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2019年04月05日
◆ 松下村塾に学ぶ ◆
㈱内田建設 朝礼 平成31年4月5日(金)
テーマ 自分の殻を破るチャンスを逃すな
◆ 飛(ひ)耳(じ)長目録(ちょうもくろく) ◆
おはようございます。我社の経営理念の中で 一番 最初に掲げているものに、『 人づくり 』というものがございます。
これは、幕末に吉田松陰という人が松下村塾で 僅かな期間に日本を牽引していった多くの若者を数多く育てたことに感銘を受け 今の時代であっても人材育成の松陰先生に学び、会社の基盤を作っていきたいと願っているところからきております。
吉田松陰は、2年4ヶ月という短い期間で私塾を開き、92名の若者を育てました。これだけの短い期間になぜあれだけの英雄たちを輩出できたのか、というのは多くの人が謎としているようです。
そして、その原因を松陰自身の優れた指導者としての資質に置くことが多いのですが、実はそれだけではなく松陰という人は、もって生まれた資質だけを駆使して後輩を養成したわけではなく、彼自身の凄まじいばかりの日常の積み重ねがあったのだと言います。
彼の努力の根源は、すべてその日のニュースでして、政治面や経済面だけでなく文化面や今風にいうと芸能人のスキャンダル等、そのような面までも彼は関心を持っていて、次元の高いニュースから次元の低いニュースまでいっさいを含んだものを素材としていたようです。
言ってみれば、毎日起こる 日々の出来事が素材としてテキストとなっていたのであります。
人間の営みすべてがテキストなのですから、「 そういう人間の営みに目をつけないで、何が政治だ、何が経済だ、何が文化 」という考えを持っていて、死んだ書物の中から 教育するよりも、生きた人間の 日常の営みの中から学びそれを テキストとし、その中に 政治の在り方、人間としての 生き方を発見し続けていったのです。
そして、松陰のすごいところは、優秀な若者を集めたのではなく、武士の中でも藩士の子だけでなく、足軽の子や農民や商人などと身分も問わず、地元にいる志の高い若者を指導し、今日の日本の基盤をつくっていったのです。その時彼が毎日の教材となったニュースを書きつけたメモを「飛耳長目録」といい耳を鋭く立て目を横に長く聞くという意味で常に緊張しているという意味なのだ そうです。
これが、僅かな期間に人材を輩出できた 松下村塾と 指導者 吉田松陰の秘密ですが、吉田松陰の教育理念は、『 学は人たる所以を学ぶなり 』というもので「 人と生まれたからには、人はどうあるべきか、この世の中で何をなすべきか、それを学問しながら追求しよう 」というものでして、 『 自分を磨き、高めること 』を目的としたのです。
そして、自分の「殻」を破るチャンスを逃がすな! という生き方の指導を行った 「 人材育成の達人 」として 『 飛耳長目録 』を使い 教育の中でも、最も徳の高い『 徳育 』というもので、“人づくり”のお手本を示したところに意味があったのです。
テーマ 自分の殻を破るチャンスを逃すな
◆ 飛(ひ)耳(じ)長目録(ちょうもくろく) ◆
おはようございます。我社の経営理念の中で 一番 最初に掲げているものに、『 人づくり 』というものがございます。
これは、幕末に吉田松陰という人が松下村塾で 僅かな期間に日本を牽引していった多くの若者を数多く育てたことに感銘を受け 今の時代であっても人材育成の松陰先生に学び、会社の基盤を作っていきたいと願っているところからきております。
吉田松陰は、2年4ヶ月という短い期間で私塾を開き、92名の若者を育てました。これだけの短い期間になぜあれだけの英雄たちを輩出できたのか、というのは多くの人が謎としているようです。
そして、その原因を松陰自身の優れた指導者としての資質に置くことが多いのですが、実はそれだけではなく松陰という人は、もって生まれた資質だけを駆使して後輩を養成したわけではなく、彼自身の凄まじいばかりの日常の積み重ねがあったのだと言います。
彼の努力の根源は、すべてその日のニュースでして、政治面や経済面だけでなく文化面や今風にいうと芸能人のスキャンダル等、そのような面までも彼は関心を持っていて、次元の高いニュースから次元の低いニュースまでいっさいを含んだものを素材としていたようです。
言ってみれば、毎日起こる 日々の出来事が素材としてテキストとなっていたのであります。
人間の営みすべてがテキストなのですから、「 そういう人間の営みに目をつけないで、何が政治だ、何が経済だ、何が文化 」という考えを持っていて、死んだ書物の中から 教育するよりも、生きた人間の 日常の営みの中から学びそれを テキストとし、その中に 政治の在り方、人間としての 生き方を発見し続けていったのです。
そして、松陰のすごいところは、優秀な若者を集めたのではなく、武士の中でも藩士の子だけでなく、足軽の子や農民や商人などと身分も問わず、地元にいる志の高い若者を指導し、今日の日本の基盤をつくっていったのです。その時彼が毎日の教材となったニュースを書きつけたメモを「飛耳長目録」といい耳を鋭く立て目を横に長く聞くという意味で常に緊張しているという意味なのだ そうです。
これが、僅かな期間に人材を輩出できた 松下村塾と 指導者 吉田松陰の秘密ですが、吉田松陰の教育理念は、『 学は人たる所以を学ぶなり 』というもので「 人と生まれたからには、人はどうあるべきか、この世の中で何をなすべきか、それを学問しながら追求しよう 」というものでして、 『 自分を磨き、高めること 』を目的としたのです。
そして、自分の「殻」を破るチャンスを逃がすな! という生き方の指導を行った 「 人材育成の達人 」として 『 飛耳長目録 』を使い 教育の中でも、最も徳の高い『 徳育 』というもので、“人づくり”のお手本を示したところに意味があったのです。
Posted by 内田建設 at 09:08│Comments(0)