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2019年11月07日

◆ 神のような帝王 ◆ 

㈱内田建設 朝礼 令和 元年11月 6日(水)

       テーマ  日本人の原点を学ぼう

◆ マッカーサが見た『神のような帝王』 ◆

 日本人の国体を知るうえで欠かせないのは、自分のことはあと、まずは仲間のためにという『 和の精神 』だと申しあげましたが、その中でも『 この国のかたち 』を続けられていられるのは、日本国民と心で繋がっている天皇陛下が神武天皇即位以来2679年も 続いているという歴史的事実と、天皇陛下が体現された、日本国と国民のための立居振舞いの中から、一つ抜粋をし 昭和天皇の国民を思う気持ちが本物であったというお話しをしたいと思います。

 終戦時、昭和20年9月27日、昭和天皇が連合国最高司令官マッカーサ元帥を訪れ会見をされました。マッカーサ元帥は最初、昭和天皇が命乞いをしてくると考えていました。何しろアメリカと戦争をしたわけですから、敗戦国のトップが「 私は戦争に反対だったが、部下が………。 」などと弁明し、最後は、「 命だけは助けて欲しい 」と言うだろう、と思っていました。天皇の言い訳を聞こうと待ち構えていたのです。

ところが、当初は出迎えもしなかったマッカーサ元帥は会談後、車寄せまで天皇を見送りに出たのです。
言葉遣いも、最初は天皇にもの申すという態度だったのが、途中から陛下というふうに変わっていったというのです。一体、何があったのでしょうか。
昭和天皇は開口一番、マッカーサ元帥の想像すらしなかった言葉を発せられました。『 この戦争のすべての責任は自分にある。自分の命はどうなっても構わない。一億の民を飢えさせないで欲しい。重臣たちや将兵たちも私の命令に従って動いただけであるから、私一人を処刑してくれ 』と仰せになったのです。
このとき、マッカーサ元帥は、昭和天皇の手を取って『 自分は初めて神のような帝王の姿を見た 』と言いました。

どこの国の国王でも、権力者は このような場合、自分が自分たち家族だけが助かろうとして外国への亡命を考えたりし国外逃亡をはかるのが、あたりまえとなっていたので、自分の命はどうなってもいいので、罪のない、国民を救ってほしいとの言葉が 信じられなくて、マッカーサ元帥の書いたその日の日記には、『 神のような帝王であり日本における最上の紳士 』と記してあったそうです。キリスト教徒であるアメリカ人にとって、相手を神にたとえるのは、これ以上ない褒め言葉でした。
そして、マッカーサ元帥は、昭和天皇の大ファンになってしまいました。
彼は、あの言葉を聞いた瞬間にすべてわかったのだと言っております。なぜ、日本人が硫黄島であれほど激しく抵抗したのか、沖縄本島の戦いでアメリカがさんざん手こずったのか。なぜ、片道の燃料しか積まない死を覚悟した特攻隊が飛んだのか、その根源が見えたと言っております。
 おそらくマッカーサ元帥自身が、『 この人のためなら死ねるかもしれない 』と感じてしまった瞬間だったのだと思います。

「 日本人が守ろうとしたもの 」に気付いたマッカーサ元帥はそれまでの占領政策を改めました。そもそも「 天皇の処刑 」と「 皇室の廃絶 」を考えていた彼は、「 この国から天皇を奪ったら大変なことになる 」と直感し、プランを180度転換いたしました。
 本来ですと日本は、北海道・本州・九州・四国というように分割統治計画があったらしいですが、昭和天皇の言葉、立居振舞いを見て、天皇を告発すれば、その後に起こる事態を、鎮めるのは不可能であり、その後 数世紀にわたる復讐の戦争が起こりえるだろうと、連合国最高司令官であったマッカーサ元帥は、言い 皇室と今の国土が残されるようになりました。

 このような国であった日本人の精神を見て、勝つには 勝ったけれども日本人の精神に恐れを抱いたアメリカが、日本の弱体化を狙って、国体について教えないように画策をしたのです。そして、普及している中学の歴史教科書には、建国の精神はおろか、建国の経緯も書かれておりません。それどころか読み通してみると、日本人の誇りを感じる記述が一つもないのです。
 教科書に、およそ日本人として最低限知っておくべきことが、書かれていないのは連合国の占領政策が原因でありGHQは日本人を精神的に骨抜きにするため徹底した教育改革に取り組んだのです。

 我々、日本人は大和民族といわれておりますが、その民族の価値観というのは一つだけではなく複合的なもので、三つの柱によって成り立っております。
その一つ目は、「自然観 」で人間を取り巻く大自然をどう捉えるのかということです。そこには、万物を大切にし、大自然の恵みをいただきながら「生かされている 」という日本人特有の感覚です。それが、ごはんを食べる時に発する「いただきます」など、生活習慣の隅々に残っているものなのです。

二つ目は「 死生観 」で人生についてどのように捉えるのかということになります。これもいかに社会が荒廃したとはいえ、日本人は目上の人間を敬い周囲との協調関係の中で自分という者があることを一人ひとり自覚しながら生きております。

 そして、三つ目が「 歴史観 」です。この三つ目の歴史観は、国家観といってもよいと思います。建物の経緯や精神、日本の古くから伝わる神話も知らないまま、国家を見る座標軸を持たないまま、多くの人が個人主義や拝金主義に傾いていってしまったのです。

しかし、幸いなことに近年 日本人の美徳が再び注目され書店に行けば日本の歴史を学び直す本がいくつも目に入ってくるようになりました。そして、本日のように、戦後GHQの教科書検閲基準によって、教えられなかった日本の歴史教育についてまた、この国のかたちのことが 少しは、分かってもらえたのではと思っております。今後も日本だけがなぜ、2000年以上も存続できたのか?等をみなさんに、お話しすることによって日本人として、この国に生まれた幸せを感じとっていただきたいと思います。



Posted by 内田建設 at 08:25│Comments(0)
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