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2018年11月01日

◆ 双葉山の木鶏の説 ◆

㈱内田建設 朝礼  平成30年 11月 1日(木)

テーマ   小さな現実に振り回されず自在に生きる教え
                                   
◆   大横綱双葉山の 木鶏の説    ◆

おはようございます。本日の朝礼で、お話しいたします木鶏の説というお話しは 以前の朝礼でも お話しいたしましたように 私が袋井市消防団のラッパ隊の指導者としてラッパ隊の皆様にお話しさせていただきました時のお話しですが出典を調べてみますと『荘子』という書籍の中にあって、「老荘思想」などといわれるように、『老子』とともに、語られることが多かったのですが、『老子』がしぶとく処世の知恵を 説いているのに対し『荘子』は、小さな現実に振り回されないように説かれている超越の思想であったようです。

前回の朝礼の中では、袋井市消防団ラッパ隊の選手たちが、ラッパ操法において、磐周大会での10年連続優勝という十字架を背負わされた ちょうど十年目の選手たちが極限の緊張感の中、選手に対して磐周大会当日の朝、緊張感が張りつめた時のお話しであります。

その内容については、不世出の大横綱双葉山が69連勝で負けてしまった時に、友人からの慰めの電文がきたというお話しでありました。
その時うたれた電文の内容である「サクモヨシ、サクラバナ、チルモヨシサクラバナ」に対して、「ワレイマダモッケイタリエズ」と返してよこした時の木鶏の意味についてお話でした。

荘子に残っている 原文をそのまま読んでみれば、〃これを望めば木鶏に、似たり〃と読むのであります。
この話をありのままの解説にしてみると、昔 中国にキセイシという闘鶏を訓練する名人がいました。ある時、王の依頼で一羽の鶏を訓練することになったのです。

十日後、王が訓練名人のキセイシに強くなったかと催促するとキセイシは、こう答えたそうです。「まだまだでございます。やみくもに殺気立って、しきりに敵を求めております」

その後も王は何回も催促したが、四十日経ってようやくキセイシは、答えたと言います。
「もう大丈夫です。そばでほかの鶏がどんなに鳴いて挑んでも、いっこうに動ずる気配がありません。見たところ、まるで木彫の鶏のようです(これを望めば木鶏に 似たり)。」
これは徳が充満している証拠で、ほかの鶏どもは、その姿を見ただけで逃げていきます」人間も同じであり、徳が内に充満している人は、無言の説得力で周囲の人々を感化するといいます。
 この後、森町の町営グランドで大会が行われたのですが、袋井市消防団ラッパ隊の順番がやって来た時に、運悪く森町で火災が起きまして消防自動車がサイレンを鳴らして出動していきましたので、選手たちに動揺が走り私は、だめだ!負けてしまうと覚悟しましたが選手たちは、誰一人動揺することなく、音色、音の大きさ、一糸乱れることのない行進の姿、そして10年連続優勝を決めたのでした。
 表彰式も終え、選手たちが私のところに御礼を言いにきてくれましたとき、私は、選手に向かって「 競技直前の火災出動の中、動揺なくよく出来たな 素晴らしかったぞ。」と、言いましたところ、殆どの選手たちが口をそろえるように、早朝おこなわれた最後の一本の練習を終えた緊張感の中、内田さんから聞いた木鶏の話が、緊張感をなくし集中力に変えてくれたので、平常心でやれました。内田さんのおかげです。ありがとうございました。と言ったのです。
そこで、話をした自分が 双葉山の話を 今一度 思いだし 不世出の名横綱・双葉山は、稽古場に「木鶏」と大書した額を掲げて、稽古に励んだと言われております。

だからこそ、連勝記録が69で断たれたとき、尊敬する先輩に「ワレイマダモクケイタリエズ」という電報を打ったというお話しだったのです。双葉山でさえ木鶏の境地になりえなかったのだと思います。

わかりやすく言えば、「不敵」と「無敵」の差をここの『荘子』に書かれている木鶏の説とし、安岡正篤先生が名横綱双葉山と友人に解説したものを私が袋井市消防団ラッパ隊に話し、その成功事例を我が社の朝礼で再度、お話ししているという訳でございます。

このようにして『気付きと置き換え』を 皆さんの立ち位置、ご家庭、地元、学校のPTAなどそれぞれの活躍の場で活かしていただけるよう頑張っていただきたく思います。



Posted by 内田建設 at 13:55│Comments(0)
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