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2020年04月15日

◆ 知行合一を学ぶ ◆

㈱内田建設 朝礼  令和 2年4月15日(水)

      テーマ  中国思想・老子に学ぶ

◆ 第71章『迷妄』 ◆

おはようございます。昨日に続き中国思想 老子についてお話をいたします。
ここにある迷妄という言葉は、簡単にいいますと 知っていても知らないふりをするのが上等で、知らないのに知っているとするのは欠点だということです。しかし、欠点を欠点とすれば、それで以って欠点ではなくなる。と出ており聖人に欠点が無いのは、欠点を欠点として自覚できているから迷妄も迷妄でなくなり、知の限界というものを悟っていくことができるのだと解説されております。

 何か煙にまかれたようなお話ですが、わかりやすくいうと 学べば 学ぶほど、まだ、学んでいないことの多さを知るというようなものなのだと思われます。
そして、私がいつも朝礼でお話しているように、ここにいる みなさんが私のお話を聞いた時、それを理解したとして それぞれの知識として持っているというのが第一段階の『知識』なのですね。そこに自分の意見を入れて他の人にもお話ができるようになることが、第二段階の『見識』となってまいります。さらに、それが行動の元となるところまで学び取っていくようだと第三段階の『胆識』となっていくのです。
 中国は、明の時代に行動哲学の大家である王陽明という人がおり、知ることと行うことは一つであるという『知行合一』を唱えました。これは、知ってしまったからには、行わなければ意味はなく、行動して初めて、知識は完成するのだという思想を日本に伝えました。
日本でもこの陽明学を学び、明治維新に多大な影響を与えた代表格の人達に、大塩平八郎、佐久間象山、吉田松陰、勝海舟、西郷隆盛など綺羅星のごとくおります。
そして、いつも私が申し上げております。昭和の総理大臣の指南役、安岡正篤先生なども陽明学の大家としては有名なお話ですが、老子は物事の本質、真理を掴み、知識を知識のまま終わらせてしまわないように、見識、胆識、さらには、意見も行動も大事だが、それらが道(天地自然の原理)に適っているのかどうか道に適うために、物事の本質、真理を掴み、全体像を大局的に覚る力を発揮しているかどうかが、肝心な事だと教えてくれているようです。
少し難しくなってしまったかもしれませんが、知の限界を悟らぬ のが迷妄であるが、迷妄を迷妄と自覚出来た時、知に対する道が開けていくようです。



Posted by 内田建設 at 08:39│Comments(0)
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