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2020年03月24日

◆過ぎたるは、及ばざる如し ◆

㈱内田建設 朝礼 令和 2年3月24日(火)

      テーマ   論語に学ぶ会話より

◆ 過猶不及(かゆうふきゅう) ◆

 おはようございます。さて先週 東林志塾の勉強会で文明法則史学のお話をいたしましたが、いつもそのような勉強ばかりしているのではなく最近の勉強会では、世界情勢について40分程度、論語について1時間ぐらいと『学術維新原理日本』といって昭和初期の頃の日本の情勢や、国家思想等について40分ぐらいと18時30分から21時まで総合的な勉強をし、社長として知識の幅を広げられるように努めております。

 そのような中で、普段ですと時間がある時は現代訳の仮名論語の本を読み、次の勉強会の論語についての予習をしたりする訳なのですが、次回におこなわれます 勉強会の予習にあたり、先進第十一のところを読んでおりますと子貢問う、師と商といずれか孰れか、賢れる。(いずれかまされる)子曰く、師や過ぎたり商や及ばず。曰く然らば則ち師はまされるか。子曰く、過ぎたるは猶及ばざるごとし。という孔子と子貢のやりとりがございました。
 これが、タイトルにございます過猶不及と申しまして、『過』という漢字は「すぎる」とも「あやまち」とも訓読みします。漢字が同じであることには意味があり、過ぎる者は必ず過ちを犯すものだと感じ取ることが出来ます。

これを、 少し 置き換えてみますと 過ぎる者は、俺が俺がと前に出過ぎて独断専行をし、組織に迷惑を掛けることになると取れます。

 そこで、何がベストかという答えをさがすのは難しいことですが、よく私が車に例えて申し上げているように、アクセルを全開で走っているとぶつかってしまいます。かと 言ってブレーキばかり踏んでいたのでは車は なかなか前に進みません。
したがいまして 両者のバランスをとるためには、程よくアクセルを踏み、程よくブレーキを踏むことが、より遠くまで走れるという車になるのです。 
過ぎたるは猶及ばざるがごとし、時代は変わっても論語はいつも人としての人間観、生活の在り方、教育の在り方また、道徳についてなど生きていくための基礎知識を与え教えてくれております。



Posted by 内田建設 at 14:09│Comments(0)
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