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2017年11月14日

陽明学の知行合一

㈱内田建設 朝礼 平成27年11月25日(水)

テーマ    陽明学の中から至言を学ぶ
        ◆  知行合一について  ◆

 おはようございます。私の右にございます皆さんからは、向かって左になりますが、額縁の中の色紙に書かれている言葉に、六然というものがあります。
これは、『自処超然、処人藹然 有事斬然 無事澄然 得意澹然 失意泰然 』という人間が生きていくのに、最もよい処方せんを六つの自然としてあらわしたものであることは、陽明学で有名な王陽明の考えを、日本の陽明学の大家でもあります安岡正篤先生が 解説されたものであるというお話は、以前にも説明したと思いますが、その王陽明の言葉の中にある至言に(知行合一・事上磨練・致良知)という言葉ございます。
 その中から『知行合一』という言葉についてお話をしてみたいと思います。
「知るは行いの初めにして、行いは知るの成れるなり」と申します。それでは、いつもどおり例えをあげて知行合一を見てみましょう。食べ物、そう食で考えてみましょう。
「何処かおいしい店はありますか?」と聞かれたとします。知らないのに知ったかぶりをして、「あの店は美味しいらしいですよ」と言っても、人様は本気にしません。ところが、自分が行って食べてみて、「あのお店は美味しかった」と言ったら説得力が出ます。
 知は、知識です。あの店は美味しいと知っている知識と、それに自分が行って食べたという体験・実行が組み合わさって始めて、人様に「美味しい」と言えます。知っているという事と行動とが一緒にならない限り、「知っている」とは本当にいえないのかもしれません。行動という裏付けがあって初めて、人様にいえるのかもしれません。
もっと厳しいのが、会社を経営する際の資金繰りです。焦げ付いているお金を回収するのは、当たり前でも相手が暴力団だとしたら、生きるか死ぬかの気構えをもって取りに行くことになります。生きるか死ぬかの実感が強烈であればある程、体に沁み込んでくると思います。そういった実践をどれだけ沁み込ませたかが肝心です。知識本やマニュアルを読んでも実践では役に立たないのです。知っていると言いつつ何もしないのは、知らないのと同じことなのです。
「知行合一」とは自分の知っている知識プラス実践を積み重ねた行動なのです。


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