしょうが、一方が大切なことを見落としているとなると好き嫌いだけでは、済まされる問題ではなくなるというのです。

 ひとつの例として、幕末の風雲児、高杉晋作が幕府の役人と共に上海に渡った時のお話しをされたのです。 高杉晋作という人物は松下村塾でも師である吉田松陰先生から特に目をかけられていた俊才でありました。この時、晋作は上海で、日本の危機を感じとったというのです。

その頃、中国人はイギリス人やフランス人に対して、あまりに卑屈になっており、その様子を見て、列強の侵略の実態を感じとり、日本もこのままいくと植民地になってしまうという危機を悟ったというのでした。ところが、一緒に行った幕府の役人たちは、やれ部屋が狭い、食事がまずいなどと、小さなことに文句ばかりいって、少しも危機感がなかったというお話をして下さいました。

これを聞いて、私はその違いがどこから起こるのかを 考えてみましたところ、意識の違いだということがわかってまいりました。
我々は、普段 目でものを見ているのですが、網膜に映るだけなら「見」に過ぎません。それを心に受け止めなければ、見えていないことと同じことになるのです。
心に映らなければ、感じたことになりません。心に映り感じることを、同じ観るでも「観」というのです。
観光ならば、光を観るといって、その土地の歴史や伝統、言葉や風俗、人情の温かさ、郷土料理などのあらゆるものの光を観ていき、その「光」を心から堪能するから「観光」ということになるのです。

そして、主観、客観をわかりやすく説明しますと あるカップルの女性が男性に向かって「ねえ、ご覧になってこの花とても綺麗でしょう」と言うと傍らにいた男性が「えっ、どこが。ああ、これは確か南米産原産の○○科の植物だと思うよ」と答えました。
この時、女性が花を見て綺麗だと感じた感性が、『主観』で、その花を分析しようとした男性の考え方が『客観』ということになるのです。
 観には、「主観」「客観」の他に、「表観」と「裏観」というものがございまして「表観」は、文字通り“表面に出る価値”を観ておりまして 個性や 特質、学歴、地位、名誉など表面に見えるところの違いを重視するのです。

「裏観」は、反対に、裏面に価値を観る「ものの見方」なのです。物事の裏側をとらえることで、その本質や価値を見出してまいります。
例えば「地位や肩書きをはずせば大差はなく人間という者は皆、平等である」という見方なのですが、肩書きを得るのには その人間が裏では物凄い努力をしていても、その頑張った努力も否定してしまうというのも裏観というものなのです。

 ここで、四観の組み合わせの中にある特徴を見ていただくと主観は、感性、直感が働き勘もよいが、その弊害として思い込み あてずっぽうであることが多い。その反対に客観性の強い人は、理性と知性に強く分析力も長けているが、情に乏しく、共感力に欠け冷淡という見方になってまいります。

また、表観の場合はと申しますと、表面的な実力、地位、学歴、名誉には勝っているが、弊害として、序列意識、差別意識、が、はたらいたり、慢心することがあるでしょう。裏観の場合はと申しますと内容としては、本質を掴んでいるので、平等であると思いますが、表観の人が努力してその地位を築いたとしてもその努力なども認めないという弊害も出てくることでしょう。

このような、分析が出来ますと人格に大きなバランスをとらなければならないということが見えてまいります。
先日申し上げましたように、ここで素直になり良い事は受け入れ、悪い事は捨てるという、言うのは 簡単ではあるが、行うのは最も難しいこととなってまいります。
しかし、これをするのが これをしなければ『人間力を磨くヒントとコツ』を掴むことができないということが、分かってまいります。
  

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2019年07月10日

◆ 水戸黄門の主題歌 ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 元年 7月10日(水)

    テーマ    苦はたのしみの種

◆ 徳川光圀の言葉 ◆


 おはようございます。本日は、人生楽ありゃ、苦もあるさぁ で有名な水戸黄門様 で有名な徳川光圀の言葉についてお話しいたします。
光圀は、五代将軍綱吉の副将軍といわれ、常に江戸に住むことを求められておりました。したがいまして、テレビ等で伝えられている日本全国の世直し旅である『漫遊記』はフィクションであり、光圀自身も多忙きわまっておりましたので、全国をあちら、こちらとまわる時間などございませんでした。
光圀は、二代目の水戸藩の藩主でしたが副将軍として 将軍綱吉にも頼られていたとのことであり、常には、なかなか 水戸藩に戻れず、水戸藩に勤める家臣たちに細かい注意を 与えたり、改革を進めるにあたってもこの改革は何のために行うのか、それには先ず何をすべきか、そのための意識改革をどのように行っていかなければ ならないのかなどということを、事細かに手紙に書いたり しております。

光圀自身も、実は若い頃吉原で遊んだり、江戸の町で町人たちと喧嘩をしたりしていたので、人間の機微に関してはよく心得ていたようで、たまに水戸藩にかえったときなど城の広間に全員を集めて訓示をしていたそうです。

