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2018年06月12日

士は己を知る者の為に死す

㈱内田建設 朝礼 平成30年 6月12日(火)

テーマ    認めてやれば人間は必ず動く

◆   士は己れを知る者の為に死す   ◆

士は己れを知る者の為に死す この名言は人間関係について二千数百年前の中国で生まれたものでありますが、毎月行われている東林志塾の勉強会の中で林学頭は、本日のテーマに掲げてあるように、認めてやれば人間は、必ず動くものです。その伝え方、受け方にもあるのですが と、こう仰っておりました。

 晋の国に予譲という男がおりました。范氏という貴族に仕えていたのですが、それほど 重く用いられていなかったそうです。 次いで中行氏(ちゅうこうし)という貴族に仕えましたが、やはり軽い役目しか与えられなかったといいます。 そして、三度目に知伯(ちはく)という主に仕えました。知伯は彼のことを高く評価して重要な役を与えてくれたのです。

 やがて、貴族の間で内紛がおき、あるじの知伯は趙襄子(ちょうじょうし)のために殺害されてしまったのです。 もともと知伯というのは、手前勝手で横暴な振る舞いが 多かったため、同情する者もおりませんでした。ですが、予襄はこの評判の悪い知伯のために復讐を決意したのでした。 その時に言った彼の言葉が本日のタイトルにあります「士は己れを知る者の為に死し、女は己れを愛する者のために化粧するという。主君の恨みおれが、晴らすぞ」というものでした。
そして、予襄は姓名を変え、顔に漆を塗って人相まで変えて、趙襄子をつけねらったのです。
一度は見破られて失敗し、捕らわれてしまったが、趙襄子が「義人だ。許してやれ」というので釈放されたのでしたが、それでも予襄は復讐をやめませんでした。 その後、橋のたもとで趙襄子を待ち受けた予襄は、今度も見破られて捕らえられたのでした。  

「おまえはなんで、あの評判の悪い知伯のために命まで捨ててつくそうとするのか」趙襄子が訊ねると、予襄はこう言ったのです。
「知伯どのは、私をひとかどの人物として扱ってくれました。だからわたしもひとかどの人物として、その好意に報いようとするのです」趙襄子は思わずため息をもらしました。
「もう君の知伯に対する思いは果たしたろう。 私もこれ以上は君を許すわけにはいかない。覚悟してくれ」予襄は趙襄子の衣服をもらい受け、剣を抜くと三たび飛びあがってこれを切ったのでした。

そして、「これで知伯どのに顔向けができる」といい、わが身を刺し貫いて自決をしたのです。その後、人々は予襄のために涙したという。というのが中国の史記という書籍に載っているお話しですが、なんとなくわかるような気が、いたしますね。

人間というのは、不思議な生き物であって、損得の計算ばかりしているかと思うと、何かの折に、そんなことを抜きにして、「よし!」とばかり やる気をおこすことがあるのです。人生意気に感ず という言葉があるように 自分を信頼してくれたことに対する感謝の気持ちを、決意と覚悟を持って自分の人生を全うすることが出来たのでした。

その言葉が、〃 士は己れを知る者の為に死す 〃であったのだと思われます。


















Posted by 内田建設 at 17:26│Comments(0)
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