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2020年01月25日

◆ 鵤工舎の徒弟制度 ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 2年 1月21日(火)

     テーマ    鵤工舎の棟梁に学ぶ

◆ 技を伝え、人を育てる  ◆

おはようございます。以前にも当社の朝礼の中でお話しをしたことがございますが、「法隆寺最後の宮大工」と語り継がれた 西岡棟梁の後を継ぎ徒弟制度で多くの弟子を育て上げた鵤工舎の小川三夫という人の書かれた棟梁という本があります。読んでみるともの凄い言葉に出会えます。

 そのひとつに、人から人へ技を伝えるというのは容易ななことではありません。言葉や数字データ、映像に頼ってものを学んできた若者にそのことを教えるだけでも簡単ではないのです。と書かれておりましたが この本の中にあった今の受験社会、学歴社会についても上手に表現してくれている言葉を紹介してみましょう。

 学校では先生が教科書を使い、黒板を駆使して教えてくれます。子供達は教わることが当たり前だと思っています。教われば、わかると思っています。
教わらないことは知らなくて当然だと思っています。学校というものは一年が経てば進級し、三年経てば卒業します。学校には期限があります。生徒はみんな同じ能力であると設定され、同じ方法で、同じ期間学びます。進級するには最低、決められた点数を取ればいいのです。
その点数を取るためには、近道があり、早道があり、要領があります。

学校ばかりではなく、塾も予備校も、家庭教師も それを教えてくれます。
このすべてが、技や感覚を師匠から受け継ぐための障害になるのです。
少なくともこの方法に慣れた子供に、技を教え、感覚を身につけさせることは無理です。技も感覚も大工の考え方も、本人の身体が身につけるものなのです。

体に記憶させる、体で考える。このことを理解してもらうには、親方や師匠と一緒に暮らし、一緒に飯を食い、一緒に働くしかないと思っています。
その手段には、早道も近道もありません。と書いてありました。
そして、小川三夫さん自身の体験で西岡棟梁に弟子入りをして、修行時代に一番先にやらされたことが刃物研ぎということが書かれておりました。
ここから、しばらく 小川三夫さんの話された会話のとおりの お話しをいたします。

初めに「道具を見せてみろ」と言われノミや鉋を見せたら、ポンと捨てたな。こんなものは 道具やないと いうことやな。 それで、後にも先にも一回だけ「これと同じような鉋屑を削れるようにしろ」と自分で削った鉋屑を一枚くれたな。向こうが透けて見えるような、均一な見事な鉋屑やった。
それを窓に貼って、それを見て毎晩刃物研ぎや。
そういう鉋屑を削れるようになるのは技術以前の話や。まず刃物が研げなかったら絶対にそんな鉋屑は出んのや。

それからというものは、朝起きて飯を食ったら、一緒に法隆寺に行って作業をして、帰ってきたら 飯を食って刃物研ぎや。ただ、ひたすらに刃物を研ぐ。それだけや。腰がピタッと据わって刃を力まずに押さえて 行き来するだけやが、この言葉で言って 意味がわかるのは 研げるようになったやつだけや。
自分の身体が考えの通りには動かないことに まず気が付かな、ならん。だから修行するのや。言葉や考えが役に立たないことにも気が付かな、ならん。
無心で研げるようになって、初めて刃物が研げるようになる。じゃあ無心ってどういうもんかと考えるかもしらんが、刃物が研げたときや。答えは刃物や。

 「答えは刃物や」って 凄いことばですね。この言葉は小川三夫さんが 悩みながらも研いでいるうちにある日、「おっ」思い、いい刃物が研げるようになった時に、自分が、来る日も来る日も研いでいた刃物が、どれだけ削れるのだろうと思い道具を使ってみたくなった時の心境ですが、どれだけ削れるのか、削りたくて、削りたくてたまらなくなってきた その時が一番仕事を覚える時だといっております。
もちろん、刃物研ぎは まだ第一歩の段階ですが、本当を覚えるのには、時間がかかる。時間はかかるが一旦、身についたら、体が今度は嘘を嫌うと言っております。 一心不乱に研ぐことによって、大工としての感覚と研ぎ澄まされ精神も養われるというお話しをしてまいりましたが、その他にも芯を決めて使うということが、印象に残りました。
それは、材料だけでなく人間の社会にも言えることで、面のいいやつだけ集める。 また 同じ規格を集める。これでは 癖のあるやつは、はじかれてしまうと言っておりまして 本の中でも 癖を生かすことができれば、強く面白い物ができるのに、そういうのを捨ててしまうから結果的に競争に負けてしまうことになるのだといっております。
そして、芯仕事ができないと、不揃いの木で建物がたてられないということをいいながらも、今から千三百年以上経っている法隆寺というのは、不揃いの部材でできているのだ と、述べております。
今の大工は、寸法だけをみて寸法どおり組む癖がついているから、なかなかこんなことはできないが、この不揃いの部材や木で建物を建てていくというのは、芯を通してそこから物を作っているから、出来上がったものが一個一個で支え合い、総持ちで、荷重を支え重さを上手に分散させて柱に伝え 重さを利用して建っているのだと言っております。 また、形は不揃いでもいい。それをどう使うかで、うまく使いさえすれば丈夫な建物になる。

癖や曲りをみんな捨ててしまうという考えでは、あかんな。曲りや癖は才能みたいなもんや。それをどう生かしてやるかが、大工の仕事なのだということをいいながら、技を伝え、人を育て引退を機にこの本を書き上げておりました。

 朝の朝礼の5分、10分だけでは上手く伝わらなかったと思いますが、当社の人づくりに書かれてございます 第一に礼節を重んじ、こころの鏡を磨き、一点の曇りなき澄みきった気持ちになるよう、気迫をもって人材の育成に努める。
ことの足しとなるような気持ちでお話し致しました。




Posted by 内田建設 at 11:37│Comments(0)
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