その時のお話しで 代表的なものが、『苦はたのしみの種。楽は苦の種と知るべし 小なる事は分別せよ。大きなる事は驚くべからず 九分たらず、 十分は こぼるると知るべし、分別は堪忍にあるべしと知るべし 』このように 述べております。意味については、別に解説することもないぐらいシンプルなものでして、このへんから水戸黄門の歌詞を作ったのではないのかと思える感じがしてまいります。

そう、最初に言っている 苦はたのしみの種といっているものが、水戸黄門の主題歌に出てくる人生楽ありゃ、苦もあるさ なのです。そして、涙のあとには虹も出るでしょうしゆっくりでも、歩いて自分の道を踏みしめていかなければ、いけないだろうし、人生 勇気が必要だ くじけりゃ誰かが先に出るのです。
そこで 後から、来たのに追い越され泣くのがいやなら さあ歩け。
 
そして、三番の歌詞の終わりには、なにもしないで生きるより、何かを求めて生きようよと締めくくっております。
先程、申し上げましたように、水戸藩の徳川光圀というのは、人情の機微をよく心得た人で大雑把な人間は戒め、臆病な人間を勇気づけるという人間学の達人であったようです。

このように歴史に出てくる 過去の人物とは現在、直接会ってお話しすることは、出来ませんが、本をよく読み、畑を耕すように目や 心で耕して理解していけば 本の中で時間の軸を広げて、その時代に戻り 本人の気持ちに近づいてみることができ 現代でも役立つヒントがあるのだと思えます。

例えば、今現在ここで 解決しなければならないような難問があったとします。
過去に同じような難問を、坂本龍馬という人が 解決されていたとしましょう。
私が今、時を超え 龍馬の時代に行って難問を解決するという事は出来ませんが龍馬が今の時代にいたとしたら どうするのか?と 考えることは出来ます。

 そして、龍馬だったら、龍馬が今の時代に生きていたとすれば、きっと こうしていたのだろうと思い 気付き、置き換えて今の時代にあった方法を、龍馬の行動から学ぶことが出来るのではないのでしょうか? 

これこそが、いつも私が言っている気付きと置き換えなのです。
本日は、人生に役立つ偉人・名将の言葉として徳川光圀の話を置き換えの対象にして人情の機微を述べてみました。
  

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2019年07月03日

◆ 人の役に立つ生き方 ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 元 年 7月 3日(水)

      テーマ   人間力養成のために

◆  人間の器の広げ方   ◆

 おはようございます。私が毎月読んでおりますプレジデントという月刊雑誌がございますが、2019年7月5日号に「人の役に立つ生き方」として稲盛和夫さんが教えてくれた『人間の器』の広げ方という 金言が掲載されておりました。

 稲盛和夫さんというのは、以前にもお話しいたしましたが 元祖 経営の神様 とうたわれた 松下電器(現在のパナソニック)の創業者であった 松下幸之助さんの講演会の中で 多くの経営者の人達が松下幸之助さんに向かって、そんな 抽象的な言葉ではなく どうすれば もっと儲かるのか 具体的な秘訣を教えてくれなきゃ困るといわれた時、松下幸之助さんは 経営の秘訣とは、強く思う事、強く願う事なのです。
思っていてもなかなか 上手く出来ないものです。それを強く思わなかったら、強く 願わなかったら 絶対に 出来るはずがないということなのです。
といわれた その言葉に 講演会の中で、 ただ一人だけ、『 そうか!わかった。強く思うこと、強く願うことなのか 』といった人がいたと言いました。
その人こそが、後に 松下幸之助さん同様 経営の神様と謳われる京セラ会長の稲盛和夫さんなのです。

 それでは、稲盛和夫さんから教えていただいた多くの著名人が語る人間の器の広げ方、正しく生きるための金言をここで、ご紹介いたします。 

稲盛さんの側近中の側近として京セラの常務、日本航空会長補佐を歴任しておりました大田嘉人さんという人からの言葉をここに申し上げたいと思います。

私は、稲盛さんから「謙虚さは魔除け」とも教えてもらいました。人は成功するまでは、一生懸命努力します。ところが いったん成功すると、それが全部自分の力によるものだと 思い込み、謙虚さをなくしてしまう。 そうすると、仕事も人生も悪い方に転んでしまうのです。
そして、稲盛さんが、仰るように 家族に対するように見返りを求めないのが本当の感謝なのですといっておられます。

こういった 一つ ひとつの含蓄のある言葉は、ぜんぶ人間同士の接触の中で実現されるので、「 言っていること、と実行すること 」が同じにならない限り本当の信用にはつながらないということなのだと考えられます。
まさに、陽明学でいう知行合一です。言う事と行動する事出来ないことですが、私達も 頑張って限りなく近づけていきましょう。
  

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