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2020年04月09日

◆ 閑に耐える難しさ ◆

㈱内田建設 朝礼   令和 2年 4月9日(木)

      テーマ   人物の条件を学ぶ

◆  閑に耐える  ◆

おはようございます。以前にもお話をしたことがございますが 人間が生きていく中で、耐えていかなければならない苦労というのが 四つ程ございまして、それを四耐と呼び『 冷に耐え、苦に耐え、労に耐え、閑に耐え 』とございます。
これは、日本の内外に平和が達成されるようにとの願いのもと 平成の元号をお考えになりました 昭和の 総理大臣の指南役でもあった陽明学者、安岡正篤先生が常々申しておりましたことでございます。

冷とは冷遇であり、苦は苦労、煩は煩雑なことなのですが、閑は左遷されて冷や飯を食わされるような逆境であるが、その時に動きたくて動きたくても絶対に動いてはいけない時があるのです。
そして、大抵の人は 冷にも耐えて 苦労にも耐えて、煩わしさにも耐えることが出来るのですが、この閑に耐えるということが出来ないことなのです。
人間というのは誰しもが 『今』は、どうしても動いてはならないという時期があるというのですが、大抵の人はそれに気付かない、また気付いても それが出来なかったために動いてしまい 失敗して 『運』を掴めず終えていくのです。

これを、歴史上の天下取りに動いた 人物に例えるとひじょうに分かりやすく 面白い例え話がございますので申しあげたいと思います。
先ず 最初は、織田信長の『 鳴かぬなら殺して しまえ時鳥 』という強引さがよく分かる句がございまして信長の烈しい気性そのものを歌っておられます。
これに対しまして 豊臣秀吉の場合は『 鳴かぬなら鳴かしてみよう時鳥 』という句であり 何をやらせても努力をしていく姿勢と積極さがよく分かります。
そして、最後、徳川家康の『 鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥 』というようにひじょうに 家康の忍耐強さを表している句がございますが、これこそが本日、ここで申し上げようとする 閑に耐えということなのです。

徳川家康という武将は6歳の頃から、織田方の人質にとらわれ、その後今川の人質となり 自分の意思で動きたくても動けない…。動いてはいけないという境遇であったがため、閑に耐えるという 生きるための術を身に着け、動いてはいけないという時には、じっと我慢の子であり、冷静に戦況を見つめ、動くことなく 閑に耐え抜き 自分の出番を待つ ということになっていったのでした。

そして、それこそが、やがては実を結び、260年間という長きにわたる 長期政権である 江戸時代という安定した時代を築いていくようになったのです。
一見みると 簡単のようで、この『 閑に耐える を実行する 』ということが、最も難しいことなのです。
マラソンのゴールドメダリストとして有名なQちゃんこと高橋尚子がコーチの小出監督にずっと聞かされてきた言葉が、『 花の咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ 』という言葉であったそうですが、この耐えながら目立たない努力を継続する。 そして、徳を積むのであれば、人目に分からないように陰で得を積む、『 陰徳 』というもの積んでいくことの大事さなのであります。

如何でしょうか? 本日の閑に耐える ということが、難しいけれど これを乗り越えられたものだけが、結果 成功している また成功するのだというお話でした。仕事だけでなく、家庭の中で、地域社会の中でも将来のために活かしてみて下さい。



Posted by 内田建設 at 09:02│Comments(0)
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